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2011年10月11日 (火)

「『東北』再生」赤坂憲雄、小熊英二、山内明美

Tohoku

赤坂憲雄、小熊英二、山内明美 著
イーストプレス(141p)2011.07
1,050円

2010年末、父の一周忌の後、老母を福島から東京に転居させた。代々住みなれた家は無人のまま残しておいたが3.11で屋根の瓦は落ち、土台に亀裂が入り、石灯籠は倒れ、地震保険的にいえば半壊状態となった。市内の菩提寺にある墓は一部倒壊。「余震もひどく、また倒れるかもしれないので、落ち着いてから石屋さんに修理を頼みましょう」という寺の住職の助言も辛い。数ヶ月が経ち従兄弟と話しをすると「今年の桜」の印象があまりないという。知らぬ間に福島の春は過ぎていったようだ。3.11後も家の片付けや事務処理のために月に二回は福島に戻っている。震災や原発事故に関連した数多くの書籍が出版されたし、報道もされてきた。過剰とも思える情報が発信されている一方で原発については断片的な情報も多く、その選択に悩みつつ、同時に全ての情報やデータが提示されているのだろうかという不安も続いた半年であった。

東北学で名を馳せ、東北芸術工科大学の教授から現在は学習院大学の教授、福島県立博物館の館長をしている赤坂憲雄。圧倒的な物量の資料を駆使して、時代を遡りながら「未来」を構成しようとする姿勢で大著を出してきた小熊英二。そして、山内明美は岩手出身の30代の気鋭の論客とのこと、寡聞にしてその名を耳にしたことはなかった。この三人が本書の主役である。

五月一日一橋大学で行われた鼎談が本書のベースとなっている。立ち位置はそれぞれ異なり、世代差も歴然としている三人が各々災害現場に足を運び体感したうえでの議論である。しかし、評者とてそうであるが、三人の生活の「軸足」は東京にあるわけで、それはプラス面で言えば、「僕自身はその現場から遠く離れているがゆえに、ある種の冷めた眼というのを持つことが必要だと感じました」と赤坂が言っているような「冷静さ」。マイナス面で言えば、三人とも生活レベルの直接被害者ではないことによる、共感や共有といった非論理的な「熱」というか「気持ち」のレベルで支援を必要としている当事者たちと同一の場に立ち難いということ。

同様のポイントを小熊は東京のメディアを俎上に上げて論じている。それは3.11以降「日本の危機」とか「第二の敗戦」「日本の転換点」といった言葉がメディアで踊っていたことについて、そのほとんどは評論家や知識人といった人たちが過去語ってきたことの延長線上での論であり、自分達の居場所からしか話しをしていないのではないかと指摘である。その指摘は正しい。同時に、本書の中からも同種の臭いを感じてしまうのも事実だ。どんな考えや思想も自分たちの過去を踏み台にしてしか語れないのではないかと思う。その踏み台とする過去がどこまでの過去かという違いなのではないだろうか。

評者の原発問題に対する思考でいうと、大正9年福島生まれ福島育ちの父が生きていたとしたら彼はどう考え、どう行動するのかをイメージしていることは確かだ。土着型の家庭であれば3代や4代は遡って自らの考えや行動を決定するのだろう。そうした、立ち位置の違いや3.11のかかわり方による意識差はあるにせよ、全ての国民が自分なりの3.11を実感したと思う。

評者は4月に政府復興構想会議のメンバーが発表され、赤坂がそこに名を連ねたことに素直に好印象を持った。それ以前から彼の仕事に対する姿勢に好感を持っていたというのがその理由である。一方、復興構想会議自体に対する「不安・不信」は持っていた。案の定、会議の冒頭に原発問題を先送りして、地震・津波被害に対する復興の範囲に議論を単純化しようとするとの方向が示されたことによってその不信は現実になった。しかし、赤坂は原発問題を切り捨てることの危険を強く感じて反論を行った。それも、委員の発言順は「あいうえお順」とのことで、いの一番にその反論を行った。それが本書における赤坂の論旨となっている。民俗学者である赤坂は派手な発言もないが、「前向きに戦う、そこに希望は生まれる」という言葉も彼の過去の活動から見ていてけっして空虚に聞こえない。

一方、地震・津波と原発事故というは二つの事象は異質の問題であり、復旧・復興のプロセスもまったく異なることを考えると、もう、地震・津波と原発事故を一括りにした言説は脱却しなければならないのではないかと思う。本書でもときおり無理が見え隠れする。特に、原発問題を語るときに逆に曖昧さが残るのは残念なことである。

しかし、原発問題に絞りこんだところでは興味深い議論もされている。例えば「同心円の幻想」という指摘。「同心円の幻想」とは20Km圏内とか30Km圏内といった政府の引いた同心円の避難境界線は幻想であって、実際の放射能汚染のレベルでいえば同心円とは異なった対処が必要なことは線量の分布で明らかであることを踏まえて、一定時期になっても同心円の境界線だけが固定されて語られることの危険性を指摘している。

30Km圏内という括りも曖昧なら、東北という括りも曖昧だ。その曖昧さは原因、影響、対策などの検討において出来るだけ排除すべきだ。なぜなら政治はその曖昧さに逃げ込むに違いない。言葉や定義の曖昧さは逃げ場や言訳のネタを作るだけだ。小熊は「非常に冷たいようだが、被災地の人にとっては大変だと思うけれど、原発事故をのぞけば、日本社会にとっては六○年安保か阪神大震災か昭和天皇の死か、その程度のできごとなのだろう。・・・それ自体は歴史上のエピソードにとどまったにすぎない・・・・」と言う。

原発問題に対しての「20世紀に築かれた経済社会構造と成功体験から決別し、未来を構想する能力が問われている」という彼の意見は正論だ。特に、明治以降の歴史的経緯の中で都市と地方の均衡ある発展が結果として崩れさってしまったという見方もあるだろう。こうした、都市と地方の位置づけについて異論はさしてあるわけではないが、「地方」という言葉を「東北」という言葉に単純に置き換えることは、いささか無理があると思っている。同時に山内の言う「地方従属がむきだし」や「慰安婦の安否」といった本書の言葉からは被災地の再生という前向きの発想や意識を汲み取ることはあまり出来なかったというのが実感である。

赤坂が復興構想会議での印象を次のように語っていることに注目している。福島の人達の実感と意気込みを表していると思う。

「・・・福島は宮城や岩手と違って、復興の道筋を描けずにいる。・・・それを続けていくとズルズルと後退して、気がつくと『やっぱりなんだかんだ言っても原発がないとだめだよね』といった空気が万一にも生まれてしまう・・・つくづく思うのですが、原発の問題というのは、推進の人たちも反対の人たちもなんであんなに脅しをかけてくるのか。もうこれしかないと。・・・それは議論の場そのものを封じていると思います。もっと開かれた形で情報を提供してほしいし、われわれは今回、原子力の専門家をたくさん目撃して、彼らを信じることが出来るかどうか、われわれ自身の将来をきちんと選択するべきではないかと思う・・・・」

評者は今週末も福島に行く。自分は何をすべきかという命題は重過ぎる。自分は何が出来るかという思いで福島に行き続けるつもりだ。(正)

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