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2014年4月15日 (火)

「地震と独身」酒井順子

Jishin_sakai

酒井順子 著
新潮社(283p)2014.02.21
1,512円

東日本大震災から三年。この間、津波や原発事故を多様な視点から捉えた書籍は数多く世に出されたが、まったく異なった切り口の本が本書。著者・酒井順子は1966年生まれ。彼女が認められる契機であり、女性論として長く語り継がれていくであろう「負け犬の遠吠え」から10年。その後も「徒然草Remix」や「ユーミンの罪」などの作品を発表し、洒脱で落ち着いた文体ながら斬新な視点で切り込んでいく姿勢は読者の期待を裏切ることはなかった。本書は、酒井が自らの「47歳・独身」という立場をベースに、被災地を巡り「独身者」達を取材して彼らの行動と思考の軌跡をまとめたもの。なぜ「独身者」に焦点を当てたのかは、東日本大震災の一周年追悼式典で被災三県の遺族代表の言葉に接した時から始まる。

「涙をぬぐいつつ、私が一つ実感したのは、遺族というのは『残された家族』のことなのだ、というごく当たり前のことでした。人が世を去った時、その人を悼み、思うのは家族なのだと。・・・では、独身の人たちはいったい何をしていたのだろう・・・震災の家族の物語とは対照的に独身者の姿があまり見えてこなかったからこそ、私は今、このようなエッセイを書いています」

この震災は、人々が家族の大切さを再認識した出来事であったのは事実だ。評者も、地震直後に自分自身の身の危険を回避したあと、連絡は取れなかったものの携帯電話を手にしたのは家族の安否を確認したかったためだ。その後、多くのメディアでは家族の悲劇や苦労、苦闘、頑張りといったものが報道され続けてきた。東京の震災当日は、深夜まで幹線道路を黙々と歩いて帰宅する人波が続いた。働く母親はとにかく自宅に帰らなければならないという悲壮感で歩き始め、家族の元にたどり着こうとしていた姿である。

一方、このような混乱時こそ高級なホテルのメインダイニングに行って豪華なディナーを楽しもうと単独で乗り込んだ強者女子も紹介されている。なかなかの行動派である。また、酒井自身は文筆業という職業柄もあって東京の自宅にいた震災当日を次のように記している。「あの地震発生のとき、心配の対象として頭に浮かぶ『扶養すべき弱者』がいなかった。・・・したがって、心配よりもTVを見続けて、家に居た」。家族持ちの勤め人からすると、そういう人も居たのかと、あまりの行動の違いに驚くのだが、考えるまでもなく100の家族の物語が有れば、100の自立した「個」の物語が有るわけで、あの日、我々は一つ一つの異なった震災体験をしているのだということを痛感する。

酒井が独身者に焦点を当てて被災地域を回り、震災・被災体験とその後の活動を聞き取り、多くのエピソードを紹介しているのだが、決して美談だけを集めたわけではないし、インタビューも論点を要約して小さくまとめてしまうこともない。インタビューされている人たちの価値観を肯定して無駄と思える部分も彼らの言葉として尊重している。ただ、基本的に常に前向きで肯定的に頑張る独身者の姿を集めているのだ。

酒井が指摘しているように、「世の中が平和の時は人間一人で居ても平気である。むしろ快適ですらある」という独身者が持つ自由さの一方で、震災後の混乱を目の当たりにして「親がこの経験をしなくてよかったかも知れない」という思いが沸き上がった根源は独身者であったとしても「今は亡き両親」の係累からは逃れられないことを示しているのではないか。「心の中では自分と同族の死者達の名前を呼び、助けを求めるような気がしてなりません。生きている人間は、頼りになることもあるけれど、頼りにできない場合は絶望をもたらす存在でもある。独身者にとっては死者もまた重要な命綱なのです」という独身者・酒井の言葉が印象的である。

多くの独身者の行動からいくつかを拾ってみる。看護士として病院勤務をしていたものの、達成感を得られず航空会社の客室乗務員になるべく病院を辞めようとしていた女性。震災発生時から独身の強みで緊急招集に応じて病院に残り、五日間泊まり込んで被災者を支援していく中で、訓練でしか知らなかったトリアージを医師とともに実施したり、不眠不休で被災者の看護を続けることで、自分の持っている知識や技術が人々の役に立っているという実感を強く持てたという。その結果、彼女は海外被災地支援や国際救難活動の拠点となっている大都市の大きな病院に移るという次の人生の選択をした。震災が新しい飛躍のトリガーになったのである。

新な戸惑いを生じさせる経験も語られている。ある女性は大学を出て東京で就職していたが、震災後、父が経営していた会社の再建に苦労しているのを見かねて石巻に戻り、慣れない建設機械の会社を手伝い始める。周りからは感謝もされ、温かくサポートもしてもらえる。しかし、「29歳で独身は東京では何も怖いものはないが、石巻では風当たりが強い。人に会えば必ずと言っていいほど『結婚しないの』と言われる」

また、ある津波の被害を受けた集落の女性は、震災直後は集落の皆で助け合い、工夫して生活していた。そこでは世代も性別も関係なく皆が仲良くなって、不便だけど幸せだったという。「だから電気が通じた時、『このまま電気が来なければ良かったのに』と思いました。・・・今日一日をどう生きるかといった切羽詰まった状態の時は生きる同志であっても、衣食が足りれば、また親の家に住んでいる三十代の独身者『』に戻る。・・・東北の小さな集落は三十代の独身女性にとって決して暮らし易い場所ではありません」

この二つのケースのように地方都市はまだまだ独身女子に対する許容度は低いのだが、頑張る多くの女性がいたのも事実である。

多くのボランティアが日本各地から被災地に支援の為に入ったが、彼らの多くは独身であった。まさに、独身者の自由闊達さが発揮された結果である。加えて、彼らはインターネットでボランティアを募集している団体やグループを調べて被災地支援活動に参加していった。血縁・情愛・上下関係・雇用関係を超えたソーシャル・ネットワークで自己実現が可能で、自己の持つ能力を最も支援に結び付けられる場所を見出したボランティアが多いという結果を提示されると、現代のネットワーク社会が新しい人間関係の構築に対して持っている積極的・肯定的な面を提示している。

被災地の人たち、被災しなかった地域からのボランティア、都会の住人、立場は違っても独身の人たちは震災を期に、ある種の行動に出たというのが酒井の言わんとしているところだ。それを「不幸な出来事が、もともと人の内部にあった導火線に火を点けた。・・・何十年後かの日本で『ああ、これって東日本大震災の後に始まったんだよねぇ』と人々が語り継ぐような物や事は、たった今生れ、育っている・・・独身者は自由に積極的に軽快なフットワークをもって震災後に動き出しました。・・・そして、遠く離れた地の人でも、また会ったことすらない人でも、家族のように心配し、助け合うことが出来るという今風のつながりは、『ほだし=縛り付けるもの』をもたない独身者たちが自由に紡いでいったものなのであり、それはこれからの日本に一つの可能性を示しました。おそらくは今後も晩婚化、非婚化、少子化傾向が続くであろう、日本。すなわち『個』として生きる人々が増え続けるであろう日本において、その可能性は一つの灯火となって世の中を照らすのではないかと、私は思っているのです」と結んでいる。

評者は本書の中の「独身者」という言葉に「若者達」という言葉を重ねながら読んでいた。今後とも、社会構造における家族という単位の重要さは変わらないにしても、「個」として生きる人々の連携にも期待するし、若者達の時として粗野であるが、しかし、新鮮な感性にも期待するのだ。そして、「独身者」という切り口での震災論を提起した著者の感性を貴重な能力と評価したいと思う。(正)

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