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2009年1月29日 (木)

「カムイ伝講義」田中優子

Kamui 田中優子 
小学館(
340p2008.10.6
1,575

「カムイ伝」を初めて読んだのは高校時代。それも授業中のことだったな。あのころ、熱の入らない科目や教師の時間には授業中にいろんな本、雑誌が回ってきたっけ。創刊されたばかりの『平凡パンチ』、山田風太郎の(男の子には)刺激的な忍法帖シリーズ、岡村昭彦の南ヴェトナム戦争従軍記が載った『世界』……。そんななかに『月刊漫画 ガロ』があった。『ガロ』は白土三平の「カムイ伝」を連載するために創刊された雑誌で、ほかに水木しげるやつげ義春の奇妙な味の作品が掲載されていた。僕が初めて読んだとき、「カムイ伝」は連載が始まって6回目か7回目だったと思う。

東京オリンピックが終わり、東海道新幹線が開通して、世の中はまっしぐらに高度成長に突き進んでいる。

すべてが都会的に明るくクリーンになっていくなかで、「カムイ伝」は忍者ものという内容も掲載された雑誌自体の手触りも、小学校時代に読んだ貸本漫画のざらざらと暗い空気と土臭いエネルギーを湛えているのが異様だった。そしてなにより抜け忍カムイを中心とする群像劇の圧倒的なストーリー・テリングの面白さに回し読み仲間は興奮した。

……なんてことを書きはじめるときりないんだけど、『カムイ伝講義』が法政大学での田中優子の講義とゼミが元になっていると知ると、僕らが授業中にひそかに読んだ「カムイ伝」も『平凡パンチ』も『世界』も山田風太郎も、あれはもうひとつの「自主授業」「自主ゼミ」だったんだよなと思いたくなる。

田中優子はこう書いている。この本は「『カムイ伝』の作品論や作家論ではなく、その背景である江戸時代について書いたものである」。つまり著者が学生たちに江戸時代を教えるに当たって、その素材として「カムイ伝」が適当と考えたわけだ。

白土三平の描写は、大学のテキストに選ばれたことからも分かるように、きちんと史料に当たり、史料にのっとってヴィジュアル化されている。田中によると、江戸時代に描かれた図版はたくさんあるけれど、たとえば農民生活の細部についての図版は少なく、しかも都市住民(絵師も消費者も)の目でゆがめられていることが多いという。

「カムイ伝」には3人の少年が主役として登場する。非人(穢多)の子・カムイ。農民(下人)の子・正助。下級武士の子・竜之進。舞台は架空の藩である日置藩。藩は山と海に接しているから、農村もあり漁村もある。

田中優子は、「カムイ伝」の多くの人物と場所が絡みあう描写のなかから、ひとコマひとコマの奥に何を読み解けるのかを引き出してみせる(「カムイ伝」から250コマ以上が引用されているのは、版元が『カムイ伝全集』を出している小学館ならでは)。

非人と穢多とは身分がどう違い、職能や住む場所がどう違うのか。正助は川に堰をつくるなど土木工事を進め綿花栽培や養蚕を試みるが、この時代、農業技術はどう革新されたのか。貧富の格差でいえば、士農工商の別より同じ階級内での格差のほうがはるかに大きかったが、下級武士はどんな生活をしていたのか。

都市住民の排泄物は下肥(しもごえ)として商品化されたが、その循環のシステムと流通経路はどうなっていたのか。一揆は無秩序な暴力行為ではなく一定のルールに沿った訴訟行為だったが、それはどう行われたのか。和泉・紀伊の漁民がどのように移動しながら東日本に漁法を伝え、定住していったのか。銀山などの鉱山がいかに世界市場につながっていたのか。

たとえば正助たちが綿花を栽培する背景を、著者はこう解説している。

日本の綿花は室町時代に朝鮮木綿の輸入に刺激されて国内生産が始まり、江戸時代に入ると飛躍的に生産量が増えた。江戸時代は日本史上唯一の「綿花・木綿の時代」だったのだ。肥料には干鰯(ほしか)を使うから、漁業の人手とシステムと流通が市場を介して農業を支えていた。また今でも東南アジアで使われている綿繰機は、この時代に日本で発明されたと言われる。

こうして木綿は農民が日常着る衣料になったが、これはブルージーンズに似たごわごわした野良着で、絹を知る都市住民には使われなかった。都市住民が木綿を着るようになったのは、絹のような肌触りの木綿が開発されてからで、これはインドから輸入された細い糸のインド木綿(縞木綿)を技術改良によって国産化することに成功したからだった。

「国産のものと輸入のものとが共存しながら、江戸時代はインド木綿(およびインド的木綿)の市場が作られていたのである。インド更紗は一方でヨーロッパに広がり、イギリスで生まれた英国チンツや、フランスで生まれたフランス更紗が江戸の市場に入ってくる。こうして、日本の綿花栽培、木綿生産は東アジアの中ではもっとも遅い出発ではあったが、江戸時代をつくる重要なアイテムとなり、また江戸にアジアを呼び込み、世界の商品を受け入れる契機になったのである」

田中優子の江戸論を読んでいるといつも、この本もそうだけど、教科書で習った「鎖国」などという江戸のイメージがどんなに実態とかけはなれていたかを教えられて目ウロコ状態になる。あるいは「虐げられた農民」というイメージも。

「百姓とはもともと、自分たちの手で家を建て、屋根を葺き、水をひき、道具を作り、田畑を開墾し、布を織り、仕立て、あらゆるものを修理する能力を持っていた。『カムイ伝』の百姓こそ、そういう人間たちである。自らの工夫で桑を栽培し、養蚕を試み、干鰯を手に入れ、便所を作り直して下肥を確保し、綿花を育 て、新田開発をおこない、商人を巻き込んで流通をおさえ、圧政に対しては一揆で対決する、そのような百姓の力を、『カムイ伝』は描いている」

この本の最後の章は「武士とは何か」と題されている。そこでは竜之進が自問自答する3コマが引用される。

「百姓が作り、武士がうばう……」「武士はいったいなんのためにあるのだ…」「もし、武士がなくなれば……」

田中優子は水谷三公の仕事を参照しながら、武士とはもともと戦闘者集団であり「武士道」を看板に掲げながら、刀を抜かなければならない事態を極力避けようとした集団だったと言う。そのありようは現在の官僚やサラリーマンに似ている。また幕藩体制そのものが武力による軍事独裁ではなく、武家諸法度を中心とした法治国家だったから、武力で事を解決することを慎重に回避した。

だから江戸時代の武士はそもそも矛盾をかかえた存在で、常にアイデンティティーの危機にさらされていた。そして彼らは生産から切り離されていたから、どのように農民が生産し漁民が捕獲するのか、それがどのように流通して彼らの口に入るのかを知らず、なぜ何も生産しない武士が存在できるのかを知らなかった。それが竜之進の自問に象徴されている。

無論これは作者・白土三平の近代人としての問題意識が竜之進に語らせたセリフだけれど、ここまで来れば、田中優子が学生たちに何を伝えたかったかがはっきりしてくる。

「『カムイ伝』は江戸時代を舞台にしながら、その向こうに近現代の格差・階級社会を見ている。百姓たちの努力の果てに、それを乗り越えた社会も見ている。しかしその史観がユートピア的社会主義ではない証拠に、カムイは常に『いま』を否定して漂白し続けているのだ。『カムイ伝』の魅力はそこにある」

本書の扉には、白土三平描き下ろしのカムイのイラストが置かれ、こう書かれている。

「いまもカムイはどこかに潜んでいる」(雄)

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