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2011年5月12日 (木)

「地図で読む戦争の時代」今尾恵介

Tizu

今尾恵介 著
白水社(263p)2011.03.26
1,890円

昨年、旧東海道を歩いてみて地図の持つ力を痛感した。手にした地図と目の前の建物や狭い通りを確認しながら注意深く辿っていく。目標物が少ない旧道を歩くときには「勘」で進むことははなはだ危険である。曲がりくねった田舎道はいつしか方向感覚を狂わせて行く。もう一つの使い方として地図を机上に広げて実際の地形やランドスケープを想像するといったこともあるだろう。これは「使い方」よりも「楽しみ方」と言ったほうが良いかもしれない。「地図で戦争の時代を読む」ことと「戦争の時代の地図を読む」という本書のテーマはまさにそこにある。

「・・・地図で戦争の時代を読むとは、日本の近代以降にたどってきた軌跡、すなわち他国を侵略して植民地を経営し、また空襲を受け、連合国に占領された時代を地図を通して観察すること・・・戦争の時代の地図を読むとは、戦争の時代にどのように地図が情報統制され、作成者の意図で歪められたか、地図そのものを観察することである。・・・」

本書では地図がふんだんに使われているので、視覚的な理解も容易な構成になっている。ただ、なにぶん地図が小さくそこに記載されている文字や記号を読み取っていくのは評者のような老人読者にはいささか辛いところ。そうした点を差し引いても大きく四つの構成されている視点は著者の巧さをよく表している。

まず、「地図に表された戦争の傷痕」として、名古屋城周辺など空襲被害や、建物疎開と称して都市部の防火空間を確保するために強制的に住居が打ち壊された状態をその前後の地図で比較している。特に東京の蒲田付近の建物疎開によって作り出された空白地帯は今見ても十分に不気味空間である。また戦時中に不要不急な路線として廃止された鉄道も多い。東京近郊でも京浜急行逗子線、京王御陵線、高尾登山鉄道などが対象だった。しかし、あの細く続く鉄道跡地独特の空白地はそこには過去に鉄道があった場所と認識できるのも切ない姿である。

「植民地と領土を地図から見る」という章で、「少女倶楽部」の付録「学習日満地図(昭和7年)」が示されているものの、ここで著者が語りたいのは満州の地図自体ではないのだ。

「・・・欄外には『少女倶楽部のやうなよい雑誌が日本中にひろまることが、やがて日本中の少女を立派にすることと思ひます』と時の文部大臣夫人の言葉が印刷されているが、その人こそ鳩山薫、鳩山由紀夫前首相の祖母にあたる人である。こうして立派になった少女たちのうち何パーセントかは夢の大地の満州に渡って開拓農民の嫁となったことだろう。しかし、それが終戦直前に急転直下の地獄となり、命からがらそこを脱出することになるなどとは後世のわれわれだけが知っていることだ・・・」

こうした雑誌を通しても、満州を楽土として教え込まれ、文部大臣夫人の言葉まで添えられた少女雑誌の付録は罪深いものだと思う。

「地図が隠したもの」というテーマは多彩だ。昭和10年版陸軍陸地測量部の「横須賀市」を中心とする地図では等高線が消されている。横須賀線や京浜急行のトンネルも示されていない。広島県呉市も当然のごとく、明治以降、地形図から消されていく様子が時代とともに示されている。こうした、軍事施設だけでなく空白化された、もう一つの地域は皇室用地である。皇居に始まり、赤坂離宮や各皇族邸宅敷地(現在のホテルニューオータニや赤坂プリンス)などが対象であり、大正10年版の地図を見ると赤坂見附付近は空白だらけの異常な姿を呈している。

その後、昭和12年の軍機保護法に拠って、所謂、戦時改描が多くなっていく。対象としては軍事施設だけでなく浄水場、貯水池、鉄道操車場、発電所なども含まれており、改描の例として東京北部の王子・板橋・十条の付近の修正前と修正後の地図が示されている。火薬製造所や兵器製造所、工場が改描されているがあまりの完成度の低さに、地図好きの著者らしい作成者贔屓のコメントをしている。

「・・・当時の陸地測量部(現在の国土地理院)の描画の技術というのは全て手描きで非常に精緻な線を用いて等高線や海岸、河川、鉄道などを描き、活字のような文字をこれも手書きで丁寧に記入した。その伝統からみて明らかに雑である。・・・・・これはいつも国土を正確にわかりやすく描写し続けてきた陸地測量部員のささやかな抵抗のように思える。・・」

最後のポイントは軍用地の変化・変遷である。大戦最終盤から戦後の変化が大きかったエリアとして成増がとりあげられている。成増は都下の農村地帯であったが、帝都防衛のために昭和18年に急遽突貫工事で飛行場が作られたものの、すぐに終戦。戦後米軍が接収し「グラント・ハイツ」と名付けられ米空軍の家族宿舎として長く使われた。昭和46年の全面返還とともに「光が丘ニュータウン」として再開発されて現在に至っている。この半世紀に満たない期間で成増の変化の激しさは地図からも明確に理解できる。

更に近年に大変化した地域は、歩兵第一連隊と歩兵第三連隊が広大な土地を擁していた東京六本木である。第三連隊は関東大震災のあと復興建築として日本初の本格的鉄筋コンクリート兵舎建築を誇っていた。「中の字型」という巨大な且つ斬新な建物が地図からも理解できる。しかしその先進的な建物も戦後は東京大学生産技術研究所として利用されたものの、平成10年に同研究所の移転後は地域再開発のため惜しまれつつも建物は解体されてしまった。

今やその敷地は国立新美術館と変貌している。外苑東通りを隔てて歩兵第一連隊跡地は戦後保安庁と連合国の兵舎として活用された後、一括して防衛庁が使用。その防衛庁が市ヶ谷に移転した後、東京ミッドタウンとして再開発されたのはつい最近のことである。今や戦前の「歩一」「歩三」の面影は六本木の町並みからも、地図上からもまったく伺い知ることは出来ない。

こうした戦時の地図を読むという作業の結果、地図の持つ負の部分を著者は次のように指摘している。
「・・・思えば戦争の近代化は人間の視界を大縮尺から小縮尺へ変化させた。たとえば昔の白兵戦なら戦う相手ひとりひとりを見なければならなかったが、市街地に焼夷弾を落とそうとする爆撃機のパイロットの目には無数の瓦屋根が連なるグレーの模様にしか見えない・・・・」

こうした「縮尺されたものから等倍の世界を想像する力」は現代において我々はますます弱めてきているのではないか。同様の縮尺感覚は東日本大震災の報道の中でもいろいろと味わった。グーグルで震災前の航空写真と震災後の変化を見せ付けられるだけでも被害の大きさは体感できる。しかし、津波の映像の中に流される人の姿が認識出来たとしたら胸はつぶれるほど痛むに違いない。福島市に行って親戚の人たちと話をした時、彼らの言い知れぬ割り切れなさや不安感を強く感じた。それを放射能汚染がレベル表示されている地図から読み取ることは出来ない。

50年後に、今回の震災や津波の現場が復興、再開発されて地図上でどんな比較がされることになるのか。「福島第一原発」の跡地はどうなっているのか。それでも3万人近い犠牲者をその地図から感じ取ることは難しいし、原発事故で被曝した人や避難した人たちの苦労も読み取ることも難しいのだろう。地図からその時代を読む力を忘れないようにしたいものである。(正)

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