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2008年11月 6日 (木)

「江戸の判じ絵」 岩崎均史

Edo 岩崎均史著
小学館(143P)2004.04

2,520円

ヨーロッパ人から日本人は ユーモアのセンスがないかのように言われることがある。英国人の辛らつなユーモアにはこちらもついていけないのだが、落語を説明しても文化の違いからか 「金毘羅参り」のような言葉遊び的なおちでは分からせるのは容易でない。東西共通のユーモア小噺のテーマは「男・女」「金」「食べ物」といったところだろう。

さ て、本書は判じ絵について体系化された初めての本ではないだろうか。版も大きいし、絵そのものも楽しめる。歌麿をはじめとして国貞、国芳など錚錚たる作家 のはんじものもあれば、浮世絵作家が名を成す前に子供向けに作成したものなど多彩であり、手の込んだ刷り物が数多く収録されている。基本はことば遊びなの で絵を見れば分かると言うわけにも行かず、やっぱりこのユーモアは外人には理解できないだろう。

沢山の判じ絵とその読み解きが収録されている中で一部項目ついて未解明(つまり答えが分からない)とされている部分がある。今回、目を通したのは 2004-4発行の第二刷であるが、2004-1発行の第一刷に比べると未解明部分が減ったとのこと。ということは第一刷発行後早々に読者から解答が寄せ られたということだろう。

それでもところどころに未解明が残っているので読者のチャレンジを待つと筆者は宣言している。世の中の多くの人が江戸時代のなぞなぞに挑戦している状況はわが国の文化レベルの高さを感じてしまう。そんな大人のクイズ本である。

表紙に書かれている、蝦蟇(ガマ)が真面目な顔をして、茶筅でお茶を点てている図は「茶釜」と読ませる。デザインの秀逸さが光る。これを見ただけでこの本を手に持ってみたくなったあなたの文化レベルは高いです。

それにしても江戸と言う時代は日本人として感性を弾けさせた時代だと思う。いわゆる庶民が経済力を含めで力を付けてきた時代であるし、寛政の改革で個 人、特に素人の名前を浮世絵に記してはいけないとの制約が施行されると、早速なぞなぞ的な表記で規制をかいくぐるという官に対する図太さも身に付けていっ た時代だった。

こうした日々の生活の中に溶け込んだ文化の力は現代から見ても圧倒的である。判じ絵を、暮らし、自然、人名、長文、謎染、暦と言ったカテゴリーに分けて 図示、解説、解答を記している。謎染は歌舞伎役者の手拭のデザインとして各役者が作らせたものだが、たとえば市村羽左衛門の手拭は「一本と六本の格子の中 に『ら』の字を配し」いちむらと読ませるデザインや、七代目市川団十郎好みの「鎌の絵」と「O(輪)」とひらがなの「ぬ」の組み合わせで「かまわぬ」と読 ませるデザインなど文化年間に一世を風靡した謎染は優れたデザインを数多く生み今に生きている例である。

このような例外を除くと現在まで引き継がれているものは少ない。筆者も始めて目にしたものに山東京伝が経営していた袋物屋(喫煙具商)の判じ絵で描かれ た売り出しチラシは江戸中の大評判をとったようで、いわゆる広告文章全体を判じ絵で表している好例とされている。しかし、残念なことにこれは実物は現存し ておらず、この本では例外的に古い目録からの複写が掲載されている。このように判じ絵が庶民文化であるが故になかなか保存・研究されるチャンスはなく、個 人の趣味者などに分散されて所有されているものが多いようだ。巻末の所蔵・協力の一覧をみても本としてまとめあげる苦労は十分理解できる。

日本人の持つポップな感覚とデザイン、そしてとことん遊び心を追及した「なぞなぞ遊び」はもっと広く知ってもらいたい分野である。この本にちりばめられ ているダジャレ・ナンセンスの感性は時代を経て戦後の大ギャグ漫画家である杉浦茂に投影されているように感じるのは筆者だけだろうか。(正)

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