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2004.08.13

終戦記念日に寄せてーー(2)

(前回よりつづく)
「座して食えば野も山も」のことわざ通りの生活が始まります。

値段の跳ね上がった食料品を買うために、持っている物は何でも安くどんどん売るのでした。どうせ持ち帰れないのと、いつ引き揚げの順が来るかわからないので、大変なのでした。私は大きなリュックというより、ふとん袋大のを2個作り、持ち帰りたい品をギューギューつめ込み床下に隠し、時々、出したり入れたり。

毎日の暮らしはこんなのんきなことではないのです。夜は足袋を3足も重ねて履いて寝るのです。「ロシア兵が来た!」というと娘を抱いて山に逃げるのです。憐組ではわが家だけ子供がいるので、いつも皆さんと別の所に隠れました。娘は夜中に起こしても泣くことはなかったのです。

昼間も何かと怖い日々なのでした。昭和21年1月8日、長男誕生。また一大事です。「夜間外出禁止令」の夜中に産まれることになりました。夫が産婆さんの家に行く道で撃たれるかもしれない。産婆さんに断られるかもしれません。産婆さんは危険をかえりみず来てくれたので、本当にありがとう。夜中の明るさにロシア兵2人が銃を持ってドカドカ目の前に入り込んで来たのですが、現場の様子で出て行きましたが、怖かったこと。

次の日からは、当然寝てなどいられません。前の生活プラス赤ん坊となります。親はつらい…。

街の公園では「物賃は上がる、わしや下がる」の遺言を残す人(注 首吊り自殺)。毎日の食事がおからの水どきスープだけの人。布団も売ってムシロにくるまって寝る人。わが家は夫が依託販売をしていたので1日2食、小豆入りコーリヤン飯。来客の時は水でうすめてコーリヤンがゆ。子供は白米のおかゆにキナ粉かけ。たまにお魚を焼く、その匂いのために引き揚げが後になったとか。本来、引き揚げ順は病人、子供、老人なのに、今さらしかたない。

ここまでは今まで何不自由なく暮らしていたと思われる日本人たちの生活のほんの一部です。権力をかさに威張り、いじめを当然のようにして暮らしていた職業の日本人の人たちは恐ろしい目にあわされたのです。地獄行き。
いじめてはいけません。(貞)つづく

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