« Re:ブログの可能性 | トップページ | 終戦記念日に寄せてーー(2) »

2004.08.10

終戦記念日に寄せてーー(1)

また、8月15日の終戦記念日がやって来る。

いつも違和感を覚えるのだが、「終戦」とか「原爆」といったフツーの名詞に「記念日」という言葉を付けるのはいかがなものか。どうしても付けたいなら、せめて「敗戦記念日」とか「被爆記念日」にすべきではないだろうか。

話は変わるが、最近、小泉とか、安倍とか、岡田とか、戦争を知らない「戦争好きな」政治家が増えてきているのは、困ったものだ。

終戦記念日に寄せて、母(2002年12月死去、享年85歳)の生前に書いて貰った「大連からの引き揚げ体験」を、今日から4回に分けて掲載させていただく。戦争というものが一般の庶民にどんな事態をもたらすのか、その一端でもご理解願えれば幸いです。(仮名遣いや一部の注を除き、原文のママ)

ーーーーーーーーー
昭和20年8月15日 終戦の日
あの日、外地の人達の人生は変わったのです。

私は(大連の)桃源台という所で、山も海も近く別荘地のように静かで便利な家に1歳4カ月になった娘と2人で住んでいたのです。

夫は汽車で数時間の田舎町で軍納缶詰工場長でした。日本人は夫ひとりだけで、ほかは全員中国人でした。工場の広さは、どこまでかわからない広さです。缶詰は肉もジャムもキログラム大でバケツのように大きいのです。漬物はプールのような中に投げ入れる感じでした。通りには背中に焼印を付けた豚がブーラ、ブーラと歩いて、のーんびりだったのです。

あの日娘をおんぶして夫の所に遊びに行ったのです。しばらくして終戦を知らされたのです。

早く大連に帰らないと危険と、いわれるまま汽車に乗りましたが、乗客は1人もいませんでした。私と娘が乗るのを見てか、窓からポンポン石が投げ込まれるのでした。危ないので座席の下にもぐって発車を待ったのです。どうやって家にたどりついたか…。

工場の人に、夫は夜送って行く、と言われましたが、12時を過ぎても帰らないのでした。私にとって一大事。1歳4カ月の娘とお腹に5ヶ月の子供がいたのです。決心するしかないのでした。午前3時頃、ガタガタ、トラックの音、そして親切な中国人2人に送られて夫は荷物まで積んで帰って来たのです。ああ、一難去った。(貞)つづく

|

« Re:ブログの可能性 | トップページ | 終戦記念日に寄せてーー(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40197/1165289

この記事へのトラックバック一覧です: 終戦記念日に寄せてーー(1):

« Re:ブログの可能性 | トップページ | 終戦記念日に寄せてーー(2) »