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2010年10月 8日 (金)

「自由生活(上・下)」哈金

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哈金 著
NHK出版(上下各464p)2010.09.10
各2,730円

「自由生活(原題:A Free Life)」は中国系アメリカ人作家の哈金(ハ・ジン)が、アメリカで生きるために苦闘する若い中国人一家の13年間を描いた長大な小説だ。1956年、中国・遼寧省生まれの哈金は、文化大革命の時代に人民解放軍に入隊した後、文学に目覚め、除隊後は山東大学に学んで英米文学の博士号を得た。1985年にボストンの大学院に留学したが、1989年、天安門事件に遭遇してアメリカに留まることを決意する。その後、哈金は大学で英語文学を教えながら、英語で小説や詩を発表するようになった。

彼が1999年に発表した小説第2作「待ち暮らし(Waiting)」は、英語で小説を書きはじめて10年に満たないのにフォークナー賞と全米図書賞をダブル受賞して注目を浴びた。現在では代表的な現代アメリカ作家のひとりに数えられている。

翻訳で900ページを超すこの「自由生活」ももちろん英語で書かれている。哈金自身が生まれ育った中国と絶縁し、アメリカ市民として生きることを決意するに至るまでの魂の遍歴が重ねられたこの小説は、その意味でも母語の中国語でなく英語で書かれる必要があったのだろう。

もっともこれは、波乱万丈の物語ではない。貧しい移民を受け入れることで国内に低所得者層を再生産し、その階級差を国家のエネルギー源にするアメリカという国で、中国に限らずあるゆる国からやってくる新移民が人知れず血を流す姿を、一家族に起こる小さな出来事を年を追って積み重ねる年代記のスタイルで描いている。実験的なところが少しもない、その平明で静かな筆致が心に残る。

主人公はボストンの大学に留学して政治学を研究しているウー・ナン(武男)。物語は、ウーと妻のピンピン(萍萍)が、ようやく中国を出国できた6歳の息子タオタオ(濤濤)をサンフランシスコ空港に迎える場面から始まる。

ナンは天安門事件の際、ボストンにいる中国要人の子息を人質に取ろうと留学生仲間に提案したことで中国政府のブラックリストに載せられている。帰れば逮捕されるかもしれないウーは帰国を断念し、それだけでなく学問より詩に意欲をもっていたために研究を続ける気力も失って大学院をやめてしまう。

「中国へ戻れば、必要なものはすべて用意されることになっていた。権力に歯向かいさえしなければ、教育者としての収入はもちろんのこと、寝る場所だって一間以上の部屋が与えられるのが普通だった。服や穀物、食用油や日用薬品と交換するためのクーポンも支給された。コンドームでさえ、ときどき無料で配られることがあった。しかし今となっては自分で生計を立てなければならず、しかも家族まで養う立場にあった。自由といえば、確かに自由ともいえた。何をしようが自分で決めることができた。しかしだからと言って、どんな選択肢があるというのだろう。この国で、はたして自分は生きていくことができるのか。何の支えもないことへの巨大な不安に、ナンは呑みこまれそうだった」

家族を支えるために、ナンの「自由生活」が始まる。まず工場の夜警になり、次にマンションの警備員になる。しかし民主化を支持した留学生仲間から敗北者と見られ精神的に耐えられなくなったナンは、単身ニューヨークへ働きに出ることにする。ニューヨークではチャイナタウンの中華料理店で皿洗いから始め、やがて厨房で料理を任されるようになる。

料理人としての修業を積み、貯金もたまったナンは、ジョージア州アトランタ郊外で老台湾人が経営する小さなレストランを買い、家族で移り住む。美しい湖のほとりに自宅も買ったナンは、「アメリカン・ドリームの一歩」を踏み出したが、詩作への夢を捨てきれず、中国で別れた奔放な恋人の記憶にも悩まされて心に空洞を抱えこんだままだ。

……と、こんな具合にあらすじを追ってみても、この小説の魅力を伝えることにはならない。読んでいて引きこまれるのは、ナン一家に次々訪れる、いかにもアメリカ的な小さな出来事の数々であり、一家をとりまくさまざまな中国人やアメリカ人の姿だ。彼らが引き起こすひとつひとつのエピソードが丹念に、淡々と綴られ、そんなディテールが数百ページにわたって積み重ねられることで、ナンと彼の家族が生きるコミュニティーの姿が圧倒的なリアルさで迫ってくる。

評者が惹かれたのは、アメリカに生きる何人もの中国人の肖像だ。例えばナンの友人の文学者で、民主化グループに属していながら結局は中国へ帰ってテレビ業界で働くことになったダンニン(丹寧)。彼は帰国して成功したが、「俺は快適に暮らしている。ただ番組を引き受けてそれを書き下ろし、報酬を受け取る。それだけさ」と自嘲する。

同じく民主化運動の重鎮でアメリカに亡命したリウ(劉)先生。彼は反体制派ながら強烈な愛国者で、故国に心を残し、会合でもし中国が台湾を失ったらアメリカと日本が東シナ海の覇権を握ると演説してナンを失望させる。ナンは思わず問いかける。「個人というひとりの人間にとって、国家とは何でしょう。国家が個々人に対してより良い生活を提供できないのだとしたら、或いは個人という存在に対して不利益をもたらすものだとしたら、その個人はこの国家を諦め、ノーと言う資格は無いのでしょうか」

またこんなふうに叫ぶ男もいる。「私たち中国人は自分らのプライドを持って、アメリカに対して立ち上がらなければならない。私はここに来て二年になる。それでどれだけの煮え湯を飲まされたと思う? 天津市に居た時、私は医者だった。それが今では管理人で、窓やトイレを拭いている。この私のことを誰が気にしてくれる? 誰がこの私の為に声を出してくれる? ここで中国人が本当に感じていることを、誰が分かるっていうんだ」。

博士号を持ちながらバーテンダーをしているガオ(高)は、ナン家の隣の空き家を購入しようとするが、「この地区をチャイナタウンにしたくない」という近隣の反対を受ける。彼はそれでも入札に参加するが、別のブローカーが高値で落札してしまい、こうつぶやくことになる。「お金が無いと、このアメリカでは人種差別とも闘えないのか」。ナンは答える。「と同時に、お金持ちになって初めて、国を愛することが出来るということさ」

ナンは心を故国に残したままの「国籍離脱者や亡命者」としてでなく、「移民として生きていく道」を探しながらボストンからニューヨークへ、そしてアトランタへと移ってきた。その果てに詩作に生きることを選んだ彼は、成功したレストランも譲ってしまい、韓国人が経営するモーテルのフロント係として働きながら英語で詩をつくりはじめる。

ゼロから始めたナンは、アメリカン・ドリームのとば口にたどり着きながら、自分の意志で再びゼロに戻ってしまう。生きる糧を求めて始まったナンの「自由生活」は、豊かになる夢を捨てた代償に「魂の自由」を得たことで、アメリカン・ドリームとは別の「自由生活」にたどりついた。そのゼロからゼロへのひとまわりの13年に900ページにわたってつきあうことで、ナンという一人の男の生にたっぷり伴走した満足感を味わうことができる。

高校時代、授業で教材になったイギリスの作家E.M.フォースターの「国家を裏切るか友を裏切るかと迫られたときに、私は国家を裏切る勇気をもちたいと思う」という一節に心惹かれたことがある。ナンの静かな闘いの背後から聞こえてくるのは、フォースターのそんな覚悟に近い。(雄)

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