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2014年2月16日 (日)

「名取洋之助」白山眞理

Natori_sirayama

白山眞理 著
平凡社(160p)2014.01.10
1,680円

昨年の暮れ、「報道写真とデザインの父」というキャッチ・コピーを付されて「名取洋之助展」が開かれた(日本橋高島屋)。本書はこの展覧会と連動して発行されたもの。いわばカタログを一般読者向けに編集したヴィジュアル本である。

名取洋之助は写真やデザイン、出版に興味のある人以外、今ではなじみの薄い名前になっているかもしれない。戦前戦後の昭和期に活躍した写真家、編集者、出版プロデューサー。写真家としては昭和10年代、ヨーロッパで盛んになったグラフ雑誌を飾る「報道写真」という新しい流れを日本に持ちこんだことで知られる。

名取は報道写真の手法によって、戦前には日本文化を外国に紹介する雑誌『NIPPON』をつくり、戦後は「岩波写真文庫」を創刊した。前者からは写真家の土門拳、デザイナーの亀倉雄策らが、後者からは写真家の東松照明、長野重一らが育っていった。東松が名取の下で働いた時期を「岩波写真学校」と呼んでいるように、写真家が撮ってきた写真を気に入らないと目の前で破り捨てる厳しい「教師」として、多くの写真家やデザイナーを育てたことも名取が残した大きな成果だった。

この本はまず『NIPPON』「岩波写真文庫」という名取の二つの大きな仕事について、それがどんなものだったかを表紙や中身を複写して見せつつ、関係者の証言を集めている。

『NIPPON』では「どんな表紙にするか、絵柄のイメージは、彼の方で決めてるんですね。アート・ディレクターは名取さんで、イラストレーションとデザインの仕事が私という仕事のやり方だった」(デザイナー・河野鷹思)。「岩波写真文庫」でも「(286冊のうち)百冊ぐらいまでは全部、名取さんがレイアウトをした。膨大な写真を一晩でレビュー用紙に一冊のレイアウトを仕上げ、キャプションの字数も名取さんきめた。連日、徹夜徹夜の連続だった」(当時編集者だった羽仁進)。その徹底した仕事ぶりから、良くも悪くもワンマン編集長だったことが伺われる。

ほかにも戦前の『LIFE』誌での仕事、『NIPPON』と並行して出版した『華南画報』『SHANGHAI』『COMMERCE JAPAN』などの対外宣伝誌、敗戦直後に創刊した『週刊サン・ニュース』誌など、あまり目にする機会のない名取の仕事も紹介されている。

ところで『NIPPON』や「岩波写真文庫」など、時代を先取りしたヴィジュアルな出版物を生み出した名取の、写真に対する考えはどんなものだったのだろう。この本では名取が考える報道写真について詳しく解説されているわけではないので、没後に岩波新書としてまとめられた『写真の読みかた』を引っくり返してみる。

名取が写真のいちばん基本的な機能として重視しているのは記録ということだ。「それが風景写真であろうと、街のスナップであろうと、…造形的に撮られた写真であろうと、誰が写し、誰が芸をこらしたものであろうと、少し時間が経つとみな記録になってしまう」。だから、絵画的表現をモデルにした「芸術写真」や、写真家の主観的な技巧表現などは写真にとって大事なものではない、と名取は言う。

記録性とともにもうひとつ、名取が強調するのは写真は記号であるということ。写真は必ずある時に、ある具体的な物を写したものだから、現実と密接な関係を持っている。つまり記号ではあるけれど、文字のように記号としての抽象度は高くない。だからこそ、あいまいな記号である写真を「読む」必要が出てくるし、複数の写真と文章(言葉)を組み合わせることで、より高度なテーマや物語を語ることができる。

「写真はいわば、見るものから、読むものへと変わりつつあります。何枚かの写真が並べられ、それらが語っている物語が問題となりつつある今日、一枚一枚の写真の技を観賞することは、能において能面だけを観賞するのと同様、まったく別な立場からものを見ることになってしまったのです。…誰でもが能面の彫刻としての芸術性を云々する必要はないのです。映画を見に行った時のように、また手紙を読むような気持ちで、写真を見ればよいのです」

名取が活躍したのは『LIFE』を代表とするグラフ雑誌が世界中で盛んになった時代だった。ドイツ留学中にベルリンのグラフ雑誌で仕事を始め、日本に帰国してグラフ誌を創刊し、『LIFE』の仕事をした名取にとって、写真とは一枚のニュース写真や芸術写真ではなく、何枚かの組写真によってテーマを語る報道写真のことだった。その見事な例を、名取はユージン・スミスが『LIFE』に発表した「カントリー・ドクター」に見ている。名取の写真に関する考え方は、いわばグラフ雑誌の写真と編集の方法論を、それ以外の写真にも通用するものとして一般化したものと言えるだろう。

それ以前に流行した「芸術写真」を否定し、ルポルタージュ・フォト(報道写真)に時代を切り開く新しい方法を見る。それは1930~50年代に、小型カメラや印刷技術、編集技法の発達という技術的要因と、戦争の時代という社会的背景が結びついて産みだした写真の新しい使われ方を理論づけたものだった。

もちろん現在から振り返れば、名取の写真論がそのまま通用するとは思えない。当時は新しかった報道写真の手法も、無数に繰り返されることでパターン化し、陳腐になる。報道写真がテーマや物語を語れるということは、ナチズムであれスターリニズムであれ神国日本であれイデオロギーを宣伝する手段になりうることを戦争が証明した。そして写真をテーマや物語を語るための素材として使うことは、結局のところ言葉のために奉仕することであり、ある時ある場所の世界の断片をそのまま記録するという、言葉や物語に回収されない写真の豊かさを痩せさせてしまう。名取の写真論はそうした時代性を持ったものとして読まれるべきだろう。

ところで本書でいちばん読みごたえ(見ごたえ)があるのは名取の写真作品だろう。名取の写真作品は戦後は『麦積山石窟』や『ロマネスク』といった晩年の記録性の高いものしか刊行されてなく、没後に『ドイツ・1936年』『アメリカ 1937』が出たけれど、目に触れる機会は多くない。ここで紹介されているのは、ドイツのグラフ誌のために撮影した朝鮮・満洲、数年ぶりに訪れたナチス政権下のドイツで各地を撮影した作品、『LIFE』の依頼で撮影したアメリカ、「岩波写真文庫」のために撮影した鹿児島の離島や中国、最晩年に熱中したヨーロッパのロマネスクの教会など。僕は名取の代表的な写真には目を通しているつもりだけど、初めて見るものもある。

いちばん印象に残るのは、やはり1937年の「アメリカ」だ。『LIFE』で仕事を始めた直後、初めてアメリカを訪れた名取がニューヨークを基点にした50日の大陸横断の旅で撮影したもの。1992年に『アメリカ1937』(講談社)というタイトルで大判の写真集にまとめられている。それを見たとき驚いたのは、小さな判型の岩波写真文庫では説明的だった写真が、大きな判に印刷されてまったく違うものに見えたこと。ひとつのテーマで貫かれているわけではないが、初めて見たアメリカの印象が20代の名取によってみずみずしい作品として定着されている。写真文庫ではテーマを語る素材としてしか用いられなかった写真が、大きく見せることで(本書もB5変形)写真の豊かさを主張しているのは皮肉だが、「報道写真の青春」とでも呼びたくなる写真群だ。(雄)

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コメント

thanks i really enjoy reading you’re article !!

投稿: Aubree | 2014年3月 6日 (木) 10時12分

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