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2012年2月 6日 (月)

「中国化する日本」與那覇 潤

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與那覇 潤 著
文藝春秋(320p)2011.11.20
1,575円

『中国化する日本』というこの本のタイトル、ぱっと見では意味がよく分からないなあ。その分からなさは、サブタイトルの「日中『文明の衝突』一千年史」を眺めても一向に解消されない。ひょっとして反中国の右派が書いたトンデモ本? でも與那覇潤といえば日本近代史の研究者で、著書『帝国の残影』は小津安二郎の映画を通して昭和日本を分析した刺激的な本だった(book-naviで紹介済)。

この本のキーワードは「中国化」である。帯にはこんなキャッチが並んでいる。「源平合戦からポスト『3.11』まで 日本史は『中国化』vs『再江戸時代化』で斬れる 32歳、准教授、白熱の大学ライブ講義」。どうやら大学の日本史の授業を元に活字化された本であるらしい。「専門家のあいだではもう常識なのに一般の歴史ファンにはなかなか広まっていかない通史像を、読者のみなさんにわかりやすくお届けする」とのことだ。では、「中国化」とは何なのか。

與那覇はまず、中国史のなかで宋の時代に国の形が大きく変わったことに着目する。宋朝がそれ以前の王朝と異なるところは、一言でいえば「貴族制度を全廃して皇帝独裁政治をはじめたこと」、言いかえれば「経済や社会の仕組みを徹底的に自由化する代わりに、政治の秩序は一極支配によって維持するしくみを作ったこと」だという。

もっと具体的に言えば、貴族による世襲政治を廃して、科挙という官僚採用試験を導入し、彼らが任地を巡回しながら統治する「郡県制」を採用したこと。身分制をなくした結果、移動の自由、営業の自由、職業選択の自由が行きわたり、同時に貨幣経済が社会の隅々まで浸透したこと。そのような変化を語る與那覇の口調はといえば、ざっとこんな具合だ。

「科挙は男性であればおおむね誰でも受験できましたので、(男女間の差別を別にすれば)『自由』と『機会の平等』はほとんど達成されたとすらいえるでしょう。/……え、『結果の平等』はどうなるのかって?/もちろんそんなものは保障されません」

言ってみれば現在世界中を覆いつつある「新自由主義」、豊かになるのも飢えるのも自己責任という社会のあり方が宋朝に重ねられている。これが当時のグローバル・スタンダード=「富のほとんどを占有する近世中華文明の『チャイナ・スタンダード』」だったのだ、と。それに対して日本はどう対処したのか。そのような問題意識から、與那覇は最新の研究成果を紹介しながらこんな構図を描いている。

平安末期、後白河法皇と平清盛は日宋貿易を積極的に推進し、「科挙以外の貨幣経済の部分で、宋朝中国のしくみを日本に導入しようとした革新勢力だった」。それに対し貴族や寺社の既得権益を守り、「平家に押収されていた荘園公領を元の持ち主に返す代わりに、自分たちも『地頭』を送り込んで農作物のピンハネに一枚噛ませてもらう」「よくいってボディガード、悪くいえば利権ヤクザ集団」が源氏だった。

そこから與那覇は源平の合戦を「近世への二つの道──①宋朝中国で実現した中華文明に近い社会を日本でも実現しようとする『中国化』勢力(院政・平家)と、②むしろそれに対抗して独自路線を貫こうとする『反中国化』勢力(源氏)の路線対立から生じた」と解釈する。

ご存知のように源平合戦の結果は、「反中国化」勢力の源氏が勝利した。以後、中世日本は「時々だけ中国に似た政権(注・農民でなく漂白民や商工業者を基盤に天皇独裁を目指した後醍醐政権や、対明貿易と中央集権を推進した足利義満政権)が樹立されるのだが、おおむね短命に終わり」、戦国時代以降の近世日本は「中国的な社会とは180度正反対の、日本独自の近世社会のしくみが定着した」。

その「日本独自の近世社会のしくみ」が完成したのが江戸時代だった、と與那覇は言う。

「士農工商」の身分制度をつくり、稲作の普及を背景にイエとムラを基盤とした「封建制」の支配体系ができあがった。江戸時代前期は稲作の普及によって経済も人口も拡張し、「欲を張らずそれさえ愚直に維持していさえすれば子孫代々そこそこは食べていける家職や家産が、ようやっと貴族と武士だけでなく百姓にも与えられた」。

戦のなくなった時代に、武士の世界でも次のような事態が起こる。「武士(社員)の忠誠意識が殿様(社長)個人ではなく、大名家というイエ(会社)全体に向かうことになり、会社を傾かせる(御家取りつぶしになりかねない)ようなワンマン社長は、従業員一同で解任(注・「主君押込め」)して構わないという企業文化が生まれます」「いってみるならば、各大名家の統治が中国的なトップダウン型の専制政治に流れることを防止する、いわば中国化を防ぐためのビルト・イン・スタビライザー(自動安定化装置)のような仕組みとして、『封建制』やイエ制度は機能していたということになるでしょう」。

一言で言えば、江戸時代は「究極の『反・中国化』体制を作り上げた」。明治維新はこの「反・中国化体制」を壊した、というより「反・中国化体制」が自壊した結果だと著者は断ずる。維新後に出現した明治時代について、僕たちが「西洋化」「近代化」として習ったことは、①儒教道徳(教育勅語)に依拠した専制王権の出現、②科挙制度(高等文官任用試験)と競争社会の導入、③世襲貴族(大名)の大リストラと官僚制の郡県化、④規制緩和を通じた市場の自由化の推進など、むしろ「中国化」と呼ぶべきだ、という。

僕たちは普通、江戸時代は鎖国によって外国との交流を絶ち、黒船以後は西洋との関係のなかで国をつくってきたと考えがちだ。それに対して與那覇が「近代化」はむしろ「中国化」だと考える底には、こんな認識がある。「私たちが生きてきたのは西洋近代を云々する以前に、なによりもまず宋代以降の近世中国からの圧倒的な影響と反発の下で作られてきた、東アジアの近世なのです。『中国・朝鮮と日本』という対を(当たり前ですが『嫌韓流』式の単なる夜郎自大ではない形で)きちんと意識」すべきなのです、と。

明治以後についても、「中国化」対「再江戸時代化(反中国化)」という図式で近代史が叙述される。総理大臣の権限が小さい明治憲法体制や、日清戦争後の「大きな政府論」である民力育成論、企業のみならず労組まで擬似的イエとして組織された大日本産業報国会などの総力戦体制によって、いったんは「中国化」したはずの社会が再び「再江戸時代化」されていった。その「江戸時代化」は戦後も続き、1980年代以後、世界が「中国化」しているのに、日本はいまだに「江戸時代」を引きずっていて、そのどんづまりまで来たのが現在である、というのが著者の見立てだ。

このあたりの近・現代史に来ると、「中国化」という概念を武器にした一刀両断の冴えがいささか鈍ってくるようにも感じられる。というより、著者の言う「中国化」対「江戸時代化」とは、「小さな政府」対「大きな政府」、リバタリアン対コミュニタリアンといった現代的対立を、「小さな政府」やリバタリアンに近い立場から過去に投影させた概念にすぎないのではないか、という気もしてくる。

とはいえ著者が言うように、日本史を常に中国・朝鮮半島との関係で考える視点は、これからのこの国になくてはならないものであることは確かだ。僕たちはどうも、近世以降の日本史は中国と関係ないものとして、あるいは単に帝国主義的侵略の対象としてのみ考える習性が身についている。でもこの国が、過去も現在も未来も中華文明の外縁に位置するという地政学的位置を変えることはできない。

著者が言う、日本の「中国化」は必然であり、この国はその中でどうやって生き残るかを考えるべき、という問題設定自体に僕は必ずしも同意しないけれど、歴史の見方について大きな刺激を与えてくれる一冊だった。(雄)

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