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2012年9月12日 (水)

「東京プリズン」赤坂真理

Tokyo_akasaka

赤坂真理 著
河出書房新社(448p)2012.07.24
1,890円

赤坂真理の小説を読んだことはなかった。彼女を知っているといえば、寺島しのぶが素晴らしく魅力的だった映画『ヴァイブレータ』(廣木隆一監督)の原作者としてだけだった。そして寺島しのぶがこの小説に惚れ込み、赤坂真理もまた映画が気に入っている、とどこかで読んだことがあった。

主人公は30歳過ぎの女性ライター。自分の頭の中に入り込むいろんな声に悩まされ、不眠や過食に苦しんでいる。彼女は偶然コンビニで出会った長距離トラック運転手に声をかけ、そのまま男のトラックに同乗してしまう。孤独な心と心が寄り添う、ひりひりしているのになぜか優しい気持ちになれる、不思議な感触のロードムーヴィーだった。

そこから想像する原作や、『ミューズ』とか『ヴォイセズ』とか他の片仮名の作品タイトルから、閉塞した環境に生きる若い女性の心の傷を今ふうな舞台装置のなかで描いてるんだろうな、と推測してきた。

その赤坂真理の新作が『東京プリズン』。400ページを超す長編で、「プリズン」という単語が「巣鴨プリズン」を連想させるように、戦後の東京裁判を扱ったものだという。1964年生まれというから、敗戦後の貧しさを知らず高度成長のなかで育ち、現代的な作品を書いてきた女性作家が、このテーマをどんなふうに扱うのか。そんな興味から本書を手に取ってみた。

同時に『ミューズ』『ヴォイセズ/ヴァニーユ』といった赤坂真理の中編を読んで、彼女の小説に共通するものがおぼろげに見えてきた。

赤坂真理の小説は、たいてい自分の身体感覚にこだわることから始まる。主人公の身体感覚がどこかで変調を来たし、それをきっかけに自分ではないものとの交信が始まる。交信の相手は肉親だったり、恋人だったり、他人だったり、あるいは過去の自分だったり、時には動植物や風景だったりする。意識のなかで、自分が他者になり、他者が自分になる。その時、自分と他者の境目が明確でなくなる。そんな自他の境界線にある皮膚感覚のざわめきの描写が素晴らしい。でもそれが、どんなふうに東京裁判と結びつくんだろう。

2009年、主人公の私(アカサカ・マリ)が夢を見ている。私が育った高円寺の古い木造の家。黒電話が鳴る。電話の向こうから聞こえてくるのは1980年、15歳の私の声。受話器から15歳の私が「ママ?」と呼びかけるのが聞こえると、私はなぜか「ママよ」と答え、「私の母」を演ずることになる。そんなふうに、電話を通して1980年の私と2009年の私(と私が想像する「私の母」)との対話が、この小説の骨格になっている。

1980年、私はアメリカ合衆国メーン州の高校に留学している。冬は雪に閉ざされる寂しい田舎町。本来の学年より1年下のクラスにいた私は、日本について発表することを条件に本来の学年に戻されるのを許される。発表はディベート形式で、テーマは「天皇の戦争責任」。二手に分かれる討論者のうち、私は「ヒロヒトに戦争責任はある」側の論者になることを求められる。戦争についても東京裁判についても何も知らない私は、そこで初めて戦争と東京裁判について調べはじめた。

東京裁判を小説として扱うために赤坂真理が設定した事柄がいくつかある。ひとつは、主人公を戦争について無知な高校生としたこと。主人公が何も知らないことによって、この問題をめぐって戦後から現在まで続くイデオロギー的な論争の積み重ねから距離を置き、ゼロから考えることができる。

さらに、アメリカの高校に放りこまれたただひとりの日本人という設定(著者の実体験)によって、「責任あり」も「責任なし」も共にアメリカ人の視点からの討議になる。いわば加害者の目からの議論になること。加えて、この問題を日本語でなく英語で考えざるをえないこと。日本国憲法も東京裁判も英語を通すことで、日本語では見えなかったものが見えてくる。

そうした操作によって、赤坂真理は日本人が普通この問題を考える際に無意識に前提としているものから離れ、別の視点から戦争と東京裁判を考えようとしている。

1980年の私あるいは2009年の私は、夢と想像のなかで私の母とつながり(母は東京裁判の翻訳を手伝っていた)、ベトナムの結合双生児(米軍の枯葉作戦によって誕生した)とつながり、同級生に誘われた森のハンティングで殺したヘラジカの魂とつながり、アメリカ先住民に導かれて森の王である「大君」とつながり、大君に仕える「小さなひとびと」とつながり、あの戦争で死んだ死者たちともつながる。私は私であると同時に母であり、ベトナムの結合双生児であり、ヘラジカであり、大君であり、死者たちでもあった。

天皇の戦争責任を論ずる最後のディベート。ディベートはいわば論理ゲームのようなもので、論者の個人的意見はひとまず棚上げしなければならない。でも初めて人前でディベートする私は、思わず立論者として使うべきでない「I(私は)」と発声してしまう。次に続く言葉は私が発したのか、誰が発したのか私にも分からない。私は「I am guilty.」と言っていた。

「誰かが私に言う。聴き覚えのある声。あのヘラジカにも似た声。私の内で響く声。/──私の存在は罪深い。/──私は有罪である。/不意に胸を突かれ、涙がこぼれそうになった。/それは、私が今まさに裁こうとしている他人が、私を通して、私に言う言葉。/つまりは、天皇が。/公衆の面前で私は頭がおかしくなりかけている」

私の内に響く「私は有罪である」「私を裁きなさい」という声は、作中で触れられる三島由紀夫『英霊の声』の有名な「などてすめろぎは人間となりたまいし」という呪詛の言葉に対する、昭和天皇の返歌と読んでいいのかもしれない。現実には東京裁判でアメリカの政治的思惑から天皇の戦争責任は追及されず、天皇自身も公の場で戦争責任について遂に一言も語ることはなかったが。

「最高責任者が責任を問われないとしたら、他の者はみな冤罪になる。ならば、現実の歴史には不自然なことが起きたというわけで、そのことがなぜかと問われたほうがよかった。そして、日本人は問わなかった。その問いじたいがなかったかのようにふるまった。それは、ラッキーにも軍事法廷を開いたアメリカからも問われなかった……。感情的には天皇が問われないことでほっとしたかもしれない。しかし、明白な論理に蓋をすると、自分の頭がおかしくなってしまう」──これはディベートの場で混乱し、筋道立った発言ができなくなった私の内心の声だ。

その後、戦争責任なしの立場に立つ学生が天皇機関説を引いて天皇に実質的権限はなかったと論ずるが、私は論理立った反論ができず、アメリカ人教師や学生には理解不能な言葉しか出てこない。私はディベートの負けを自ら認める。

『東京プリズン』は、2009年の私と1980年の私が1940年代の戦争と東京裁判を考えるという構造を取っている。赤坂真理は、この小説に関してこんなふうに言っている。

「戦後処理のまずさが私たちに今でも影響を及ぼしているという直感がずっとあって、私も含めて日本人のすべてが今でもそういう時空間を生きていると思うんです」
「現在の社会の直接の雛型が80年代にできた気がしてならなくなった。……現在の息苦しさの雛型は、この年代にこそつくられたのではないかというのが私の直感なんです」(いずれも『文藝』2012年秋号)

この言葉を参照すれば、赤坂真理の『ヴァイヴレータ』や『ヴォイセズ』といった作品群は、80年代の社会が生み出した息苦しさを解きほぐすために、自らの傷を切開してみせた作業だと思えてくる。『東京プリズン』は、その射程をさらに広げ、現在と1980年代と1940年代を串刺しにして、私たちが抱える息苦しさやまやかしをその源までさかのぼって考えようとした小説だといえるのではないか。戦後を生きてきた年長の小説家たちが取り上げようとしなかった問題を正面から問いかけた赤坂真理の冒険が素敵だ。

なぜなら、戦争の死者と天皇をめぐって生まれた戦後のねじれた時空間のなかに、いまだに私たちはいる。私たちは今も東京プリズン(拘置所)に収容されたままなのだから。(雄)

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