「僕とライカ」 木村伊兵衛
昨
年出版された「定本 木村伊兵衛」はさすがに大写真集で「さあ、どうだ」と言った気合の塊であったが、「僕とライカ」はゆったりと家でコーヒーでも飲みな
がら読むと、一章ずつがまるで木村に講義をしてもらっているような錯覚に陥るほど、かれの肉声が聞こえてくる。本当に道具としてのライカが好きだった人な
のだと納得する。自分の写真そのものを後講釈でグダグダ語ることもなく、自然に、そして丹念にシャッター・チャンスを狙い、ものにしてきた彼の姿勢は自然
体そのものといってよい。
本の前半は傑作選と銘打った写真と各々に木村のエッセイや談話から編集・作成された解説を載せている。その解説が本書の名脇役になっているのも見逃せな
い。評者の好きなスナップ「西片町付近-1953」には次のように記されている。「東大前を入ると明治以来の学生下宿や秋声、啄木、四迷などが住んでいた
ので有名な森川町がそのまま残っている。入口の交番の前にカメラをすえると、そばの八百屋の主人やお巡りさんが写真のことについていろいろな質問をしてき
た。」
また、人物写真に対する木村の姿勢は、いかに人物の内面を映し出すかに注がれている。
「ここ二、三年来の私の撮影態度は、瞬間写真の場合に往々にして起きて来る、チャンスを掴むと云う様な当り外れのある偶然性の上に生まれた撮影方法ではな
く、被写人物と撮影者とが四つに組んで、必ずその人物を写し出さねばおかないと云う心を打ち込んだ意気込で撮影にかかっているのである。・・・」(
写真文化-第一集 1938 )
「短焦点レンズで、極端なパースペクティブと焦点の深さを利用して、一つの画面に二つの動きを入れて、夫婦生活の親しさを表現した・・・・」(与謝野秀氏夫妻1950 図版解説)
後半のエッセイはカメラを手にしてからの自伝に始まり、ライカについて、名取洋之助の死に際して、土門拳との対談、パリの出会い、等、過去に各種カメラ
雑誌・写真集で発表された文章を丹念に集めている。これらのエッセイを読んだ上で、前述の「定本 木村伊兵衛」にまとめられた250点以上の写真群を通し
て見てみると、木村の狙った視点や彼の思いの変化がより理解出来る。それにしても木村は派手さのない写真家だなあという印象は否めない。50mmや
73mmのヘクトールを基本としていることや自ら仕掛けない作風がそれを助長しているのかもしれない。
例えば、土門の「筑豊の子供たち」や「古寺巡礼」の一枚、一枚の写真からは被写体土門自身が透けて見えるように自我が感じられる、名取の仕事でいえば、
岩波写真文庫で見せた、一貫した写実の志向性、独特な質感(重量感)に溢れた写真の積み重ねは名取の写真家として、またプロデューサーとしての腕力そのも
のである。その点、木村の世界のなんと人間的なことか。そして、大人の心を揺れ動かす視点がそこにある。土門や名取は物体の新しい見方を提示するのに対し
て、木村は既視感を感じさせるリアルさがある。木村と同時代を生きた人たちはその既視感をもっと上手く説明するに違いない。
機械としてのカメラ、光を取り込むレンズ、光を感じるフィルム、印画紙といった刻々と進化する技術を取り込んだ上で、時代を支える普通の人間群を独特の
眼差しでとらえていく姿勢で、ライカという類まれな道具を駆使して、戦前から戦後にかけて長い間スナップ写真・報道写真・人物写真などの持つ新しい可能性
を木村は追求してきた。そこで表現された写真や本書に掲載されている文章群からも、木村の「心栄えの良さ」がよく判る。
昭和16年に東方社の設立とともに、写真部長として戦時国策の対外宣伝グラフ雑誌である「フロント」の制作に関わった木村であるが、撮影資材・紙・印刷
など金に糸目をつけない環境で仕事をしたプラスは数多くあったと思うが「私の写真生活」の中で語ることは少ない。木村の「心栄えの良さ」を考えると写真部
長といった組織を任される仕事は得手ではなかったろうにとも思われ、「フロント」の時代は写真家としてのチャレンジの大きさよりも、結果的に付随的な雑務
に追われた期間だったし、国策に乗っかったと言う後ろめたさが何処かにあったのだろうかとも想像する。
1974年に木村はその生を閉じたが、生きていれば、その後のカメラの進化をどう評価するのだろうか。デジタル・カメラを使うのだろうか。新しい画像表
現を作り出していくのだろうか。それとも、相変わらずライカM3を持って林立する高層ビル群を歩きながら、粋な女性にレンズを向けるのだろうか。そんな想
像をしてしまいたくなる読後感である。(正)
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