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2013年5月12日 (日)

「記者たちの関西事件史」産経新聞社

Kisya_sankei

産経新聞社 著
光村推古書院(439p)2013.03.30
1,260円

本書は、約30年間に関西で発生した犯罪・事故・災害など新聞紙面を飾った事件を取り上げて、当時担当記者として取材の最前線にいた人たちによる回顧の記録である。記事として報道された事実だけでなく、記者達が置かれた家庭状況や人間模様を振り返りながらの事件史となっている。したがって、客観的な事件記述という意味だけに期待しては本書の一方の面からだけの評価になるだろう。読み終えてみれば、業種による仕事の違いはあるものの多くの他業界のサラリーマンと同様、組織との葛藤、家族と仕事の兼ね合いなど、苦労・苦悩・苦闘が尽きないことも良く判る。そうした記者たちが、ある事件では手分けをして、ある事件では一人の記者が執筆している。署名文章だけに、「産経新聞社著」となっているが「記者達個人」としての述懐であるところにその面白さが出ている。

「関西事件史」と題して選択された26の事件の集合に、なにかを読み取っていくことが出来るのだろうか。「関東事件史」や「東京事件史」という本を想定してみると、戦後の歴史が良かれ悪しかれ東京中心に回ってきたということもあり、関東や東京とあえて表現する意味は希薄だ。一方、本書で取り上げられた「関西」の犯罪・事故・災害は昭和54年に発生した「三菱銀行北畠支店たてこもり事件」に始まり、「山口組四代目組長射殺事件」「朝日新聞阪神支局襲撃事件」「阪和銀行副頭取射殺事件」など銃砲に関する射殺事件が5件入っているのは多少関西的な匂いがする。

また特異な犯罪として「グリコ・森永事件」「和歌山の毒物カレー事件」「豊田商事会長刺殺事件」「神戸児童連続殺傷事件」など衝撃的で他に類を見ない事件が名を連ねている。そして、直近の「関西発」の事件として「大阪地検特捜部押収資料改竄・犯人隠避事件」が取り上げられている。まさに東京地検特捜部との組織論的比較に要因を求められている事件として大きな意味があった。一方、「横山ノック知事セクハラ事件」は、そんな事件もあったなと思うぐらいの事件だし、「日本赤軍最高幹部逮捕」の重信房子の事件に関しては、大阪で逮捕といわれてもはなはだ記憶が曖昧なものまであった。これらの事件を俯瞰して見れば、取り上げられているものはその時代、時代の全国紙の紙面を大きく占有した大事件であることは間違いない。違いがあるとすると読み手としての我々のその事件に対する係わり度合いの差だと言える。

事件に直面した記者たちの人間としての生き様を垣間見ていくのが本書の読み方であるが、「グリコ・森永事件」では、現在執行役員東京企画室長の平田篤州が担当記者だった当時を振り返っている。
昭和59年3月18日日曜日の深夜に社から呼び出しの電話を受けて、翌日に予定されていた長男の卒園記念写真を撮る約束をしていたがそのニコンを手にして家を飛び出し、結局家族との約束を果たせなかった若き日の述懐である。

「嵐のような報道合戦の中で兵庫県警から一旦尼崎の自宅にもどったのは卒園式の翌日だったと記憶している。家内や長男とその時どんな話をしたのか覚えていない。ただ、毎年3月の卒園式シーズンになると、心に突き刺さった棘がずきんと疼くのであった」

新聞記者だけではないのが、仕事に打ち込めばなにかを犠牲にしなければ到底満足できる仕事にはならない。それは使命感だったり、お客様のためだったり、負けず嫌いであったり、理由はいろいろあるにせよ家庭、特に子供にそのしわ寄せが行くのは切ないことである。

また、抜いた、抜かれたに関してもいろいろな思いがあるのだろう。「大阪地検特捜部押収資料改竄事件」では「一生癒えない傷跡」というタイトルでこんな文章が書かれている。

「平成22年9月21日午前3時のことだった。枕元の携帯電話がブルブルと震えだした。出るまでもなく嫌な気分だ。検察担当にとってこの時間の電話は他紙に『抜かれた』ことしか意味しない。・・・朝日が1面トップと社会面見開きで報じていると聞いた瞬間、目も酔いもさめたというのに、肝心の内容はいくら聞いても即座に理解できなかった。どうしても信じられなかったからだ。・・・朝日は一連の報道でこの年の新聞協会賞を受賞し、自分たちは『新聞協会賞を抜かれた記者』という汚名を着せられた。チャンスは自分たちにもあったはずなのに、ライバルは不正を白日の下にさらすという新聞記者のもっとも重要な使命を、鮮やかに果たした。正直、今回ほど書いていて苦痛な原稿はなかった。『事件史』に残るとはいえ、何より記憶が生々しい。記者である限り、この苦痛は、けして良き思い出に変化することはないだろう」

事件は時として我々の想像を絶する形でその姿を表す。ある特定の集団、会社、組織の中でしか通用しない常識はぬくぬくと培養されていき、いつの間にか社会的にはけして許されることの無いような思考や行動を生み、犯罪として世に飛び出して来る。事件の根源は人の心にある闇の中に存在し、組織がそれを培養するのだ。そんな感覚を「大阪特捜部の事件」から感じたひとは多いのではないか。他の世界から見ると、まさに「即座に理解できない」というほどの感覚的乖離のある犯罪ということだ。そうした記者としての感慨に理解は出来るが、特ダネとして他社に出し抜かれた記者が「汚名を着せられた」というほどの意識を持ってしまうという新聞業界を評者はとても理解出来ない。勝ち負けがあるのは世の習いであるにせよ、負けたことが「汚名」と言われては、そうした業界で人は育つのだろうかと思ってしまうのだ。

本書の26件の事件簿は、読み手が当該事件に対してどんな係わりを持ってその時期・時代を過ごしたかによって印象は決定される。そして本書を読んだことで、その時代の自分を思い出させてくれたのも本書の大きな効果であった。

例えば、「三菱銀行北畠支店立てこもり事件」については、評者は当時コンピーター・メーカーに勤めて10年目。三菱銀行担当チームの主任としてシステムの開発・運用の一角を担い、同行の東京事務センターにほぼ常駐していた。あの日、銀行の行員たちのただならぬ動きと例外的なシステム対応要請でその事件を知ることになった。あの日、北畠支店はまさに戦場であり、立ち入ることは当然出来なかったものの、北畠支店内に設置されている端末機の補修や調整などを行うために大阪地区の保守部隊に現場近くで待機させていた。しかし、事件は長引き警察の突入も実施されない中で、事件発生からまる二日が経とうとしていた。

評者も東京から大阪に向かう決意をして、その前に散髪に行っていた最中に、当時小学校二年生の娘が床屋に飛び込んできて、警察が突入したと伝えに来た。髭剃りもそこそこに帰宅して大阪に向かった。現場検証などの完了を待って、保守技術者たちと共に現場に入って目にしたのは雑然とした事務室と破壊はされていなかったものの、すっかり汚れてしまった端末機だった。凄惨な犯罪だったのだろうということはすぐに理解出来た、銀行の職員も我々メーカーも無言で自分たちの仕事をこなしていたのを思い出す。

誰もがいろいろな事件に直接的、間接的な当事者として巻き込まれることがある。仕事としてそうした環境に身を置いているのが新聞や放送業界の人々であろう。自らを押し殺し、チームで客観報道と正義を追い続ける人たちの真摯な姿勢に頭が下がる。これは他の新聞社においても同じことが言えるのだろうか。人が中核となる要素が強い業界であればあるほど「社」によってまた異なった文化が存在するはずだ。本書と同一の事件で「朝日」や「毎日」の記者たちにも書いてもらったらどんな違いが出るのか興味は尽きない。(正)

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