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2008年11月 5日 (水)

「日本経済復活への序曲」田中直毅

Nihonk 田中直毅著
日本経済新聞社(283p)2003.12.11

1,680円

手に取るのが恥ずかしいほど直截なタイトルではあるが、質の高い啓蒙書だ。そもそもこの本は一年前に出版を予定 していたものが何の都合か昨年末(2003-12)に発刊が遅れたとのことである。昨今の先行き不透明な環境では、とくに経済物の本は時宜を逸すると噴飯 ものになりかねないのだが、この本に限っていえば一年遅れはかえって良かったのではないか。

小 泉構造改革のはかばかしくない進展、イラク戦争の泥沼化、金融インフラの継続した不安定さなどが指摘される中で、株価を見れば除々に好転して来た時期でも あり、日本経済の転換点を探る田中の試みは評価を得やすい時期にあるといえる。経済団体のリーダー達も昨年の「夜明け前」から今年は「夜が明け始めた」と 表現しているし、中小企業の活力の芽生えも感じさせる。

その点を田中は、2003年3月期決算から2004年3月決算予想の流れを見ると企業による設備投資循環が生まれつつあること、それも資本金規模が小さ な企業(資本金一億円から十億円)で借入金の増大と運用として長期資金需要というかたちで設備投資への需要増を「法人企業統計季報」から読み取っている。 そうした循環論からの現実把握に加えて、

「かっての日本経済には、一国資本主義は可能という前提があった。国内におけるケインズ主義的な総需要管理政策さえあれば、国際社会からの影響を遮断し、 総需要のレベルを制御できるとする考え方である。しかし実際には国境をまたぐ経済活動の活発化により、・・日本の政策運営はこの見極めに失敗した。」

この失敗は構想力と現実直視を欠いた政策展開と田中は主張する。それは1960年代の財政支出による総需要の刺激策の成功や1970年代後半のマネタリ ズムによる金融政策が多勢を占めた事実。すなわち「一国におけるマネーサプライの供給の伸び率と名目成長率の伸び率、物価の動向の間に一定の安定した関係 が存在するという知見」による政策運営が過去行われてきたが、これらの政策は国境を越えたマネーの動き(変動相場制)によってその政策効果を疑われること となった。

田中の提唱するモデルは「経済学のレベルにおける、環太平洋経済のプレートテクトニクス」である。太平洋をはさんだ生産基盤同士のダイナミズムは米国と 韓国・台湾の関係が密になったことを証明しているし、2001年からは日本と一部中国がその経済運営のプレートに乗ったという仮説である。したがって「日 本がこの共通プレートにおいて、どのように振る舞い、共通のプレートに乗っている他の主体に対してどのようなメッセージを発するのかが重要である。日本に おける政策割り当てを考えるとき、こうした近隣関係はもはや無視できない。」このような状況は「政策協調」ではなく「政策連動」に発想を変える必要性を示 している。こうした見方はG7各国による政策協調のレベルの限界を示すとともにEU対環太平洋プレートの間の生産構造としての地政学的な異種構造として捕 らえるべきとの主張である。

またその失敗は、戦後日本の政策基盤、特に経済政策運営におけるケインズ主義的マクロ手法にとらわれてきた結果としている。「総需要」と「総供給」の二 分法として経済を捕らえて、仮に総需要<総供給であれば需要拡大のための政府支出を行うという手法である。ただし、逆の総供給側の調整といった手法はほと んどとられたことはなかった。これは1990年代を通しても日本の経済運営の特徴であった。

「OECD加盟国のなかで、九十年代においてこのような二分法にもとづくマクロ政策を継続した国は日本を除いてない。EUにおいては、不況現象が生じ、総 需要と総供給の乖離が発生しても、政策を通して総需要を積み上げる手段はとられなかった。・・・米国においても、クリントン政権の登場過程でも、総需要と 総供給の対比では総需要が不足していたが、政府の歳出は抑制された。こうした政策の考え方は、経済社会内部からの新しい取り組みを待つという手法であ る。」そして「小泉内閣になり、初めて二分法を排除した政策展開がとられている。企業・企業家の努力によって潜在的需要を発掘し自らリスクを負い将来に対 するコミットメントを行う経営層の指導力だけが経済システムの内部からの回復力につながる。こうした考え方が現実によって確かめられる局面にある。」

この本が対象としている読者層を仮に団塊の世代前後だとすると、その世代が学んだ経済学はケインズの「一般理論」であり、学部の教科書の多くはサミュエ ルソンの「経済学」だったはずである。そこで埋め込まれた発想や考え方が現実を捉える際の限界を示していると田中は言いたいのかもしれない。この10年ほ どで米国の経済学の教科書はグレゴリー・マンキューの「経済学」が占めているといわれる。それは一国経済を説明するマクロ・モデルを排し、より広域、且つ 時系列的に経済を理解させようとする今日的な教科書である。日本の大学でも採用は進んでいるようだが、企業・企業家の自立的努力が日本経済の回復に必須と いわれている中で、その多くが新しい経済理論・考え方を知らずに活動していることへの警鐘である。(正)

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