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2004.08.14

終戦記念日に寄せてーー(3)

(前回よりつづく)
やっと昭和22年1月、待ちに待った引き揚げの通知が来ました。
これからが本当の一大事です。まず気力、体力、運、バカ力等々です。

わが家では1歳と2歳の子供をおんぶしなければなりません。着られるだけ着、着せられるだけ着せるで動きはにぶり、私は自作の大きなカバンの1つにはおむつ、下着、もう1つにはクスリ、ビスケット等子供用ばかりです。これを両肩にかけると普通のドアから出るだけで大変です。ほかに布団袋大のリュック2個、大きい、重い。

夫と集合場所までころがしながら行ったと思います。散々待たされてから、トラックでやっと大連埠頭に着くと夜でした。1月の埠頭は海風の吹きさらし。ここで夜中じゅう立ちつくすのです。夫の背中で娘は「お家に帰ってストーブにあたりたいよー」と、何度となく泣くのでした。お家はもうないのです。

長い時間立ちつくした後、「検査」という所まであと30人位になった時、私は列から離れて「検査」という所を見に行ったのです。そこは、駅の改札口ふうで、たった1ヶ所に数人のロシア兵らしき大男が日本人の大切な荷物をひっくり返し、自分達の気に入った品を取り上げる所でした。お茶のカンから粉ミルクのカンまでぶちまけるのです。身体検査で持ち金は取り上げられます。それを見て、ムラムラと私の腹の虫があばれ出しました。

大切なリュックを捨てる決心をしました。少し離れた所に地下倉庫に通じる細い階段があったのです。幸い暗いし、他人のことなど気にする人は後ろにいた男性だけ。「銃殺されるからやめろ」と心配してくれましたが、自分の物を捨てるのだ、と私は夢中でリュックを突き落としたのです。リュックはズシーン、ズシーンと鈍い音を残して真っ暗な地下に落ちていきました。

前にいる夫も知りません。生まれて初めての度胸だめし。

身体検査で背中のお金も取られましたが、そのあと捨てたリュックをこわごわ夫と拾って来ました。
そして、やっと乗船となるのです。(貞)つづく

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コメント

 私より20歳近く年長の先輩も引き上げ経験者です。彼女は満州からの引揚者でした。大変な苦労をして日本に帰ってきたそうです。日本に帰るまでの間、一番上のお兄様は闇で煙草売りをしながら、お母様の竹の子生活を助けていたそうです。ちなみに彼女のお父様はシベリアに抑留されました。終戦後3年を経過して日本に帰ってきたそうですが、迎えに舞鶴に行った時は誰だか分からないくらいにやせ細っていたそうです。
惨めだったと話をしてくれました。何故ロシアの非情さが日本で問題にならないのでしょう。不思議ですね。

投稿: 青うさ | 2004.08.14 21:45

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