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2012年11月12日 (月)

「大阪アースダイバー」中沢新一

Osaka_nakazawa_3

中沢新一 著
講談社320p2012.10.10
1,995円

中沢新一の『アースダイバー』は縄文と現代の東京地図を重ねて、縄文対弥生、低地の湿った文化対台地の乾いた文化といった対立をキーワードに、高台と低地が複雑に入り組む東京の成り立ちを読み解いてみせる刺激的な都市論だった(「ブック・ナビ」で紹介済)。『大阪アースダイバー』はその続編に当たる。

東京と並ぶこの国の二大都市である大阪は、アースダイバー中沢にとって、いっそう挑戦のし甲斐のある対象だったにちがいない。東京は近世になってからの都市なのに対して、大阪は古代河内王朝の都であり、中世には石山本願寺という宗教の中心があり、物と金が集まる経済の中心でもあった。お笑いや河内音頭といった伝統芸能が今も日常のなかに生きているし、一方、内部に「コリア世界」や被差別部落を深く抱え込んでもいる。

中沢の筆は前作より更に奔放。専門である宗教学、人類学はじめ、考古学や歴史学、網野善彦や梅原猛の問題意識、さまざまなフォークロアや現場でのインタビュー、ルポルタージュを動員して、この奥行きのある都市に切り込んでいる。時には「私は人類学者として、古代人の思考になりきる」と断言し、古代の埋葬の儀式をまるで見てきたように描写してみせる。研究者の書くものというより、この本の帯が唱うように「大地の一大叙事詩」に近い。それを面白がれる人であれば、この本には興奮するはずだ。

縄文時代、今のキタやミナミなどの繁華街はまだ海の底にあった。陸といえば、南から北に向かって岬が突き出ているだけだった。それが上町台地で、その突端に後に河内王朝の難波宮、石山本願寺、大阪城が築かれる。岬の東側には、まだ出入り口が海と繋がる河内湖が広がっていた。その岬の東西の海(内海)に、淀川と大和川が大量の土砂を運び込み、河内湖は河内平野となり、岬の海側には多数の中洲や砂州島(「八十島」と呼ばれた)が生まれて後の大阪中心部になってゆく。そこへ南方や朝鮮半島から海の民がやってきて、先住の縄文人と出会うことからこの地の歴史が始まった。

中沢は、大阪という都市の基本構造をタテ横2本の軸に求めている。タテは上町台地を難波宮から四天王寺に至る「アポロン軸(権力の思考の軸)」。横は住吉神社から四天王寺で縦軸と交差し河内平野を通って生駒山に至る「ディオニュソス軸(民衆的な野生の思考の軸)」。その両者のせめぎあいから大阪が生まれる。

その2本の軸が交差する四天王寺は、聖徳太子が物部氏鎮魂のために建造した寺。近くに貧窮民や病人を収容する悲田院が設けられたことからも分かるように、四天王寺には西方浄土への成仏を願う多数の物乞いや病者が集まった。そのひとりが「弱法師」と呼ばれる俊徳丸で、やがて河内音頭や能に謡われる主人公となってゆく。

四天王寺からディオニュソス軸を西へ、上町台地を海側へ下りると、新しく砂州が陸地になった土地、現在ではミナミと呼ばれる一帯がある。秀吉の時代、まず栄えたのは北の船場や天満だったが、道頓堀が開削されて以後、ここは島之内と呼ばれる町場として形成されてゆく。

島之内のミナミ、道頓堀の岸辺には芝居小屋が立ち並び、人形浄瑠璃や歌舞伎が演じられる「悪所」となった。その裏手、今日「千日前」と呼ばれる一帯は広大な墓地だった。墓地の周りに千日寺(法善寺)があり、刑場もあって、獄門台には処刑された者の首が晒されていた。その奥には火屋(火葬場)があり、たくさんの非人小屋や聖たちの坊もある。町場が広がるとともにこの墓地は整地され、その上にたくさんの寄席や見世物小屋や芝居小屋が出現することになった。

「人類の社会では大昔から、笑いの芸能というものは、生と死が混在する機会や場所を選んで演じられるもの、という暗黙の決まりがあった。……座席の下には、二百数十年もの間、営々と埋葬され続けた人骨が眠り、その上で吉本の芸人たちが演ずる…芸に、人々は笑い転げてきた。

……
まったくここには、むきだしの人類がいる。まるで、カラカラと歯を鳴らして、白骨が笑っているように、人々が笑っている。日本中を席巻し続けてきた大阪ミナミの笑いはこのようなネクロポリス(注・死者の国)の上に、比類のない成長をとげてきたのである」

同じようにして中沢は、農村共同体のない「無縁」の八十島に海民が住み着き、彼らが船場を中心にいかに商人としてナニワ資本主義とその精神を発展させたかを語る。古代の「愛隣的空間」だった四天王寺の崖下一帯が明治になって開発され、新世界から飛田、釜ヶ崎に至る近代の「愛隣的空間」がどのように形成されたかを語る。猪飼野や鶴橋といった、古代から現代に至る「コリア世界」を語る。

なかでも刺激的なのは、大阪の地主神につながる武士団・渡辺氏の末裔と語り合い、武士団とともにあった皮革職人が武士団と隔てられ、強制移住させられ、「エタ」と呼ばれ差別を受けるようになったいきさつを明らかにしているところだ。「大阪でアースダイバーをおこなうという高いハードルを私が超えることができたのは、このプロジェクトの初期に、渡邊実さん(注・渡辺氏の末裔)に出会い、二日間にわたってじっくり話し合った末に、深い相互理解に達することができたことによる」と中沢は記している。

『大阪アースダイバー』は、たぶん研究者の世界では無視されるだろう。学問的根拠の薄い大風呂敷にすぎない、と。確かにディテールに突っ込みどころは無数にある。でもディテールにこだわる学問の世界に、こういう大きな地図を描ける人がどれだけいるか。

中沢の叔父である網野善彦は歴史学者としての矩を超えずに、しかし網野流に日本史の大きな流れを描いてみせた。中沢は確信犯的にその矩を超えている。中沢が専門とする人類学や宗教学にもともとそういう傾きがあるにしても、脱原発の政治運動を提唱する最近の行動とともに、学問と現実の両者に相渉り、橋をかけようとする中沢の姿勢は貴重だし、素晴らしい。

僕は6年ほど大阪に住んだことがあるので、本書を読んで、うんうんと頷く個所がたくさんあった。でも、次に大阪へ行くときはこの本を持って、まだ訪れたことのない場所へ行ってみたい誘惑に、いま駆られている。(雄)

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