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2013年7月17日 (水)

「[銀河鉄道の夜]フィールド・ノート」寺門和夫

Ginga_terakado

寺門和夫 著
青土社(137p)2013.05.24
1,470円

「銀河鉄道の夜」は宮澤賢治作品の中で最も多くの人々に読まれてきた作品だろう。その物語を「科学の視点から謎を解く」というのが本書の狙いである。著者は1947年生れ、早稲田大学理工学部電気通信学科卒業の科学ジャーナリスト、一般財団法人日本宇宙フォーラム主任研究員と紹介されている。宇宙、DNAに関するものなど著作も多い。

賢治は28才(1924年)のときに「銀河鉄道の夜」を書き始め、37才(1933年)で死去するまで原稿に手を入れ続けたと言われている。死後、散逸した部分草稿が段階的に明らかになったこともあり、「銀河鉄道の夜」は第一次稿から第四次稿に区分されるというのが定説である。現在、確定稿とされている第四次稿は筑摩書房の「校本宮澤賢治全集」刊行(1972年)に際して、天沢退二郎と入沢康夫の研究によって確立されたもので、その経緯についても本書で詳しく紹介されている。

著者の「科学の視点から謎を解く」対象はそうした複雑な構成を持っている草稿とともに、本筋は当然「銀河鉄道の夜」に表現されている物語そのものである。その点を寺門は次のように書いている。

「銀河鉄道と空のどこを走っているのか、・・・わたしが特に興味を持ったのは、幻想の世界をあつかった作品でありながらそこに書かれている文章には非常なリアリティが感じられ、賢治が実際にそれを見たとしか考えられない表現が多々見られる点でした。『銀河鉄道の夜』に書かれている言葉、あるいは文章が一体何をモデルにしているのか、賢治は何を見ていたのか、私はそれが知りたくなりました」

評者が過去、何度か「銀河鉄道の夜」を読んだ感想でいえば、空想的・幻想的という印象が強く、精緻な場面設定や状況構造を意識させられたことはあまりなかった。しかし、寺門は賢治が物理学・天文学・考古学・地学などの知識を巧みに活用して物語を構成し表現することで、単なる童話に終わらない形に物語を昇華させていることを指摘していて、まさに、賢治の体験が生み出しているリアリティの源泉を追いかけた結果が本書ということになる。天文学については全編に渡って当時の最新知見が活用されているとしている。そう指摘されて「銀河鉄道の夜」を読み返してみると、賢治の意図がいろいろ見えて来て、新たな楽しみ方が出来ると思った。

例えば、物語の冒頭は、学校で先生がジョバンニ達に「天の川」の構造を説明している場面から始まるのだが、その内容は、アインシュタインの特殊相対性理論がエーテルの存在を否定して空間自体が光を伝える性質を持っているとした内容に沿った授業が展開されている。1922年にアインシュタインが来日し、講演も行われ、日本人科学者達による宇宙論が華やかな時代が反映されている。また、賢治が愛用していた、1907年三省堂刊の日本天文学界編「星座早見」、1902年刊の横山又二郎著「天文講話」なども図示しながら、ジョバンニたちの旅を著者は再現してみせている。

ジョバンニが丘の上から見た、夏の北方の空に浮かぶ星座群に銀河鉄道の路線をマッピングしていくのだが、「白鳥の停車場」(白鳥座)からはじまり、わし座、いるか座、射手座、などの多くの星座を停車場や風景として表現しながら進んでいく、その間ジョバンニたちや他の乗客の車窓から見える景色の変化などを分析することで、車両における各人の座席の位置関係を推定している。そして、彼らの旅は「天の川の東側」を南に、南に走っていくことが示されているとともに、旅の時間経過については樺太庁鉄道のダイヤに着目している点が興味深い。

季節・時期を特定するのも、寺門は理系の粘っこさを発揮して、こんな分析を積み上げる。「銀河鉄道の夜」は賢治が創作した銀河の祭りである「ケンタウル祭」の当日とされているのだが、「銀河の祭り」というと七夕が連想される。空高く掛かる天の川と織姫と牽牛の輝きを楽しむには旧暦の七夕が妥当であること。また、車窓からジョバンニ達がリンドウの花が咲いているのを見ていることからも立秋(新暦八月七日)が近いと考えられること。そして、ケンタウル祭の夜に子供達は「烏瓜のあかり」を流しに川に行く挿話は、死者の霊を迎え、そして送るという仏教におけるお盆を髣髴とさせること。などの記述を示しながら、「ケンタウル祭の夜、子供たちは『ケンタウルス、露を降らせ』と叫んで走ります。・・流星が降ってくる様子は、露が落ちてくるさまに見ることができます。流星が多数出現する現象は古来『流星雨』ともよばれてきました。毎年8月12日から13日にかけてペルセウス座流星群があらわれます」

との分析を行い、賢治の創作した「ケンタウル祭」を8月中旬、しいて言えば8月12日夜から13日と考えている。このように、当日のジョバンニの行動と時間経過、そして舞台となる街の構造については、物語に出てくる重要地点を想定して地図を書き起こし、列車の中で切符確認の際にジョバニが示した紙切れの正体など多くの疑問を解いていく。

また、「銀河鉄道の夜」では社会的事件や宗教的な視点も多く表現されているが、その一つがタイタニック号の遭難である。この事件は賢治が15才(1912年)の時の出来事で、おそらく生でニュースに接していたであろうと寺門は考えており、そのエピソードを加えつつ、賢治の宗教的表現での苦心を次のように分析している。

「鷲の停車場から乗り込んでくる姉弟と家庭教師の青年は乗っていた船が氷山に衝突する事故で命を落とし、天上へ向かうのですが、この話はタイタニック号がモデルになっています。・・・家庭教師の青年はその最後の様子を語ります。3人は救命ボートの席を他の人にゆずり、海に投げ出されます。気がつくと3人はもう列車に乗っていました。船が沈んだとき乗客たちは賛美歌を歌っていました。・・・この賛美歌は第三次稿、第四次稿では『(約二字分空白)番』となっていますが、第二次稿では、皆が賛美歌を歌う場面はないものの、汽車が青い森の正面に来ると、聞こえる音楽が『あの聞きなれた主よみもとの歌』に変わります。従ってこの『(約二字分空白)番』は『249番』となるはずで、題名の『主よみもとに近づかん』を入れてしまうとキリスト教のイメージが強くなってしまうと考えたため、番号にしたのだと思われます。・・・終着のサザンクロスで本来『ハレルヤハレルヤ』であるところを『ハルレヤハルレヤ』と表現しているのも同じ理由と思われます」

こんなに「銀河鉄道の夜」を丁寧に読み、資料を読み込み、現地を歩き確認作業を徹底する姿勢に驚く。失礼ながら市井の読書家たる著者の仕事として感動を覚えた。まさにフィールド・ノートと題された本書の面目躍如たるところであり、面白い本であった。

因みに、小生の父方の祖父は盛岡高等農林学校の農芸化学科卒業であり、賢治も同校の卒業であることは知っていたことであるが、この書評を書くにあたって、ふと、気になって祖父の年譜を調べてみた。そこには大正7年3月に卒業と記されていた。宮澤賢治と同期ということになる。しかし、生前祖父から宮澤賢治の話は聞いたことは無い。祖父も父も死去した今となっては確認する術もない。残念なことである。(正)

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