いつ頃だったか忘れたけれど、読売新聞が「瓦版はその昔、読売と呼ばれていました」みたいなニュアンスのテレビCMをやっていたけれど、馬鹿だよね〜。
瓦版なんて、嘘かまことか分からぬうわさ話を面白おかしく読み聞かせて売りつけていたわけで、「わが読売新聞もそれと同じですよ〜」と公言しているのも同然なわけよ。こんなコマーシャルをよく認めたもんだよね、ナベツネ会長が。
ま、結局のところ、新聞なんてどこも同じなのかもしれない。
僕は、友人のブログに、契約が切れる来年3月に、新聞購読をやめると書いた。今の、戦争前夜の世の中に、新聞は何の役割も果たしていないからだ。太平洋戦争突入を黙認し、その後、大本営発表を垂れ流した反省はどこにもない。
例えば、民主党・岡田代表の質問に対する小泉首相の「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」という答弁を、何の批判も論評もなく報じている。こんなもん、ジャーナリズムでも何でもない、ただの瓦版ではないか。
元々新聞社というのは広告屋なんだよね。バブルの前は、新聞は朝刊でも24ページぐらいが普通だった。バブルになって、広告を出したい企業が増えても、新聞の広告は全体の50%以下と決められているから、断るしかない。
断るのはもったいないというわけで、徐々に28、32、36ページと増えていって、今では40ページのことさえある。増ページ分の半分は記事で埋めなければならないが、ページ数の増加に合わせて都合よくニュースが増えるわけではないから、記事は当然水増しになる。
「この冬の変わり鍋」といった生活記事や、「村上春樹はなぜ読まれるのか」といった学芸記事などの企画もので穴埋めをするわけだ。広告部門はウハウハだけど、編集部門は仕事が増えて困ると文句を言っている。
一方、販売店は、ページ数が増えると重くて配達が大変だから、販売手数料を上げろと言ってくる。新聞社は、記事が充実してきたので購読料の値上げを、とその負担を消費者に押しつけてくる。
実は、こういう仕組みになっているのだ。
ところで、新聞の広告料金は、なぜあんなに高いのか。例えば、一ページの全面広告は1500万円ぐらいする。ここにも秘密がある。
公称800万部の発行部数があると、一世帯2.5人で計算して、2000万人が読んでいることにして、広告料をはじき出しているのだ。だけど、少子化だし、若者は新聞を読まないんじゃないの、などと広告主に突っ込まれるので、「○○新聞は大学の入試問題で一番採用されています」などと若者の購読者を増やそうと苦心しているのである。
以上、とりとめもなく書いてきたが、言いたいことは、新聞を惰性で購読するのはやめた方がいいということ。新聞って、紙を大量に使用するので、地球にも優しくないけんね。(健)
最近のコメント