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2008年11月 4日 (火)

「博奕の人間学」森巣 博

Bakuchi 森巣 博著 
飛鳥新社(254p)1979.07
1,575円  

すべての道はカシノに通ず
「人間は賭けをする動物である」と喝破したのは『エリア物語』を書いたラム、世界の賭場、賭人と渡り合い、今なお現役の著者がその間の22冊の『カシノ日誌』を基に記した激闘の書。カジノではない、カシノが正しいといった博奕用語の解説が随所に登場、さらに世界の賭場で交わされるその国の独特のタームが勉強になる。

例えば「ファック」という言葉は汚く、「ボンク」が適切という具合。本拠は豪のキャンベル、カシノ歴は30有余年、得意は『牌九』(パイガオ)で全豪選手権保持者である。

面白いのは、賭場における、あるいは人生における世界の格言の数々、アフォリズム的に使われているが、博奕は共通の言語であることが如実にわかる。「ど んな博奕から出発しても、結局はカシノの博奕にたどり着く」が通底したテーマだが、その博奕で勝利を得ることはこれまた至難、堕ちゆくために博奕はある と、著者は言う。胴元がいるからだ、ただし日本の様にトート(テラ銭を取る形)ではそれが当てはまるが、ブッキー(胴を取る人)相手のみそれが当てはまら ない、だから、外国では、胴人がパンクすることもある。

ゲーム性に違いがある

独特の博奕観がある。ゲーム性の高い博奕、例えば、麻雀がそう、競馬だってその範疇に入る。かつてラスベガスにも6カ月間だけ競馬場が造られたというが、カシノの刺激にはかなわず敗退している。なによりも、運、勘、そして見が効く世界が賭場だという。

例えば、碁、将棋の世界に勝手に招来する運は皆無だ。勘は自らの運気の察知力、最後の見(ケン)、ゲームを中断する、もしくは張りを小さくする、あるい は降りて立ち去る勇気、自らの頂上を見極める力だ。ルールが複雑であったり、経験や熟達の腕が要るゲームには賭金は必ずしも必要ではない、それだけで面白 いからだ。

世界一の博奕国民はかの紳士の国イギリスである。1388年リチャード二世以来の禁止令の決着は「人の死にかんするものを除外する。すべての賭博の形態 を許可する」の敗北宣言であった。ちなみに、この人の業に対して吉田兼好は、勝とうと思うな、「できるだけ負けをおくらせるようにしなさい」と言っている という。博覧強記の程がいささか鼻に付くことを我慢すれば、これほどの人生達観書もないだろう。(修)

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