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2009年10月 9日 (金)

「1968(上・下)」小熊英二

1968 小熊英二 著
新曜社
1094p・下1014p2009.7.7、下2009.7.31
7,140 

以前、ブック・ナビで『<民主>と<愛国>』について書いたとき、小熊英二の本はどんどん厚くなる、次の本は1000ページを超えるかも、なんて書いたことがある。半分冗談のつもりだったけど、最新作19681000ページどころか、上下合わせて2100ページ。2冊重ねると厚さ11センチ、重さ2キロ以上にな400字詰め原稿用紙で約6000枚。れでも草稿を6割に縮たそうだ。最近の中身の薄い新書は400×250程度で1冊にしてしまうから、それで換算すれば24冊分になる! この大きさ重さの本を読むのは、脳細胞だけじゃなく身体的にも楽じゃない。老眼の小生、本を読むときは眼鏡をはずし、本を少し目に近づけるから、机に置いたのでは遠すぎる。仕方なく本を手首で支えることになるわけで、そうなると頻繁に左右に持ち変えないと手首が痛くなる。読書して腱鞘炎なんて笑い話にもならないもんな。

果たして2000ページを最後まで行きつくかと心配だったけど、読み始めたらまらず、ほぼ1カ月で読みきった。「全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱」を膨大な資料を読み解いて「研究」「分析」したこの2冊本の面白さは、小生にとってふたつある。

ひとつは、叛乱の末端にいた者として、自分がその現場に居合わせたことのある出来事に触れられていること。40年たっているにもかかわらず、この本はいくつかのシーンの映像と音と匂いを昨日の出来事のように生々しく思い出させてくれた小熊は、この本を「懐古的英雄譚として描くなら現代的意義はない」と書いている。それはその通りだけど当事者にとって体験、特に若い時代の体験の記憶は消るものではないたとえ批判的にであ、そのことに触れられ感情が波立つのはどうしようもない。

例えば太平洋戦争体験者が僕らの世代には昭和史の「教科書」だった遠山茂樹らの『昭和史』(1959を読んだときの胸騒ぎと違和感もこんなだったのかもしれないこの本は公式的なマルクス主義史観で書かれていたから、戦争体験者にとっては、自分の体験がこんなふうに図式的に(しかも人民史観で)整理されてはたまったもんじゃない、と感じられたに違いない。

1968』も時に似たような違和感を起こさせるけれど、最後には著者の見方になるほどと納得させられるのは、イデオロギーや先入観にしばられず客観化しようとする著者の姿勢によるものだろう。

今から思えば、『昭和史』は戦争が終わっ1945年からわずか14年後に書かれている。『1968』が書かれたのは「あの時代」が終わって40年後。そう考えると、この本は遅すぎた同時代史なんだな先月書いた村上春樹の『1Q84』は同時代精神史とも読める)

いまひとつの面白さは、著者の小熊英二が本書の主役であるベビーブーム世代より2世代ほど若い、その年齢からきている小熊1962年生まれだから、この本がテーマとする1968年には6歳だった。6歳にとっての自分を取り巻く外界いくつかのシーンのぼんやりした風景としてしか記憶されていないだろう。

そんなおぼろげな記憶があるだけで、さまざまな事件に当事者として直接かかわったわけでも、思い入れがあるわけでもない時代を「研究」「分析」と、こんなふうに見えるなの

「あの時代の叛乱」を「政治運動」として見るなら、「学ぶべき遺産はほとんどない」。2000ページの結論は単純にして明快だ。

「政治運動」には獲得すべき目標があり、その目的に沿った具体的な行動がある。ところが全共闘運動は、特に東大全共闘が掲げた要求のほとんどを東大当局が受け入れ、にもかかわらず全共闘がそれを拒否し以後は、「体制にたいする『ノン』の『気分』の表現や、『青春の自己確認』」ではあっても「政治運動」と言えるものではなかった。

その象徴は東大全共闘が安田講堂に立て籠もったことだが、「安田講堂攻防戦は、全国の全共闘運動に『玉砕』の模倣をくりかえさえる結果をもたらした。これがその後の日本の社会運動に、最後には必ず敗北するという観念をもたらした悪影響」は大きいと小熊は言う。

小熊が「あの時代」の「政治運動」として唯一評価し、その行動様式を遺産として学べるとしているのはベ平連だが(これは前著『<民主>と<愛国>』で吉本隆明に否定的で小田実を評価していることと相似)、では全共闘運動とは何だったのか。

小熊は、全共闘運動は「政治運動」ではなく「表現行為」として見るとき初めて理解できる、と言う。

「当時(注・1960年 代)は、戦争・飢餓・貧困といった途上国型の『近代的不幸』は日本では解決されつつあった。しかし『あの時代』の若者たちが直面していたのは、アイデン ティティの不安・リアリティの希薄化、生の充実感の喪失といった、先進国型の『現代的不幸』だった。そしてあの叛乱は、そうした『現代的不幸』に日本では初めて集団的に直面した世代が、言葉にならない不安や閉塞感を、政治運動の形態やマルクス主義の言葉を流用して、何とか表現し突破しようとした行為だったのではないか」

「『あの時代』は、日本が高度経済成長によって、発展途上国から先進国に変貌する転換点だった。『第一の戦後』につくられ た、それまでの政治や教育、思想の枠組みが通用しなくなりつつあった時代でもあった。そしてあの叛乱をになった世代は、幼少期には坊主刈りとオカッパ頭で育ちながら、青年期にはジーンズと長髪姿になっていた。また都市や農村の風景も急速に変貌し、大学という存在も『真理の探究の府』から『人材育成工場』に変化しつつあった。こうした激しいギャップが、若者たちにいわば強烈なアレルギー反応をひきおこし、それが何らかの表現行為を必要としたのである」

なるほどベビーブーム世代が近代化に直面して感じた不安閉塞感が生み出したアレルギー反応。40年たってみれば、あの時代の出来事のディテール個々人の事情は遠景に遠ざかり、その行動を、「アレルギー反応」という世代の集団的無意識として取り出すことができるということか。

もっとも、それで半分は納得できるとしても、あとの半分にしこりのようなものは残る。「あの時代」を生きた者にとって(いや、誰にとっても)記憶は無数の具体的な場面と、それにまつわるいろんな感情の集積としてある。何十年たっても、記憶は常に映像と音と匂いをもったディテールとして時と場所を選ばず噴出してくる。それらは言語化をすり抜けるものだし、そんな黒々とした感情の塊が人の一生を支配することだってありうるそれはお前がソーカツできてないからだと言われればその通りだが)。

この本を読むのは、そんなふうに「あの時代」に望遠鏡をのぞきこん接近・密着してみたり、逆に望遠鏡をひっくり返してはるか彼方に時代を遠望するような巨視と微視の感覚を繰り返す読書体験だった。

小熊は2000ページにわたって、「セクト」「慶大闘争」「早大闘争」「横浜国大闘争・中大闘争」「激動の7カ月 羽田・佐世保・三里塚・王子」「日大闘争」「東大闘争」「高校闘争」「連合赤軍」「ベ平連」「リブと『私』」と、闘争の経緯を細かに追っていく。その主な資料であるアジびら、特にセクトのそれは「現在から見れば『すべてピントのはずれた芥塵の山」に違いなく、小生もあれをもう一度、何千枚、何万枚と読めと言われたらご免こうむる。小熊が「資料を読み始めた当初は、失望を禁じ得なかった」と書くのも無理はない。

そんな空しい作業を支えたのは、小熊の「歴史」を書こうとする意思であるとともに、正負を含めたあの時代の遺産を現在にどうつなげるかという社会運動家(あるいはそれを理論的に支える者)としての危機感であるように思える。

だから、同世代には巨大なトラウマとして残った連合赤軍事件も、あえて、と見えるほど簡単に切り捨てている。「連合赤軍事件は、追いつめられた非合法集団のリーダーが下部メンバーに疑惑をかけて処分していたという点では、偶然ではなく普遍的な現象である」、つまり過去の歴史のなかで、ある条件の下でいくらでも起きた現象である、と。

「感傷的に過大な意味づけをしてこの事件を語る習慣は、日本の社会運動に『あつものに懲りてなますを吹く』ともいうべき疑心暗鬼をもたらし、社会運動発展の障害になってきた。しかし時代は、そこから抜けだすべき時期にきているのである」

小熊の言いたいことはよく分かる。連合赤軍事件は、「あの時代」を生きた者の誰にも重くのしかかった出来事だった。小生のように叛乱の末端にいたにすぎない者にとっても例外ではない。

浅間山荘に立て籠もった者のなかには、兄に従っただけの高校生もいたし、その数カ月前、大菩薩峠の「軍事訓練」で逮捕された学生のなかには、目的も知らずに参加していた者もいた。ということは、ちょっとしたはずみや人間関係で、叛乱に加わっ誰もが殺す側にも殺される側にも回っていたかもしれないこの事件に直面した皆がそう思ったはずだ。

事件以後、大衆的な運動が壊滅してセクトの内ゲバや爆弾テロに過激化していったのも、そのことが大きく関係していたろう小生も、連合赤軍事件だけが理由ではないけれど、ある時期以降、政治にかかわることはやめよう、あとは市民としてやるべきことを黙ってやっていこうと決めた。小熊が「あつものに懲りて」というのは、おそらく小生だけでなかった全共闘世代のその後の非政治的生き方を指している

その
元凶となった連合赤軍事件の影が数十年に渡ってこの国をおおい、社会運動がきちんと育たなかったという認識が小熊にはある。この本には、叛乱の失敗を当事者にも納得できるかたちで客観化し、そこから何を学び今にどう生かすか、という実践的な姿勢が一貫している。そのためにこそ、大量の引用を含む2000ページという量を必要とした史書であると同時に実践的教科書。『1968』は、そんなふたつの貌を持っている

最後の最後で小熊は映画『カッコーの巣のなかで』のセリフを引きながら、「それでも、彼らには『俺はやったぜ』という資格だけはあるのだ」と、この世代の心情を救いだしている。でもこれは、言わずもがなだった。ほっといてくれ。(雄)

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