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2008年11月 6日 (木)

「永仁の壷」 村松友視

Einin 村松友視著
新潮社(317p)2004.10.24

1,785円

1960年(昭和35年)に発覚した「永仁の壷」贋作騒動は国民的事件として報道されたが、時とともに語られることも少なくなってきた。当事者だった加藤唐九郎も小山富士夫も物故して、事実を語るべき人が居なくなってしまったのも理由のひとつだろう。一方、この事件は語りつくされたとも思えない。「永仁の壷」と題されたこの本を手にしたとき、久しぶりに、この事件を村松がどう捉えようとしているのか興味を持った。

過去、この事件の構図は、ひと癖もふた癖もある陶芸家加藤唐九郎と文化財保護委員会の一員として「永仁の壷」の重要文化財指定に尽力した小山富士夫の二人を唐九郎悪玉、小山善玉として描いてきたものが多い。

本書は「わたし」が、とある割烹料理屋で小山富士夫作のぐい呑みにめぐり合ったことから始まる。東京駅での突然の職務質問、文士を騙った古い宿泊詐欺事 件。いくつかのプロットが組み合わされて、どこまでが小説なのか定かでないままストーリーが進んでいく。それらは、常に本物と偽者・贋作の対比として書か れている、同時に各種資料・文献を引用しながら「永仁の壷」事件の読み解き方を示している。特に小山富士夫に焦点をあてた見方は「永仁の壷」事件に関する いくつかの書物を読んできた評者にとっても新鮮であった。

「永仁の壷」事件の要素はいくつかの部分に分けて考えるべきと評者は思っている。

「永仁の壷」は戦前、自らの技術の誇示を含め、習作として古い作品を模倣し、いわゆる「写し」として加藤唐九郎が作った瓶子である。こうした作品は過去も 現在もあらゆる芸術分野で行われていることである。この時点で唐九郎自身、志野茶碗「氷柱(つらら)」を世に出し、当時の大茶人である益田鈍翁にこの茶碗 の銘をもらっているというそれなりに名を知られた作家である。現在もこの茶碗に対する評価は高い。

次に、この瓶子を満州の新宗教団体立ち上げのため象徴として使いたい、ついては「古い年号と銘を彫ってほしい」との依頼を受けて、唐九郎は永仁年号を彫り こみ壷を焼き上げた。この話は唐九郎が語っていることであり真偽の程は定かでないが少なくともこの時点で習作から贋作としてこの壷は世の中に送り出され た。

戦後、金に絡んで、この壷は骨董として世に出て来る。彫られた文字の多少の違いから「永仁の壺」は三つあったとされる。唐九郎は戦後、自ら編集した「陶器辞典」のグラビアにこの壺を永仁年間の壺として紹介した。これは明らかな意図的な詐欺行為である。

最後に、昭和34年の文化財保護委員会において小山富士夫の強い推薦でこの壺は重要文化財に指定された。このとき、技官たる小山は社団法人陶磁協会の理事 に名をつらねている。唐九郎も理事、佐藤進三という専務理事は三つあったといわれる「永仁の壺」のうち二つの売買に関係した。広田理事は美術商であり、骨 董店「壺中壺」の店主など、錚々たる美術商達が理事になっている。

こうした関係から「永仁の壺」事件は唐九郎の一人芝居という見方に対して、陶磁協会を舞台に同じ穴のムジナが仕組んだという見方があることにも注意をして おく必要がある。すなわち「贋物を恐れるな。贋物を買えない人間に、骨董なんかわかるものか」といった言葉が語られるのが骨董界である。まさに「真物と贋 物のあいだの不可思議なゾーン」と村松が言う世界なのだ。

そして、翌昭和35年に事件発覚、唐九郎が自らこの壷を戦前に作ったことを認めるに及んで、昭和36年重要文化財指定取消と早いテンポで事件は進んだ。

村松は小山が事件後も陶磁界で非常に早く復権していったことに注目している。不思議なことに唐九郎も小山もこの事件で沈むことはなかった。そして広いよう できわめて狭い、陶芸界、骨董界、美術界の中でしかるべき立場を持ち続けていった。陶芸界の要職に就きながら小山は各地の名窯に滞在して作陶を精力的に 行っていたといわれる。

こ の間に作られたぐい飲みが、それも三つの料理屋で個別にめぐり合うというつながりを通して語られている。村松のこの本にこめた思いを汲み取るとすると、作 家として評価されている自分と作家という着物を脱ぎ捨てたあとの自分(小説を書いていない作家)との乖離と対比して、「永仁の壷」事件の被害者たる文化財 審査委員としての小山と陶芸界でそれ以前から生きてきた小山富士夫を描きたかったのだろう。

そ れはすなわち、被害者としての小山ではない、事件後も沈まなかった小山を描くことに注力している。「永仁の壷」に翻弄された一人の男というだけでなく、陶 磁界に生きた小山という男を描いている。それにしてもこの事件は多くの問題を提起したまま風化しようとしている。( 正 )



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