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2014年1月15日 (水)

「ケネディ暗殺・ウォーレン委員会50年目の証言 上下」フィリップ・シノン

Kennedy_philip

フィリップ・シノン 著、村上和夫 訳
文藝春秋(428p、412p)2013.11.11
1,680円(上・下共)

著者フィリップ・シノンは元ニューヨーク・タイムズ記者。50年経った現在でも米国民の内50%近い人達が真相は明確でないと考えているジョン・フッツジェラルト・ケネディ(JFK)大統領暗殺事件。事件後、1964年に提出された大統領諮問委員会による「ウォーレン報告書」に対して問題提起する形で本書は作られている。上・下巻で840ページに及ぶ大著である。沢山のカタカナの人名が出てくる。サスペンス小説を読むようなつもりで本書を手にすると途中で投げ出したくなってしまいそうだ。

50年前といえば、16歳だった評者にとってJFK暗殺事件は非常にショッキングな出来事だった。遊説に訪れたテキサス州ダラスでオープン・カーに乗った大統領が白昼にライフルによって狙撃された。鳴り物入りで宣伝されていたTVの日米間衛星実験放送を11月23日(土)の朝9時から見てみると映し出された映像はまさにJFK暗殺のニュースだった。そして、事件二日後には犯人として逮捕されていたリー・オズワルドがダラス警察本部の地下一階でTVカメラに囲まれて生中継されている最中にダラスのストリップ小屋主人のジャック・ルビーによって至近距離から拳銃で射殺された。この二つの殺害映像によって事件の印象はより強烈に記憶されることになった。誰もがTVを通して世界で起こった生の映像に接することが出来るという時代の幕開けを象徴するような事件であった。

現職の大統領が白昼暗殺されるという大事件の真相解明のために、当時の連邦最高裁判所の主席判事であるアール・ウォーレンを委員長として、「ケネディ大統領暗殺を調査する大統領諮問委員会(ウォーレン委員会)」が即座に組織された。ウォーレンを含む7名の委員によって構成され、10ヶ月の調査を経て報告書が後任のジョンソン大統領に提出された。この「ウォーレン報告」の日本語版は毎日新聞社外信部翻訳・大森実監修で弘文堂から出版された。評者は、こうした国の報告書といった形式の文書を通読したのは初めての経験だった様に思う。そんなこともあり、本棚から黄ばんでしまった弘文堂社版を引っ張り出してきて、手元に置きつつ本書を読み始めた。

著者シノンが本書を手がけるきっかけは一本の電話から始まる。ウォーレン委員会の7名の委員は全て鬼籍に入ってしまっているのだが、委員会発足と同時にスタッフ(顧問)として全米から若手弁護士が招集された。彼らとしても50年経った今となっては70歳代、80歳代である。そのうちの一人から2008年にシノンは次のような電話を受けたという、
「君は我々の話しを語るべきだ。・・・当時明らかに出来なかったことを君の手を借りて明らかにしたい。・・・当時のスタッフを集めて協力することができる。これは何が本当にあったのかを説明する最後の機会になるかもしれない」

この電話をきっかけとして、5年間に渡って、残された公文書の読み込み、後に公表された資料の精査、そして当時のスタッフや証人達に対するインタビューが続けられ、2013年11月、12ヶ国で同時に本書は出版された。この検証作業を始めてすぐに著者は「あまりに情報がない(欠落)」と「あまりに情報が過剰」であるという問題に突き当たったという。委員会が集め、保管されていた全ての資料は膨大で、これを全て読み込んだ人間は今まで居ないのではないかと語っている程「情報は過剰」だし、自らによるインタビューから得られた話しと、公文書として残された資料との突合せによって判明した情報の欠落は明確で、故意に消去された情報があるからこそ「欠落」が生じるのだが、何故「故意に消去・抹殺」された情報があるのかを執拗に追いかけている。

委員会自体も活動にいろいろ問題を抱えていたようだ。7名の委員は超党派で構成されていること、集められた若手弁護士達と委員との間での捜査・聴取手法の意見相違などが挙げられている。しかし、それらを乗り越えて期日内に報告書を纏め上げていったウォーレンのマネージメント能力の高さとともに彼の我慢強さが随所に表現されている。一方、情報欠落の一つの要素として、委員長たるウォーレンとケネディ家の親密な関係、その結果彼が暗黙の内にケネディ家を守る姿勢や行動をとっていたという指摘もある。

例えば、ウォーレンは委員会メンバーの要請があったにも関わらず、JFKの妻であったジャクリーン・ケネディの宣誓証言の場に立たせることを避けてきたという。本来であれば、どんな事件であっても被害者の隣にいた人間に一番目に証言を求めるのは当たり前のことである。また、大統領の死体が運び込まれたワシントンのベセスタ海軍病院でJFKの脳細胞組織はステンレスの容器に保管されたが、現在それは存在していない。その検体資料は当時のロバート・ケネディ司法長官の要求によって引き渡され、ケネディ家として処分したという。「この兄の脳漿が後年、博物館や記念館などで人々の好奇の目に触れさせたくない」というロバート・ケネディの言葉が紹介されている。同様に、全ての検死写真が委員会委員とスタッフに開示されたわけではなかったようだ。こうして資料や情報はコントロールされていたということである。

著者シノンの問題提起のポイントは多岐に渡っているが、最大のポイントはケネディ暗殺が外国政府の陰謀であったかどうかである。ウォーレン報告では「外国政府の陰謀」は認められないという立場を明確にしているのだが、スタッフの何人かは当時から犯行前のオズワルドの行動に注目していたという。
「オズワルドは、ケネディをダラスで暗殺する数週間前に、メキシコ・シティを訪れており、ここで、ソ連大使館やキューバ大使館の人間と接触している。なかでも、キューバ大使館の領事部に勤めるメキシコ人の女性シルビア・ドゥランに注目している。彼女はケネディを排除することを公言していたキューバ外交官に深く関係しており、CIAがキューバ諜報ネットワークに属する人間として監視していた人物だった。しかも、オズワルドと肉体関係があることを捕捉していた。また、オズワルドはソ連大使館内で外交官ワレリー・ウラジミロヴィチ・コスティコフと面会していた。コスティコフは表向きは外交官だが、KGBの第十三部に所属しており、第十三部は海外での要人暗殺・誘拐を専門にする部だ」

これだけ判っていても、CIAはオズワルド単独犯で情報統制を行ない、ドゥランに近づく調査の筋を切っていったという。何故か。また、若手弁護士の一人が委員会の聴取の一環としてカストロ首相とキューバ沿岸のヨットの中で三時間ほどの会見をして直接JFK暗殺との関わりを確認していたという話しが紹介されている。この会見結果はウォーレンとジョンソン大統領にだけ報告されたとしている。席上カストロは関与を否定したが、驚くべきはそこまでの行動をこの委員会がしていたということである。しかし、その記録は公文書としては残されていない。

本書では多くの証言が詳細に記載されている。しかし、事件後50年という月日を考えると、当事者達から話しを聞くのは最後のチャンスなのだろう。

フーヴァーの後任としてFBI長官になったクラレンス・ケリーの言葉が紹介されている。
「もしFBI本部がオズワルドのメキシコ旅行について知っている事をすべて話していたら、オズワルドが与える明白な脅威にシークレット・サービスの注意を喚起していただろうと確信した。・・・オズワルドの大統領暗殺計画をFBIが探知することは絶対出来なかっただろうというフーヴァーの主張にもかかわらず、・・・もし、FBIダラス支局があのときFBIとCIAのほかの部署でわかっていたことを知っていたら、疑いなくJFKは1963年11月22日にダラスで死んでいなかったろう」

本書では多くの証言が詳細に記録されている。それらが全て真実であるのかは判らない。しかし、事件後50年という時間経過を考えると、当事者達から話しを聞くのは最後のチャンスというのが現実だ。若き評者がそれなりに納得して読みきった「ウォーレン報告」ではあったが、本書では多様な切り口によって国家、諜報部門、関連組織、人、そして情報といった部分の暗部が示されている。それは、個人、組織、国家の各々のレベルで恣意的に情報が管理される怖さである。与えられた情報だけで誠実に判断することは出来ても、それが正しい判断である保証はない。

「ウォーレン報告」は浄化された情報が論理的に組み立てられているという点では説得力が有った、しかし、本書に示されているように、多くの疑問点を証言とともに提示されると、はたして何を持って「絶対的な真実」と理解すべきかという自信は揺らぐし、「真実とは相対的なもの」であるかのような不安定な気持が残り戸惑うばかりである。近代史最大のミステリーとして読む価値はあると思うのだが・・・ (正)

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