「アナ・トレントの鞄」クラフト・エヴィング商會
「い
まはもう昔・・・ 「ミツバチのささやき」という映画を観たとき、主人公を演じるアナ・トレント嬢が手にしている鞄が気になった。・・・あるいはもっと単
純に「気に入った」というべきか・・。その鞄を手に入れたいと夢見るうち、誰かに奪い取られたようにごっそりと時間が流れた。時移り、2003年9月。サ
ン・セバスチャンで開かれた映画祭のポスターに「ミツバチのささやき」をモチーフにした不思議な写真があらわれた。三十年前の映画の一シーンを再現してい
る。・・かってのシーンのとおり立っているのはアナなのだが、驚いたことにそのポスターのアナは良く見るとかっての少女ではなく、成熟した女性として、し
かし少女のときの格好のまま、こちらをじっと見つめている。・・・あの懐かしき鞄も健在だった。・・・」
「ミツバチのささやき」は1973年に公開されたとき、サン・セバスチャン国際映画祭の賞を受賞し、出演時アナは6才だったはずだ。若いときに観た映画の
一シーンは時折鮮明に思い出すときがある。それは映画全体の筋書きというより映像としての強い印象だ。吉田にとって、そうしたシーンのひとつはアナがどこ
までも続く線路に立つあのシーンなのだろう。日本版の映画プログラムの表紙にもなっていたシーンだ。
そして、30年後のアナ・トレントを同じシーンで見て、「もう一度」あの鞄を探したいという気持ちは良く判る。そして古今東西、あらゆる時空へ向けて仕入
れの旅が始まる。スペインの地図を手にアナ・トレントの鞄を探しながら、日常生活の中で心ひかれたり、あったら好いなと思う品々をイメージとして膨らま
せ、商品らしく紹介する。パッケージングもされて写真で示す。
このクラフト・エヴィング商會というのは吉田浩美・吉田篤弘夫妻の制作ユニットでいままでも架空・空想・願望の世界を表現してきた作家である。クラフト・
エヴィング商會の作品の中で多くは空想の商品や物を精緻に造り上げて読者に見せるという力点が強かったと思うが、本作は文章の持つイメージと小物の作品、
それを表現する写真の要素は程よく構成されているように思う。緻密で精巧な仕掛けを期待する読者には物足りないかも知れない。
私の気に入った商品を二・三取り上げてみる。
「---おかしなレシピ----
本当は何ひとつおかしくない。きわめて詳細なレシピ集である。きわめて真っ当なレシピ集である。すなわち------、
“ 懐かしい夜のほのぼのとした牛乳の沸かし方” から、“ひとりぼっちだけれど、クリスマスなので鶏の丸焼きをどうしても食べたい人のための前向きなレシピ” まで。」
「---マアト-----
Maat(マアト)とは、古代エジブト人が魂の重さを量るときに使った羽根の名前。天秤の片方にこの羽根を載せ、もう片方に魂を載せて量る。・・・この菓
子、箱は同じであってもそれぞれに名前がある。菓子の重量によってさまざまな天使の名が与えられる。・・完成した菓子を職人が厳密に量り名前が決められ
る。
・・・例えば、18グラムであれば「ラファエル」。16グラムであれば「セラフィム」というように。重さと名前は、菓子に付けられた小さなラベルに記され
て即座に封印される。ここでは「即座」が何より重要だ。なにしろ「有るか無きか」なのだから、のんびりしていたら、即座に消えうせてしまう。従って、菓子
は即座につくられ、即座に計量され、即座に命名されて、即座に封印される。当然ながら、食す側も即座に購入し、即座に包みを解き、即座に口に放り込んで、
「・・・・」
即座にこの世から消えてなくなる。」
「おかしなレシピ」を読むと、思わずそのレシピの内容を読みたくなるし、「マアト」を読むとそんなお菓子を実際に作って売ってみたくもなる。軽くあとを引く読み心地が良いのだろう。
アナ・トレントの鞄に惹かれて、クラフト・エヴィング商會の世界を一回りしてみた。「捜し求めた全34商品すべて一点かぎり」と題する本書は力ずくで彼ら
の世界に引き込むという強引さは薄い。例えれば、露天で店を広げているおやじが暇そうにタバコを吸いながら、素見する客を相手に品物を売り込むでもなく日
かな一日過ごしている。値切ろうとした客には売ろうともしない。気に入ったら買っていけば、といった素っ気無ささえ感じられるそれにしても、読者の空想力
が試される大人の絵本である。( 正 )
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