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2008年11月14日 (金)

「おもひでぎょうじ」絵 百瀬義行 監修 柳原一成

Omoide 絵 百瀬義行 監修 柳原一成  
晋遊舎(96p) 2008.08.08
1,260円

一年間の日常行事を、百瀬義行(スタジオジブリ)の水彩画と柳原一成の文章で紹介。ゆったりとした大人の絵本になっている。絵からの印象は昭和三十年代の感じを受けるのだが、作者としては、もう少し下った時代を想定しているようだ。「むかしこどもだった、すべてのひとへ。どこかにしまったまま、忘れていた大切なもの 昭和四十年代。季節に抱かれた家族の情景」と本の帯にある。その中の一枚の絵、落ち葉降る中、紙芝居を見る子供達を描いた秋の風景を見るにつけても、東京下町育ちとしては、紙芝居屋が自転車で公園や路地に来ていたのは昭和三十年代だろうと思う。そんな時代感はともかくとして、絵柄はあくまで子供達が主役。周りに両親や祖父母・友達などが登場する。

春夏秋冬に分けて家族の情景を水彩画で描いている。そのタッチは柔らかく、アニメの明暗くっきり、輪郭はっきりとは対極のもので、水彩の特性を活用して主題を表現しており、技法としても適切なのだろうなと思う。読む側も、そういえばあの頃はと思い起こす心象風景はいささかぼんやりしているところもあり、水彩画の柔らかさが心地よい。

百瀬は当初は「天才バガボン」や「ド根性ガエル」の原画を書いていたようであるが、’88年高畑勲監督の「火垂るの墓」でのレイアウト・作監補佐をしたと きからスタジオジブリで活動をはじめ、スタジオジブリの各種作品で絵コンテ作画や監督などを務めていた。百瀬の作品を以前から気をつけて見ていたわけでは ないので、これを機会に彼が演出した「ハウス食品 おうちで食べよう シリーズCM」の絵コンテを見てみた。暖かい人間関係を表現しようとする意図強く感 じられ、登場する人物のちょっとした表情の動きが緻密に表現されている。その効果を狙っている作風である。言い換えると、良い意味で「百瀬という表現者」 が不器用なまでに人間的であり、見る側の自由なイメージの醸成を拒んでさえいるようだ。淡くやわらかいタッチと計算された緻密さの対比の面白さを感じる。

文章は江戸料理研究の第一人者といわれている柳原が書いている。彼は自分で野菜を育て、魚を釣り、食材を訪ねて歩いている、実線派の料理人である。

この二人の絵と文章で紹介されている行事は極く身近なもの。春は「入学式」「ひな祭り」「花祭り」「端午の節句」「潮干狩り」。 夏は、「七夕」「土用の 丑の日」「夏祭り」「お盆」。 秋は、「お月見」「お彼岸」「ぎんなんひろい・栗ひろい」「七五三」。 冬は、「すす払い」「ゆず湯」「お正月準備」「大 晦日」「お正月」「おせち料理」「七草粥」「豆まき」など。

また、季節ごとの旬の食材や草花が別に描かれており、俳句の季語のオンパレードで日本の四季を楽しむという趣向である。

娘が小さかった頃一緒に七夕飾りを作ったものだが、子供が独立して夫婦ふたりの生活になるとこうした行事も遠ざかる。一言で季節の行事といっても、子供達 が主役の行事や生活に染み込んでしまっている行事とに大きく分かれて行っているようだ。そうした普段気にも掛けずに行っている行事の中にも、その由来や意味などは初めて知ることも多い。

本書も孫に読み聞かせるつもりで手にしたものだが、読み進むと自分自身で勉強になるというのが実感。「ひな祭りの菱餅の色の意味は」と問われて、はたと答えに窮する。正しく答えられる諸兄も当然居られると思うが、浅学菲才の身では読んではなるほどと思うばかり。このような「なるほど感」が随所に発見される というのも嬉しいような悲しいような。

「・・・ひなあられと同様に飾り、食する菱餅には魔よけの力があるとされました。雪が融け芽が出て花が咲く、という春の息吹を表す三色(白・緑・桃)を 使って作られます。また、白は「清浄」、緑は「健康」、桃色は「魔除け」の色ともされました。・・・もともとは家族全員の厄をはらう行事。子供が男の子だけの家庭であっても、小さなおひな様を飾ることは、とても意味深いことなのです。・・・」

端午の節句の菖蒲湯についての説明で「くす玉」の由来を知る。

「・・・平安時代から菖蒲や蓬など香りの強い草で邪気をはらう行事が行われていたのです。菖蒲を浮かべた湯につかるだけでなく、葉や茎を袋に詰めて毬の形にし、五色の糸でかがった「薬玉(くすだま)」を飾るのも当時の流行でした。今では紙ふぶきが入っているくす玉も、もともとは厄除けのおまじないだったよ うです。・・・」

七五三について、七歳の意味を知る。

「昔は七つまでは神の子といわれ、七歳未満の子供の運命は、神様が決めるとされていました。医療が未発達だった時代は、幼い子供が亡くなることも多かったのですが、それも神様が決めたことと考えられていたのです。そして、晴れて七歳になると人の子となり、社会の一員となります。・・・感謝をこめて、神様に手を合わせるのです。それほど七歳を迎えることは特別のことだったのです。・・・」

従って、着物も七歳からは子供用の付紐付きのものでなく、大人と同様の本裁ちの着物になるということである。

まあ、こうした行事について伝統とか継承とか大げさに言うつもりは無いが、なんとなく行事の日の過ごし方を身につけていたので全ての「何故」を説明出来るわけではない。

「・・・行事にこめられた昔の人の祈りや願いは「病気になりませんように」「悪いことが起こりませんように」とか「今の暮らしが悪い方向へと傾かないように」願う、といったささやかなものであった。・・・・」

そうだ、庶民のささやかな望みだからこそ、行事として我々の心の中だけでなく、生活の中に脈々と息づいているのだろう。今年も酉の市が始まる。ところで「何故、11月?」。答えは本書を参照のこと。(正)

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