「原寸美術館」 結城昌子
「傑
作といわれる作品を生み出した画家たちは、いつの時代も真摯な挑戦者だった。たとえそれが注文による仕事であっても、真っ白なカンヴァスに向かうとき、彼
らは孤独な表現者になる。・・・・忘れてならないのは、そこにはあらかじめ描くべきものなど何もなかったということ。すべては、ひとりの画家の手もとから
生れているのだ。巨匠たちの手もとに迫りたい。その願いの一端をかなえるため、本書はつくられた。傑作を原寸で体験することは、画家の制作現場に立ち会う
ことに似ている。その醍醐味がある。・・・」
各々の絵についての説明は定型的な画集と同様に美術史的にのっとった解説を行い、時代背景や経緯を理解することが出来るとともに、一部分を原寸に表して、その技法・素材といった画家の努力を見る楽しみのガイドとしている。
また、その他アイデアが詰め込まれた画集である。例えば、まず対象の絵の全体が示され、その横に薄い影の人間が添えられている。その姿は身長170cmを
想定して描かれているのだが、それによってまず絵の全体の大きさを読者にイメージさせるといった工夫は面白い。
レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザについてスフマート技法といわれるその表現方法が良く判る。二度現物を見たことがあるのだが、どうも稀代の名画とい
われる「モナリザ」を前にするとこまごまとしたところに気が回らず全体像を見て満足してしまう。そうした存在感のある絵画だが、輪郭を描かず指でなぞるボ
カシ技法(スフマート技法)を活用した空気遠近法とは「物と物との間には空気があり、その層の厚さに従って物の色が青さを増していくという考え方」だが、
そう説明されて原寸大で見て見ると「モナリザ」の背景である暗く沈んだような風景が緻密というか、愚直な程描き込まれていることが判る。
アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」という絵は水彩画の小品にもかかわらず毛の一本一本まで微細に表現されたいきいきとしたウサギは体温さえ感じるよ
うだ。これを見ると技法を語る以前に圧倒されてしまう。確かに透明水彩絵の具とグワッシュと呼ばれる不透明水彩を特性により使い分けた表現であると説明さ
れているが、ここまで来ると画家の筆遣いを楽しむという本書本来の楽しみ方が実感できる。
エドゥアール・マネの「フォリー・ベルジェールのバー」。マネは印象派の画家達から高く評価されていたものの彼は印象派の展覧会には一度も出品していない
という。しかしコントラストの強いこの絵を見て印象派との感じは持たないし、どちらかというとキッチリと書き込まれた印象をもっていたが確かに原寸で見る
グラスやバラの花の表現は荒々しく、チューブからそのまま搾り出した絵の具をカンヴァスに置いていくといった「アッラブリマ技法」そのものである。
しかし、そうした大胆な筆致と絵の具使いの結果、画全体としての質感の表現は写真的な写実の時代を超えた表現にもかかわらず、写真以上のリアルさを感じさ
せることに成功したと思う。しかし、マネ最晩年の1982年に描かれたこの画も含め、彼の絵に対する評価は散々なものであったといわれている。芸術の評価
とは難しいものである。
楽しく面白い画集で、もうひとつの絵の楽しみ方を教えてくれる。同時に、原寸の科学とも言うべきヒントもありそうである。「地球儀」対「電子顕微鏡」と
いった極端なものの見方が横行する中で「原寸・等身大」という極めて「人間的」な把握の仕方の中で人の動きや時として感情さえも理解できるという大切さも
教えてくれる。それは「絵・作品」の理解というよりも原寸大の筆致から「画家」本人の体温を感じることができるという面白さに他ならない。この画集は歴史
や教科書的な知識を持った前提で、あえてそうした知識を捨てて楽しむ上質な大人向け絵本である。(正)
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