「PLUTO プルートウ」第1~3巻 浦沢直樹×手塚治虫
この作品は鉄腕アトム・シリーズ「地上最大のロボット」(1964)のリメイク版ということになっている。僕は原作を読んでいない(読んだかもしれないけど忘れてしまった。高校時代、白土三平やつげ義春が面白くなってきたころだから、たぶん読んでない)。
原作を知っていれば、あるいは先行して連載が続いている『ビッグコミック・オリジナル』を読んでいれば、また別な感想があるかもしれないけど、単行本第3巻までを読んで感じたことをメモしておこう。
なんといっても読者の最大の関心は、鉄腕アトムが浦沢版ではどんな姿に描かれるのか、ってことだろう。浦沢はそれを十分に意識して、最終ページでアトムを効果的に見せるための布石として第1巻全体を使っていると言ってもいいくらい。
結果、浦沢アトムは手塚アトムとはまったく似ていない、ロボットではなく普通の人間の外見をもった男の子として登場した。ほとんどすべての日本人のイメージのなかにある手塚アトムの線は、まったくと言っていいほど感じられない。
つづいて第2巻でウランが、これも可愛い普通の女の子として登場したとき、ああそうだったのかと気づいたことがある。アトムとウランの兄妹は、
『MONSTER』の主役ヨハンとアンナの兄妹とよく似ている。とすれば、ヨハンとアンナはアトムとウランだったのか。
『MONSTER』では手塚治虫の名はどこにもクレジットされていないけれど、明らかに手塚マンガを下敷きにしていた。もう一人の主役Dr.テンマの名前
は、鉄腕アトムの生みの親・天馬博士から取られている。そのDr.テンマは追われる身となって、逃亡しながら病人を助けるシーンがあるけれど、これはブ
ラックジャックだ。
ブラックジャックであるDr.テンマが瀕死の少年ヨハンを助けることによって、実は呪われたモンスターを蘇らせてしまう。その逆説的なストーリーが、浦沢
の手塚治虫へのオマージュと、同時に最後には正義と科学が勝つ手塚ワールドを暗黒の側へ反転してみせようという意図を表していた。
ヨハンとアンナの兄妹がアトムとウランだと考えると、浦沢アトムにはヨハンを経由してモンスターのイメージが重ねられることになる。そう考えると、浦沢が鉄腕アトムをリメイクしようとすることの意図がはっきりしてこないだろうか。
こう考えてもいいかもしれない。手塚治虫は長いこと少年マンガの世界で仕事をしていたから、当然のことながらジャンルの制約を負っている。悪の世界を主役
にすることはできない。でも手塚マンガのなかにも、子供にひそむ邪悪さ残酷さを部分的に体現しているキャラクターがいる。
「三つ目が通る」の写楽がそれで、普段は絆創膏でふさがれた額の三つ目が露わになると、写楽は呪文とともに闇の世界を呼び出してしまう。浦沢は、手塚治虫
がジャンルや時代に配慮しながら描いたそんな暗黒世界を拡大してみせようとしているのだと考えられるかもしれない。
『PLUTO』に戻ろう。このマンガがアトムではなくプルートウをタイトルにしたところに、すでに浦沢の意図が表れている。アトムが、実はモンスターだっ
たヨハンのようではなく、あくまで正義を体現するキャラクターだとしたら(監修・手塚真、協力・手塚プロという縛りもある)、この物語でアトムは最後まで
脇役にすぎないだろうと予想する。
いや、もちろん原作があることだから、最後はアトムが悪の世界を滅ぼすのだろうけど、浦沢がどちらに肩入れしてストーリーをつくるかははっきりしている。
プルートウとは何者なのか。第3巻の最終ページ、角を生やし、不気味な叫び声をあげる真っ黒な怪物としてようやくその姿を現すけれど、まだプルートウが何
者で、何をしようとしているのかははっきりしない。次々に殺人を犯すプルートウをコントロールしているらしき男は、こうつぶやく。
「魂の彷徨か……。お散歩はもういい。戻ってこい。おまえの体は、これ以外ないんだ」
人工知能が高度に発達した結果、意志や感情を持ち、外見も人間と区別がつかないロボットが登場した時代のこととして『PLUTO』は設定されている。世界
に7体しかない最高水準のロボット(アトムもそのひとり)は、ロボットを弾圧するアジアの独裁国の紛争を解決するのに大きな役割を果たした。その最高水準
のロボットが次々に何者かの手で破壊されてゆく。
どうやら物語は、憎しみや殺意を知ってしまった人工知能と、それを操る人間に対して、殺意を持った人工知能を阻止しようとする側との戦いとして進行するら
しい。けれど浦沢マンガのことだから、正義と悪が画然と対立するのではなく、両者が混沌とし、入り乱れる世界として展開するのだろう。
ロボットの見る悪夢が繰り返し現れるあたりは『ブレードランナー』(と原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』)を、秘密を知っているらしい隔離された
瀕死のロボットのイメージは『羊たちの沈黙』を思わせる。またホラー映画やスペースシャトル・チャレンジャーの爆発など、手塚マンガ、そして浦沢マンガの
常としていろんなイメージが作品のなかに流れ込んでいる。
イラク戦争や、『MONSTER』と同様にヨーロッパの歴史の暗部が背景になっているあたりも、その時々の世界の現実や歴史を貪欲に作品に取り込んだ手塚治虫のマンガをきちんと踏まえている。
普通の男の子の外見を持つアトムは、やがて来る戦いのときに、どんな姿に変身するのか。それまでのリアルな絵と、原作がある以上避けられない手塚マンガ的な線との折り合いをどうつけるのか。そのあたりも作者の腕の見せどころだ。
しばらくは、新しい巻が出るのを待ちわびる楽しみが続きそうだね。(雄)
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