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2010年4月 5日 (月)

「趙紫陽極秘回想録」趙紫陽ほか

Chou_2「趙紫陽極秘回想録」趙紫陽ほか 著
光文社(480p)2010.01.25
2,730円

1989年の天安門事件で、学生の民主化運動を武力弾圧することを拒んで解任された趙紫陽・中国共産党総書記はその後16年にわたって自宅軟禁され、2005年に亡くなった。これは、閉じ込められ外部との接触を制限された趙紫陽がひそかに三十数時間のテープに吹き込んでいた回想録である。きっかけは、かつての部下から「後世に記録を残す歴史的責任がある」と勧められたことだったという。趙は家族にも気づかれないよう口述を録音し、ひそかに自宅から持ち出されたテープは、現在もなお軟禁されている趙のかつての秘書の手で原稿の形に整えられた。回想録(原題:Prisoner of The State)は、その秘書の息子が香港に設立した出版社から、まず英語版として出版された。

天安門事件の経緯については、さまざまな証言や情報によって大筋は明らかにされている。だから、この本で歴史を書きかえるような事実が明らかにされているわけではない。でも最高実力者だった鄧小平と差しで話すことができ、彼の支持を得ながら最終的に切り捨てられた当人の口から事の成行きを聞かされるのは、なんとも生々しい。中国の政治家、しかも党総書記まで務めた政治家がこんなふうに肉声で語るのは、歴史上はじめてのことだろう。

天安門事件の直前まで、趙紫陽は鄧小平の信頼を得ていた。事件の数カ月前、鄧は彼の自宅を訪問した趙に向かって、「中央軍事委員会主席(注・影の最高権力者だった鄧の唯一の公的地位)を辞任しようと思っている。ついては君に後を引き継いでもらいたい」と語ったという。事件直前、北朝鮮訪問を控えた趙が鄧を訪ねたときも、学生デモには法に基づいて対処するという趙の方針を了承していた。

ところが趙が北朝鮮を訪問している間に、事態は急変する。保守派の李鵬が政治局常務委員会(注・党の最高意思決定機関)を開き、「学生デモは共産党に反対し、鄧小平を標的とするものだ」と断ずる。この報告を聞いた鄧は激怒し、「学生デモは反共産党的、反社会主義的動乱である」として速やかに事態を収束するよう命じた。そのことを発表した人民日報の社説が学生を刺激し、もともと胡耀邦の死を悼むデモからはじまった抗議行動は過激化して、天安門広場を占拠するにいたる。

趙が北朝鮮から帰ってきたとき、空気は一変していた。趙は常務委員会を開いて社説の判断を修正するよう提案したが、李鵬らの反対にあう。鄧小平と差しで話をつけるしかないと考えた趙は鄧に連絡を取り、彼の自宅に出かけると、応接間には常務委員会のメンバー全員と国家主席の楊尚昆が顔をそろえていた。趙には知らされず鄧が常務委員会を招集していたのだ。

その席で趙は、学生との対話を提案する。「鄧小平はとてもいらいらして不愉快そうだった。話が終わるとすぐに李鵬と姚依林が立ちあがり、私を非難しはじめた」。改革派の胡啓立は趙を支持した。「(趙を支持していた)喬石は言葉を濁した」。「(戒厳令発令に反対していた)楊尚昆は立場を変えていた」。最後に鄧小平が決断を下す。「いまここで後退する姿勢を示せば、事態は急激に悪化し、統制は完全に失われる。よって、北京市内に軍を展開し、戒厳令を敷くこととする」。

この鄧の決断に対して趙は、「総書記として、この決定内容を推進し、効果的に実行することは私には難しい」と答えた。家に帰った趙は、すぐさま辞表を書く。

「改革は実行されており、学生らが指導者を非難するほどの大きな問題はなかったはずだ。学生の抗議運動は、たんなる不満の表れであって、政治体制そのものに異議を唱えるものではなかった。
ところが鄧老人は、この一派(注・李鵬ら保守派)が都合のいいように集めた個人批判を聞かされて、自分への甚だしい侮辱だと受けとった。この者たちは、ごく一部の学生から散発的に聞こえてくる過激な意見を選んで、それをあたかも運動の主流意見であるかのように提示し、鄧小平個人に対する非難であると主張したのだ。鄧の思考法は、階級闘争が主たる目的であった時代に育まれたもので、李鵬の報告を聞いたときも、すぐさまその思考法に従って反応したのだ。おそらく、そうした思考法が、鄧の決断の主な理由の一つであろう」

毛沢東死後に実権をにぎった鄧小平は、経済については市場原理に基づく改革開放を推し進めたが、政治的には共産党一党独裁論者だった。だから、彼自身の権力は二つのグループを基盤に維持されていた。一方で市場経済を拡大しようとする胡耀邦、趙紫陽らの改革派。他方で「ブルジョア自由化」に反対し、教条的な共産主義理論を信奉する李鵬、鄧力群らの保守派。

鄧小平の権力は、両者の微妙なバランスの上に乗っていた。だから事が起こったとき、趙紫陽にとっても李鵬にとっても、いかに鄧の支持を得るかが最大のカギとなる。さらには李先念、彭真、陳雲といった革命はえぬきの長老がいる。最高権力者の鄧小平といえども、彼らの意向を無視するわけにはいかない。

趙紫陽はこの本で、自身が頭角を表した1970年代後半からの改革開放と「反ブルジョア自由化」の両極に揺れる党指導部内の争いを回想している。改革派と保守派、長老と現役世代が入り乱れて展開する路線闘争は、歴史のなかで無数に繰り返されたこととはいえ、やはりすさまじい。

その結果、追放され、幽閉された趙は、かつては社会主義のほうが進んだ体制と考えていたけれど、内外の変化を見るうち新たな認識が生まれたと書く。

「国家の近代化と現代市場経済の実現を望むなら、政治体制として議会制民主主義を実行しなければならないということだ」

「この目標を目指さなければ、不健全な市場、権力の市場化、社会に蔓延する腐敗、貧富の差の拡大といった中国市場経済の異常な状態を解消できないだろうし、法治も実現しないだろう」

この本の共著者のひとり鮑樸がエピローグで記すように、「趙紫陽は理想を追い求める人ではなかった。現実の問題を解決しようとする現実主義者だった」。そんな現実主義者である趙紫陽が最後にたどりついた結論には説得力がある。

鄧小平が求めた共産党独裁下での市場経済という路線は、どう見ても矛盾に満ちている。市場経済は個人の自由意志と欲望の肯定を前提とする。良くも悪くも多様な利益集団が生まれ、それら多くの集団が自己利益の実現を目指す。また鄧小平が「先富論」(豊かになれる者から先に豊かになれ)を唱えたこともあって、都市と農村、沿岸部と内陸の貧富の差が一層大きくなっている。さらには元・清帝国の版図を引き継いだことから、チベット、ウィグルなどの民族・宗教問題も抱えている。

市場経済化が進めば進むほど、そうした矛盾も拡大し、やがて臨界点にいたるだろう。共産党一党支配の是非が問われるときが来るだろう。それがどのような形で爆発するのか、あるいは趙紫陽が望んだように議会制民主主義へとスムースに移行できるのか。古来から中華帝国の周辺で生きてきた民として無縁ではいられない。

と、ここまで書いたところで、グーグルの中国撤退にからんで、共産党中央宣伝部が国内メディアに18分野の取材・報道を禁ずる通達を出したという報道を読んだ(3月25日)。期せずして、いま中国がどんな問題を抱え、共産党が何を心配しているかが、くっきりと浮かび上がってくる。以下にメモしておこう。

・人民元切り上げ問題・官僚の腐敗・高額な医療費・食品安全問題(事件)・新疆ウィグル騒乱・チベット騒乱・貧富の格差・戸籍制度改革・食用油の価格高騰・党幹部の人事予想・大学の自治権拡大・大学生の就職難・四川大地震の学校倒壊問題・山西省の不良ワクチン注射事件・吉林省の製鉄所社長殴殺事件・重慶の警察と暴力団の癒着・不動産価格の上昇と住宅難・地価騰貴をあおる不動産開発業者

そしてこの通達自体がはらむ、報道・表現の自由の問題。日々の生活の問題から、制度の問題、経済格差や民族問題まで、あらゆる分野で人々の不満がふくらんでいることが想像できる。そして胡錦濤体制は、一方で経済発展を進め強大国を目指しながら、他方でこうした不満や民主化要求を抑え込み一党支配を維持しようとする「鄧小平なき鄧小平路線」を、どこまでも貫こうとしている。

晩年の趙紫陽が達したような、あるいはゴルバチョフが期せずしてその役割を果たしたような、共産党一党支配を内部から切り崩そうとする政治家は、いまの中国にいないんだろうか。仮に共産党・国防軍と民衆が大規模に正面からぶつかりあうようなことがあれば、中国だけでなく東アジアにも、世界にも大きな惨禍をもたらす。そんな事態だけは見たくない。(雄)

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