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2011年6月 8日 (水)

「秋葉原事件」中島岳志、「ホームレス歌人のいた冬」三山 喬

Akiba中島岳志 著
朝日新聞出版(240p)2011.03.30
1,470円



Home三山 喬 著
東海大学出版会(272p)2011.03.23
1,890円

リーマン・ショックが世界中を駆け巡った2008年は、この国にとっても大きな転換点だったと言えるのではないだろうか。バブル崩壊から20年近く、以来、不況と低成長にあえいできた日本にリーマン・ショックが与えた影響は大きく、戦後冷戦構造のなかで覇権国・アメリカに随伴して成長してきたこの国の繁栄が終わったこと、今後、大きく成長することはなく長期的な縮小サイクルの過程に入ったことがはっきりした。「3.11」は、この国のそんな行く末をさらにダメ押しして、誰の目にも明らかにしてみせた。

ここで取り上げた2冊は、その2008年に起こったふたつの事件、あるいは現象を追ったノンフィクションだ。『秋葉原事件』は25歳の派遣労働者、加藤智大が秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、無差別に通行人を刺して7人の死者を出した事件。『ホームレス歌人のいた冬』は、朝日新聞の「歌壇」欄にホームレスの公田耕一が投稿した短歌が連続入選し、大きな反響を呼んで10カ月後に忽然と姿を消したことを素材に、公田の足跡を追ったものだ。

『秋葉原事件』の著者・中島岳志は、『中村屋のボース』が評判になった南アジアの地域研究者。専門から離れてこういうノンフィクションを書くのは初めてではないかな。もう一冊の『ホームレス歌人のいた冬』を書いた三山喬は元新聞記者のフリーライター。中島は加藤の裁判を傍聴し、友人に取材するというノンフィクションの基本を踏んだ上で、犯行の直接の動機となったネット上の掲示板の書き込みをつぶさに分析することで加藤の犯罪に迫ろうとする。一方、三山は公田耕一が暮らしていた横浜のドヤ街、寿町に通って彼の足跡を追いかける。

『秋葉原…』は著者が30代の研究者であり、ネットが犯行に至る「現場」であることも関係して、対象に距離をおいた分析的なノンフィクションになっているのに対し、『ホームレス歌人…』は足で歩いてホームレス歌人の心に迫ろうとするオーソドックスな仕事。文体もクールな中島に心情的な三山と対照的だ。

無差別殺人を犯した加藤智大とホームレス歌人として歌を詠んだ公田耕一に共通するのは孤独ということだ。二人の孤独の質にはずいぶんと差があるけれど、派遣労働者として働いていた加藤と、リーマン・ショックでホームレスになったらしい公田と、その孤独を生み出した時代と社会構造は共通している。

加藤は短大卒業後、会社に勤めては職場放棄することを繰り返している。高校や職場に何人もの友人がいたのに、自分から連絡を絶ってしまう。最後に、自分の「居場所」は携帯サイトの掲示板だけになってしまう。彼は「自虐ネタ」や「不謹慎ネタ」で自分のキャラをつくりあげ、それに応答する何人かの相手を得た。それは彼にとって最後に残された人間関係で、ネット上の他者とのつながりは現実の人間関係より「大切」なものだった。でも加藤のハンドルネームを騙った複数の「なりすまし」が出現し、誰が本物で誰がニセ者かが分からなくなって掲示板は荒れ、その結果、「友人」たちも去ってしまう。

「なりすまし行為をやめないのなら自殺する。オレが自殺したらお前たちの責任だからな!」──加藤の書き込みだ。書き込みはさらに続く。「みんなが俺を陥れようとしている。弱いものいじめ楽しい? 楽しいんだろうね」「仲良くするふりをして、さよならするんだもの」。それから数日して、彼は自殺するのでなく、ナイフを持って秋葉原に現われた。

中島岳志は、こう書いている。

「加藤は、掲示板に繰り返し『いつも悪いのは俺』と書いた。/確かに、その通りだ。/繰り返し無責任に職場を放棄し、不満を言葉にせずに行動でアピールし、大切な先輩や友人を裏切り、借金を踏み倒し、イヤなことから逃げ続けた『俺』は『悪い』に決まっている。/しかし、加藤のような青年に対して、過剰に鞭打つように『自己責任』を強いる社会とは何なのか。……なぜ、加藤へのシンパシーは消えないのか。なぜ無差別殺傷事件は連鎖するのか。なぜ、彼らが殺傷の対象とするのは『特定の個人』ではなく『不特定の誰か』なのか。なぜ、『誰でもよかった』のか。事件は加藤だけの問題なのか。彼のパーソナリティにすべてを還元できるのか」

加藤が「誰でもよかった」通りすがりの相手に無差別殺人を起こした半年後、朝日新聞の投稿短歌欄「歌壇」に、こんな短歌が入選した。

 (柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
                     (ホームレス)公田耕一

(柔らかい時計)とは、画家サルバドール・ダリの「記憶の固執」に描かれたモチーフのこと。この歌を皮切りに、ホームレス生活を詠んだ公田耕一の歌は毎週のように入選を続けた。

 パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
 日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る
 鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか
 親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす
 
彼の歌は話題を呼び、「歌壇」欄には公田の身を気づかうたくさんの歌が寄せられた。「歌壇」欄の担当者は、「ホームレス歌人さん 連絡求ム」の記事を書いた。しかし公田から連絡はなく、10カ月後、28首の入選作(他に、活字にならなかった選外作52首)を残して投稿はぴたりと止んだ。

三山喬がこのホームレス歌人に興味を持ち、彼を追ってルポルタージュを書こうと考えたのは、フリーライターとして当然の嗅覚だろう。しかし三山にも事情があった。「中高年独身者」のフリーライターとして生活が行き詰まり、税金や保険料も払えなくなって、転職を考えざるを得ない状態に追い込まれていたのだ。「この歳ではもう、ろくな選択肢はないことは、何回かのハローワーク通いでわかっていた。……もしかしたら、このホームレス歌人の境遇は、自分の数年後の姿かもしれない」。こうして三山の公田探しは、仕事という以上の切迫した気配を帯びてゆく。

三山は、公田の歌に詠まれた「寿町」「野毛山」「親不孝通り」「有隣堂」「リサイクル文庫」といった言葉を手がかりに公田の生活圏を推測し、横浜のドヤ街・寿町に通って彼の姿を追おうとする。しかし公田は、なかなか姿を現さない。辛うじて、「クデンです」と電話をもらったという野宿者支援組織の職員(彼もまた公田に興味をもち、連絡をくれるようビラを貼ったのだが、クデンはその職員とも接触を望まなかったという)に出会う。が、手がかりはそこで途絶えてしまう。

結末を言ってしまえば、三山は公田耕一を見つけることはできなかった。しかし彼を追いかける過程で読者に見えてくるのは、ドヤ街の現在の姿だ。かつて日雇い労働者の街だった寿町は、住民が高齢化し、バブル崩壊と派遣業法の改定で日雇い仕事も激減し、日雇い労働者の街から「生活保護を受給する高齢者の街」へと変わった。現在、六千数百人いる寿町の住民の6割が60歳以上で、85%が生活保護受給者だという。そしてその周辺には、ドヤにすら住めない公田のようなホームレスがいる。

「まさに、都会の『限界集落』であり、『無援社会』を象徴する空間である。一億総中流という神話が信じられた時代、一般市民の暮らしからかけ離れた“裏社会”だったはずのドヤ街は、現在では逆に、孤独や老い、貧しさなど、日本列島を覆い尽くそうとしている風景を凝縮・先取りした“近未来団地”に感じられた」

 我が上は語らぬ汝の上訊(き)かぬ梅の香に充つ夜の公園
 温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る

公田耕一の歌はホームレスとして生きる孤独に満ちているけれども、その精神は荒んでいない。むしろ、公田に勇気づけられたという内容の歌が何首も投稿されたことからも分かるように、他者への温かい眼差しが感じられる。それが大きな反響を呼んだ理由でもあるだろう。

いま「3.11」の後、他者と他者が互いを思いやる奇跡のような時間と空間が一瞬、存在している。この時間と空間は、もたもたしていれば元の木阿弥に帰してしまうだろう。無差別殺人やホームレスを生み、どんづまりまで来たこの社会の網目を組み替える機会は、この一瞬を逃したら二度とやってこないかもしれない。(雄)

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