「『東京裁判』を読む」半藤一利、保阪正康、井上亮
1956年に「戦争裁判関係資料収集計画大綱」の決定に基づき法務省が収集した東京裁判関係資料がベースとなっている。この計画の特徴は「後世の研究材料として使用されるよう。特定の研究目的ではなく無色透明な態度,歴史としてこの時代を読まれるため」としているように恣意的な資料収集を排除して、収集可能な資料を精力的に集めたものだったようだ。英文と日本文の裁判記録、証拠として却下された資料、裁判のため準備したものの証拠として申請されなかった資料、弁護団から提供された資料などが集められている。
しかし、この膨大な資料は、その後法務省の倉庫に保管されたまま公開されることはなかった。1999年に国立公文書館に移管後、2008年になってマイクロフィルム化とインターネットによる資料目録の検索が出来るようになったことでこの資料へのアクセスの容易性は急速に高まった。それを機に、半藤一利、保阪正康、井上亮の三人による資料の読み込みと検討会が行われ、その成果をまとめたものが本書である。
この三人は半藤が1930年生まれ、文芸春秋で編集者として活躍し、中学生のころ東京裁判を傍聴した経験があるという世代。保阪は1939年生まれのノンフィクション作家。井上は1961年生まれの日本経済新聞社の編集委員という経歴。世代の違いがあるものの、昭和史に対して積極的な活動を続けてきた人たちだといえる。本書の構成は、裁判の進展に沿って資料がまとめられ、局面毎(起訴状、検察側立証、弁護側立証、個人弁護、最終論告、判決)に三人の対談が行われ意見を述べ合っている。
全体の流れの中でポイントのひとつは、本書タイトルにもあるように「資料を読む重要さ」を強く指摘している。わが国において過去60年間、この戦争や裁判が史観として定まっていない理由として「読まざる」論争がされてきたことと、当事者が感情を持ってあたかも歴史として語ってきたのではないかという見方である。資料を丁寧に読むことによって歴史に肉薄出来るとする姿勢である。
「・・・・東京裁判を『勝者の史観』として全否定しても、敗者の泣き言である。・・・裁判を丁寧に分析し、事実の裏づけのあるものと、そうでないものをしっかりと仕分けしていくことが勝者の史観の歪みを正す最善の道である。・・・そのためには勝者・敗者が何を主張して、何が是認され、何が否定されたのかを記した文章の読解が不可欠である。従来の東京裁判論争はこれを欠いていた『読まざる』論争だったのではないか。・・・」
そして、この考え方の延長線上から、資料・文書に対する日本人の弱点を指摘している。
「終戦直前後の日本は重要文書をことごとく焼却して、歴史上致命的な損失を被った。加えて今ある文書も公開されず、公開されても読もうとしないことは焼却と同様の『財産放棄』ではないのか・・・・・」
東京裁判文書の中でも「文書不在証明」とか「焼却証明」といった記述が数多く残っていることは知られている。本来あったはずの文書が見つからなかったとか、焼却されていたことを認定したという事実。一方、ドイツ帝国では第二次大戦下の国家重要書類は全て完全に残されていたという。そうした比較を聞くとなんとも情けなくなるのだが、わが国は証拠も、そして歴史も焼き捨てられてしまったという事実は「読む」という努力以前の問題としてもっと反省すべきだろう。こうした文書・証拠が無いことによって、東京裁判以外でも、多くのB級C級裁判で救われるべき被告を救えなかったという側面も否定できないと言われている。もっとも、文書があると「真の責任者」が処断されるということだが。
東京裁判に係わるもう一つの論点として、「天皇の不訴追」による歪みが透けて見えるのだがどうだろう。天皇不訴追はマッカーサーの判断で裁判当初からの決定事項であったから、検察側冒頭陳述でも共同謀議という東京裁判の重要訴因を形成する「御前会議」には触れられていない。二・二六事件における天皇の決断や終戦決定の御前会議での聖断などを考えると、東京裁判において開戦時の天皇の決断の意味はもっと議論されるべきだったという意見もある。
また、東條英機を始めとして、弁護側反論などでの歯切れの悪さは時として奇異に感じられるところがある。天皇を守るという一心がその不自然さを生んだのか。一方、内大臣であった木戸に対する証人喚問は避けられている。木戸を証人として喚問すると「天皇」に触れざるを得ないという恐れからだったとも言われている。
そして、11ヶ国で構成されていた検察団は判決の際に7対4の多数派と少数派に分かれていたという。小生は知らなかったのだが、裁判長のウエッブは多数派ではなかったとのことで、「天皇が訴追されるべきであったと示唆するつもりではない」としているものの、「被告の刑罰を決定する際には、天皇の免責を考慮に入れなければならない」と述べており、「最高の責任者」が免責されているのだから、被告を極刑に処すべきではないという意見であったようだ。このように、天皇不訴追という事実はいろいろな歪みを生じさせたと思えるのだが、この点だけに関しては三人の意見はやや腰が引けていると読んでしまうのは酷か。
今回の公開によって初めて見出された資料についても深く分析されている。それは東條終戦手記といわれるもので、1945年8月9日にポツダム宣言受諾を決めて、翌10日に首相官邸で行われた首相経験者で構成される重臣会議の質疑に始まり、8月14日にいたるまでの東條の文章である。優秀な官僚としての東條の面目躍如たる内容である。すなわち、そこには天皇に対する恭順の姿勢と国民に対しての冷徹さが際立っている。東條の人となりがよく出ているというのが保阪の見立て。
確かに、終戦の期に及んでも、「屈辱和平、屈辱降伏」「新爆弾に脅えて、ソ連の参戦に腰を抜かし」などと、時の鈴木貫太郎首相を批判しているかと思えば、「相当の実力を保持しながら遂に其の力を発揮するに至らず」と戦争継続が可能であるかのように言い、
「もろくも敵の脅威に脅へ、簡単に手を挙ぐるが如き国政指導者及び国民の無気魂たりとは夢想だにせざりし処、之に基礎を置きて戦争指導に当たりたる不明は開戦当時の責任者として深く其の責を感ずる。・・・・」
国政の指導者であった東條が国民を「無気魂」と表現してまで罵っている。この文章に対する保阪の言葉は厳しい。
「・・・・・・反省というものが無いんですよ。軍人だから、反省したら負けなんです。・・・。」
とまれ。ここで、「軍人」という言葉を「政治家」や「官僚」や「リーダー」に置き換えてみるとあまりに普遍的な言い方で怖い程である。 (正)
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