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2023年4月15日 (土)

「漢字の動物苑」円満字二郎

円満字二郎 著
岩波書店(216p)2023.01.19
2,420円

著者は国語教科書や漢和辞典の編纂に携わり、現在はフリーの編集者や漢字や漢詩の研究者として多くの著作を世に出している。本書は岩波書店の雑誌「図書」に連載していたものを基に加筆したもの。それにしても著者の「円満字」という苗字を見た時、漢字学者のペンネームとして出来過ぎだと思ったのだが、本名と聞いてびっくり。そんな著者が漢字を通して動物たちの生態を描き、人間との係わりの歴史を調べることに楽しみを見出している感覚がひしひしと伝わってくる一冊である。

漢字は中国大陸で生み出され、現在日本の漢和辞典には5万字ともいわれる漢字が載っている。初期の漢字は絵文字として作られたが、三つの峰が連なる山の姿を描いて「山」という漢字が生まれ、夜空に浮かぶ三日月の絵から「月」が生まれたと聞くと、素直に納得してしまう素晴らしいセンスである。特に、古代中国で人々の身近に存在していた動物たちについては、その姿から多く漢字化されている。小学校で学ぶ1026字の漢字の内でも約20%がこうした象形文字から生れていて、これらを著者は「漢字の元祖」と言っている。

一方、文化の進展とともに、思想や概念を表現する文字は絵として描くことが難しいことから、既成の漢字を組み合せて新しい漢字や熟語を作り出していった。こうした変化から、異体字や簡略体を含めれば10万とか20万字が生み出された。加えて、中国から漢字文化を継承した日本でも2000年の間に固有の漢字を作り出してきたし、同じ漢字でも異なった動物を表しているケースが有ることを本書でも指摘している。そうした長年の漢字の変化についても興味深く読み進んだ。

本書の構成は、一年を「新年・縁起のいい動物たち」、「春・動物達の目覚め」、「初夏・青空そして梅雨」、「盛夏・灼熱の太陽の下で」、「秋・静かな夜と紅葉の森」、「冬・寒さに負けぬ動物たち」、といった季節に区分したうえで、季語などとして使われている動物の漢字表記や発音などとともに故事来歴といった歴史的・文化的な視点からの解説を行っている。その中で、「新字体」「旧字体」「金文」「甲骨文字」といった種類の漢字が説明に出て来る。私は漠然とそれらの定義を理解していたつもりだったが、再度、文化背景や内容確認をしながらの読書となった。また、動物たちの生態的な説明については、著者は動物学者ではないこともあり「広辞苑第七版」を引用している。それも著者の言葉を借りれば「広辞苑を歳時記のように」活用しているというところから、それが本書タイトルの「動物苑」に繋がるというわけだ。

取り上げられている動物は78種類で鳥、獣、家畜、昆虫、想像上の動物まで網羅されている。本書を読みながら、今までの自分の漢字や動物の生態についての知識を確認したり、新しい知識との出会いを楽しむことが出来た。興味深かった項目をいくつか紹介してみたい。

キリンの項。中国で縁起の良い動物として「鳳・麟・亀・竜」が挙げられる。この中の「麟」がキリンである。ふつう、キリンと聞くと首の長い動物を思い浮かべるが、広辞苑ではそれは三番目の定義で、最初に出て来るのは「中国で賢人が出て来る前に現れる想像上の動物」とのこと。注釈に「雄を麒、雌を麟という」とあるが、本来「麟」の一文字だけでキリンを表していたが、なぜ二字にしたのか。寺社の名前や人名に「麟」の字は多く使われているが「麒」の字を使うことはない。そう指摘されると「麒」と「麟」の関係について何やら面白いことがありそうだし、「麒麟」と変化して行った理由も知りたくなる。

ウの項。夏の夜の風物詩の代表の鵜飼。鵜飼は古くからある日本の漁法で7世紀中国の隋書の「倭国伝」にも「ウの首に小さな輪を付け、水に潜らせて魚を捕まえさせる」と紹介されていることからも、1000年以上前から変わらぬ漁法が受け継がれてきたことが判る。当時の中国人にとって、遠く離れた島国で行われている鵜飼は「正史」である「隋書」に記すほど印象深いものだったのだろう。ただ、「隋書」では「鵜」という漢字は使わず、「鸕鷀(ろじ)」という二字熟語で表記されているという。中国では「鵜」はペリカンを指す言葉で、ウを「鵜」と書くのは日本独自の用法とのこと。

カラスの項。「スズメ目カラス科カラス属」書かれてみると今更ながら、スズメの一族かと驚いてしまう。カラスは「烏」と「鴉」の漢字が使われている。「烏」という漢字の成り立ちは、カラスは全身真っ黒なのでばっと目には目が何処にあるか判らないので「鳥」から目の部分の横棒を取り除いたと、中国では昔から説明されている。著者は出来過ぎじゃないかと指摘しているのだが。また、「鴉」の左側の「牙」は音読みで「ガ」で、カラスの鳴き声を表している。ニワトリでも「鶏」と「雞」のように同じ偏で「鳥」と「隹」をつけるが、カラスの場合「牙」に「隹」は「雅(みやび)」となる。カラスも「鴉」と「雅」という漢字で表記されていたとすると、カラスは本来洗練されたイメージを持って捉えられていたのではないかとも推察されるという見方も、こうした漢字表記の分析的見方から納得させられるというのも面白い。

このように、本書には多くの動物が登場する。彼らの漢字表記の歴史とともに、文化的・雑学的知識への興味を沸き立たせてくれる。知らなかったことも多いし、そうだったのかという納得感もある読書になった。いつもながらの乱読風の読書だったが、動物毎の文章を季節の変化と共に一項目ずつ読み進んで行くのも面白そうだ。

加えて、登場する動物たちとの私の出会い体験も思い出として沸き上がらせてくれた。「雲雀(ひばり)」の項を読んでいて、小学校2年生の時、東京の小学校から長野の松本市の小学校に転校した頃の記憶が浮かんできた。東京の下町で育った私にとって田園が広がり、北アルプスを遠望する信州の自然に囲まれた生活はまったく異質の世界だった。そこで、雲雀が畑から空に向かって「ピーチュル、ピーヒョロ」と鳴くきながら飛び立ち、また地上に急降下し舞い戻ってくる姿を目の当たりにして、これが本物の「ひばり」なのかと感動した。本を読んだりして「ひばり」という鳥の存在は知っていたものの、知識と体験の違いを明確に認識した小学生の貴重な時間だったと思い出す。

そんな、自分の体験を重ねつつ、新たな知見にも接するという時間を本書は与えてくれた。(内池正名)

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2020年6月17日 (水)

「カブラの冬」藤原辰史

藤原辰史 著
人文書院(156p)2011.1.20
1,650円

「第一次世界大戦期ドイツの飢餓と民衆」とサブタイトルを打たれたこの本は、「レクチャー 第一次世界大戦を考える」というシリーズの一冊。京都大学人文科学研究所の共同研究を基に刊行された十数冊のうちの一冊だ。「カブラ(蕪)の冬」とは、日本ではあまり知られていないが、第一次世界大戦中のドイツで飢餓によって76万人の餓死者が出た事態を指す。1916~17年の冬、食糧が尽きて飢饉となったドイツでは、ふだん飼料として使われることが多かったカブラ(ルタバガ)を食べるしかなく、多くの国民が飢えや栄養失調で死んだ。

ルタバガという野菜には馴染みがない。外見は聖護院かぶらに似ているが、カブとは別種のアブラナ科の野菜。明治期に日本にも移入され北海道で栽培されたが、食用としては広まらなかった。筆者も食べたことはなく、ある人によると「加熱すると甘くなり、食感はジャガイモかカボチャ、香りはキャベツみたい」という。日本で食糧不足に陥った第二次大戦中に米の代用食として食べられたイモ類や穀類のようなものだったのだろう。

この本を読んでみようと思ったのは、著者の藤原辰史という名前にこのところ出会うことが多かったから。食の思想史、農業史の研究者として『給食の歴史』『戦争と農業』『ナチスのキッチン』など次々に本を出している。現在の新型コロナウイルスに関しても、「パンデミックを生きる指針」という文章を発表している(https://www.iwanamishinsho80.com/)。

20世紀初頭、第二帝政下のドイツは工業、科学、軍事が発展してイギリスなど列強に伍し、その秩序に挑戦するほどの経済力を備えるようになっていた。そんな「近現代史上稀に見る先進工業国の飢饉」で、なぜ76万人もの死者を出すに至ったのか。そしてその飢餓体験が、後のナチス台頭とどう関係してくるのか。そんな視点から藤原は「カブラの冬」を読み解いていく。

第一次世界大戦を戦うドイツが飢饉に陥ったのには、大きく二つの理由がある。ひとつは、交戦国であるイギリスが海上封鎖を発動して、ドイツがアメリカやカナダから輸入していた食糧を止めてしまったこと。海上封鎖は1909年に国際法上合法と認められた戦時措置で、敵国の港湾封鎖を宣言した国は封鎖線を越えようとする船舶をどの国籍の船でも拿捕し、戦時禁制品を没収することができる。当時、イギリスは世界最大の海軍力を誇っていたから、「直接の戦闘を避け、遠隔操作で相手国の弱体化を図る」ことに、その意図があった。

もうひとつの理由は、ドイツが食糧輸入大国であったこと。開戦直前のドイツはカロリーベースで全食糧の5分の1を輸入に頼っていた。輸入していた主な食糧は小麦、大麦(飼料)、濃厚飼料(牛乳、バター用)、野菜、鶏卵、肉、コーヒーなど。自給できていたのはライ麦、ジャガイモ程度だった。輸入相手国は小麦の場合、アメリカ、ロシア、アルゼンチン、カナダの順になっている。このうちロシアは交戦国になり、海上封鎖によってアメリカ、カナダ、アルゼンチンからの輸入が激減した。「交通はドイツにとってのアキレス腱」なのだった。

ドイツがイギリス海峡と周辺水域の敵国艦船すべてを攻撃する報復に出たのは半年もたってからだった。その背景には、この戦争は短期で勝てるというドイツの目算があった。ドイツが戦争を始めるとすれば、ロシアとフランスに対する二正面作戦となる。そこで参謀総長のモルトケは、まずフランスを急襲して叩き、転じてロシアを撃つという作戦を立てた。ところがパリ目指してベルギーに侵攻したドイツ軍は激しい抵抗に遭い、「マルヌの戦い」で連合国軍に敗北してしまう。以後、戦線は膠着し、西部戦線は膨大な物資と人員を要する長期の塹壕戦となってゆく。

銃後の日常生活への影響は、開戦の年から既に現れている。インフレと食糧価格の高騰が家計を直撃した。パンや小麦が配給制になり、闇経済も生まれた。やがて配給のパンにジャガイモが混ぜられるようになり、2年後にはパンでなくルタバガが配給されるようになる。

そんな食糧危機のなかで、「豚殺し」と呼ばれる事態が起きた。ドイツ全土で豚が「ドイツの敵」として大量に虐殺されたのである。豚はドイツの食卓に欠かせないものだが、こういう理屈だった。家畜の飼料消費は人間の2倍以上であり、家畜頭数を減らすことで、大量の飼料(ジャガイモなど)を人間に回すことができる、と。標的はとりわけ飼料消費量の多い豚だった。その結果、前年に2500万頭いた豚は翌年には1600万頭まで減った。屠殺があまりに急で、腸詰や燻製にする作業が間に合わず、多くは肥料にされたり、そのまま腐敗してしまった。しかし、そのことで人間に回るはずのジャガイモの在庫量は、屠殺の後でも増えることはなかったという。

そんなエセ科学的精神主義のひと幕の後に、「カブラの冬」がやってきた。1916年は凶作だった。前年に5400万トンの収穫があったジャガイモは2500万トンに激減。秋には食糧危機が深刻化し、飢饉といえる状況に陥った。都市下層民の主食は、パンからルタバガになった。飼料だったルタバガを少しでも美味しく食べるため、「ルタバガスープ、ルタバガ炒め、ルタバガスフレ、ルタバガサラダ、酢漬けルタバガ、煮込みルタバガ団子、ロールキャベツのルタバガ詰め」などのレシピが配られた。豚肉の代わりに、カラス、スズメを食べることも推奨された。

「カブラの冬」の最大の犠牲者は子供と女性だった。飢餓に打ちのめされたドイツ人の憎悪は、敵国だけでなく国内の敵であるユダヤ人と社会主義者に向けられた。その記憶が十数年後、大恐慌の不況のなかで蘇る。「飢餓の反省を最も厳しく、しかも強烈な憎悪とともに内面化したのがナチズム」なのだった。

『我が闘争』に続いて出版されるはずだった『第二の書』のなかでヒトラーは、かつての敵の兵士となら和解できるが、裏切り者とはできない、と述べている。第一次世界大戦のとき、戦闘では勝っていたのに国際的なネットワークを有するユダヤ人と社会主義者、国内の裏切り者が共謀して革命を起こしたためにドイツは敗北した、というわけだ。「背後からの一突き伝説」と呼ばれる。ワイマール共和国時代のナチスの選挙ポスターには、子供や家族のイラストとともに、「飢餓と絶望に対抗せよ! ヒトラーを選べ」「僕たちを飢えさせないで! 飢餓と寒さに対する闘争に身を捧げよ」といったキャッチが印刷されている。「世界恐慌期の日々のパンへの不安がナチ党を政権の座に押し上げる。15年ほど前の飢餓を体験した民衆にとって、飢餓からの解放というスローガンは、それぞれの体験の度合いに応じて、重みを持って受けとめられたに違いない」

最後に藤原は、「20世紀的な暴力感覚」について触れている。ナチスによる空前絶後の暴力の象徴として、アウシュビッツが挙げられる。でも藤原は、フォード工場のような大量生産システムでユダヤ人を虐殺したのと同質な暴力感覚を、イギリスによる海上封鎖にも見ている。敵国の国民を飢えさせることを目的とし、実際76万人の餓死者を出した海上封鎖は、「良心の呵責を感じずに相手国の住民を攻撃でき」、「敵を遠隔操作で消し去る暴力感覚」においてアウシュビッツに先んじ、アウシュビッツと同じものである、と。その暴力感覚は、その後も広島長崎から枯葉剤、クラスター爆弾、ドローン攻撃といった形で現在までを貫いている。「第一次世界大戦以降の時代を生きる人間たちの精神の、おそるべき基調」だと藤原は言う。

ところで、生きるか死ぬかという飢餓の集団体験は現在の日本人にはほぼない。でも「新型コロナウイルス以後」の世界で経済のグローバリズムは停滞あるいは後退するだろうから、食糧だけでなくいろんな物資の実質的「海上封鎖」が起きる可能性は高い。実際、ロシアやカザフスタンが小麦に、インドやベトナムが米に輸出規制をかけはじめた。この国でも食糧の自給率向上が目指されて久しいけれど、実質的な成果が上がっているとは言えない。でもこれからの世界は、地球規模でも一国内でも否応なく食糧やエネルギーのローカル化、地産地消の動きが強まっていくだろう。グローバリズムの弊害が露わになったいま、そのこと自体は悪いことではないと思う。その一方、自国さえうまくいけばよしという自国ファーストの姿勢は新たな分断をつくりだす。第一次世界大戦と大恐慌後の世界はブロック経済化し、ブロック間の競争と対立が第二次世界大戦を生む原因のひとつになった。そんな歴史も踏まえながら、これからの世界がさらに対立と分断を深めていくのか、それを修復する動きが生まれてくるのかに目をこらしたい。(山崎幸雄)

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2017年2月18日 (土)

「彼女のひたむきな12カ月」アンヌ・ヴィアゼムスキー

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アンヌ・ヴィアゼムスキー 著
DU BOOKS(332p)2016.7.21
2,592円

神田の東京堂書店で新刊の棚を見ていたとき、文学書のコーナーでアンヌ・ヴィアゼムスキーという名前を目にしてぴんときた。そういえば彼女、女優をやめた後、小説家として有名になったんじゃなかったっけ? 帯にはこうあった。「ゴダールに恋した青春の日々。19歳のアンヌの葛藤と成長を描く、自伝的小説」

学生時代に新宿のアートシアターで見た『中国女』(1967)の一シーンを思い出した。三白眼の大きな目。キュートに尖った唇。肩にかかる茶髪をたくしこんだ中国の人民帽みたいな帽子に、やはり人民服のようなシャツ。赤い毛沢東語録を持って拳を振り上げている。中国文化大革命の紅衛兵に倣った女子学生。実際、このとき19歳のアンヌ・ヴィアゼムスキーはパリ大学ナンテール校で哲学を学ぶ学生だった。

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2013年12月15日 (日)

「海路としての<尖閣諸島>」山田慶兒

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山田慶兒 著
編集グループSURE(160p)2013.11.3
2300円+税

サブタイトルには「航海技術史上の洋上風景」とある。著者の山田慶兒は東アジア科学史の専門家。『中国医学はいかにつくられたか』や大佛次郎賞を受けた『黒い言葉の空間』などの著書がある。学問の世界で高い評価を受ける専門家が現実の政治問題、しかも尖閣諸島という日中間で炎上しているホットなテーマを取り上げたのが本書である。航海技術史という窓から見ると、尖閣諸島にはどんな風景が広がっているのか。

尖閣諸島が初めて文献に現れるのは中国の明代で、例えば『順風相送』には「釣魚嶼(魚釣島)」「黄尾嶼(久場島)」「赤尾嶼(大正島)」と記されている。『順風相送』というのは東アジアの海洋を航海するための指南書だ。こうした指南書は船乗りたちの間で書き写され、伝えられたハウ・ツー書で、彼らは必要に応じて手を加え、自分だけの冊子をつくった。それは自分だけのものであると同時に、仲間から伝えられ、仲間に伝えもする船乗りの共有財産でもあった。

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2013年8月19日 (月)

「階級『断絶』社会アメリカ」チャールズ・マレー

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チャールズ・マレー 著
草思社(560p)2013.02.28
3,360円

「ホワイト・トラッシュ(白いクズ)」という言葉を初めて聞いたのは確か『8マイル』という映画のなかだったと思う。白人ラッパーとしてスターになったエミネムが主演した自伝的映画。デトロイト郊外、貧困地域のトレイラー・ハウスに住むエミネムが、アフリカ系ラッパーに馬鹿にされながらMCバトルに挑戦する話だった。

エミネムの母(すっぴんのキム・ベイシンガーが素敵だ)は離婚し、小さな娘はほったらかし、酒浸りで若い男におぼれている。母は働かず、代わりにエミネムが市内のプレス工場でバイトしながらラップに入れ込んでいる。車を持たないエミネムはバスで工場に通う。その車窓に映る荒廃した町の風景が忘れられない。「ホワイト・トラッシュ」という言葉は、アフリカ系ラッパーがエミネムと仲間たちをそう呼んでいたのだったか、エミネム自身が自分たちを自嘲的にそう呼んでいたのだったか。

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2013年6月22日 (土)

「開店休業」吉本隆明・ハルノ宵子

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吉本隆明・ハルノ宵子 著
プレジデント社(260p)2013.04.23
1,575円

吉本隆明が死んで一年が経つ。当日テレビ・ニュースを見て「吉本リュウメイが死んだ」と家人に呟きながら、時代の変化を「誰かの死」という事象でしか体感しなくなっている自分に気づいたことを思い出す。吉本隆明に影響を受けた事は何かと問われても特段なにがある訳でもないのだが、「言語にとって美とは何か・第一巻」、「共同幻想論」の二冊は評者の使い慣れた本棚の一角に永らく陣取ってきているし、埴谷雄高の「虚空」とともに、なんとなく神棚のお札のような感じである。今年5月になって、立て続けに、「吉本」本が出版された。高橋源一郎と加藤典洋による「吉本隆明がぼくたちに遺したもの」岩波書店刊と本書「開店休業」である。

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2013年3月18日 (月)

「カラスの教科書」松原 始

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松原 始 著
雷鳥社(399p)2012.12
1,680

タイトルの通り本書はカラスの生態に関するものであるが、専門書的な書きぶりではなく、ちょっとした知的好奇心をくすぐる読み物として面白く書かれている。著者曰く、読み手によって本書はいろいろと姿を変える。カラスの初心者にとっては「教科書」であり、地方自治体の清掃・環境担当者にとっては「強化書」になり、カラス嫌いに対しては「教化書」、カラス大好き人間の「狂歌書」にもなるという。真面目な本であるが、著者の器用さや柔軟な発想がふんだんに仕組まれた本になっている。当然評者はカラス初心者なので「教科書」として読み進んだ。

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2012年10月 3日 (水)

「風のなまえ」榎本好宏

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榎本好宏 著
白水社(236p)2012.06.26
2,310円

著者は昭和12年生まれ、団塊の世代より一世代上。略歴によると「杉」という俳句誌の責任者を永く務めた人で、句集に限らず幅広い著作が紹介されている。本書も俳句の季語をベースとしているものの、和歌・漢詩・民話・ギリシャ神話を始めとして、日々の生活や生業たる農業・漁業などの伝統に根付いたさまざまな「風」にまつわる話で本書はまとめられている。大きくは春夏秋冬に加えて無季節という章をつくり、五つの区分で「風」を語っている。読んでみると、意味と成り立ちを再認識したものや、初めて知った「風のなまえ」もあり面白く読むことが出来た。季節の生活習慣・行事・生業といったものに関連して名付けられているだけに日本各地の多様性も反映されて、その名前は様々につけられている。

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2011年12月10日 (土)

「考えの整頓」佐藤雅彦

Kanngae

佐藤雅彦 著
暮しの手帖社(288p)2011.11.01
1,680円

著者はいわずと知れた電通の「CMプランナー」として名を馳せた人物。現在、東京藝術大学映像研究科や慶応大学環境情報学部で教鞭をとっている。慶応大学の授業では「新しい考え方を考えよう」という方針を示しているようだ。映像・アニメーション・脳科学・表現学といった領域をカバーして新しい発想を創るという佐藤の活動の一端は「考える」という点で本書においても貫かれている。佐藤雅彦の名前を知ったのは、NECのCM「バザールでござーる」やNHKの「だんご三兄弟」などの映像表現を通してであり、新しい表現者という認識をしていた。

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2010年8月13日 (金)

「画家たちの『戦争』」河田明久ほか

Gaka

河田明久ほか 著
新潮社 とんぼの本(128p)2010.7.25
1,575円

東京・竹橋の国立近代美術館には153点の「作戦記録画」が収蔵されている。その一部が小出しに公開されてはいるものの、なぜかすべてが同時に公開されたことはない。 この153点の絵画は、第二次世界大戦中に日本軍から委嘱されたり、中国や南アジアへ派遣され従軍した日本人画家が制作したものだ。藤田嗣治、宮本三郎、小磯良平といった日本の絵画史に名を残す画家たちが参加している。 こうした公式の「記録画」だけでなく、民間の朝日新聞社が組織した大東亜戦争美術展などで発表されたものを含め、第二次大戦をテーマに描かれた絵画は総称して戦争画と呼ばれる。戦争画は、近代美術館に眠る「記録画」の全体像がきちんと公開されたことがないことからも分かるように、戦後、見ることも論ずることもタブー視されてきた。これらを見る機会が増え、戦争画について論ずる文章が活発に書かれるようになったのは、ようやくこの10年のことだろう。

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