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2014年11月16日 (日)

「セロニアス・モンクのいた風景」村上春樹

Thelonious_murakami

村上春樹 編・訳
新潮社(303p)2014.09.26
2,160円

著者のジャズへの傾倒ぶりは良く知られてはいるが、ジャズに関する文章から感じられる村上春樹は作家村上春樹とはまた一つ違った印象を受ける。彼が作家である以前にジャズ好きが文字を紡いでいるという感覚が強いのだ。本書はそんな村上が、稀代のジャズ・ピアニストであったセロニアス・モンクについて自身の文章とともに、ジャズ評論家のレオナード・フェザー、ナット・ヘントフ、ドイツのジャズ評論家のトマス・フィッタリング、またジャズ・プレイヤー達等13人の書いたセロニアス・モンクに関する自伝や評論などから選択してきたもの。そこには多様な視点があり、モンクの音楽や生活を表現されている。

これだけのセロニアス・モンクに関する文章を集め、読み込み、そして訳すということは単なるジャズが好きなだけで出来るわけでもないし、ジャズ評論家というプロだとしても難しい仕事である。それは、村上だからこそ可能なことなのだと痛感する。時間さえあればアメリカであれ、日本であれ、本屋でジャズに関する書物に目を通していたと言っているし、若い頃、水道橋スイングというジャズ喫茶でバイトをし、その後、自らジャズ喫茶を経営したこともある経歴の持ち主だけに単なるジャズ・ファンというだけでないレベルにあることは確かである。加えて、好奇心の旺盛さと、深く構造化された知識などによって本書が作られている。

冒頭に収録されている村上の文章は1997年に刊行された「Portrait in Jazz」に収録されていた、セロニアス・モンクの章に加筆したものである。この本は和田誠の絵、村上のジャズ・プレイヤーに関する文章と推奨するLP紹介によって一章が構成されていくという新しい試みの好書であった。

本書では、セロニアス・モンクという特徴的なピアニストを多角的に紹介する中で、「変わった人」・「奇人」という見方は常に付きまとうものの、示されている多くのエピソードからは、あくまでも素朴で、真面目な人間性が表現されている。そこにはとても悪人になれない、不器用な人間/ピアニストがいるだけである。

エピソードのひとつに、友人であったピアニストのバド・パウエルと車に同乗していたとき、警察に止められて麻薬の捜索を受けた事件がある。バド・パウエルは麻薬所持で即刻捕まったが、モンクは自分の潔白を語ることも、言い訳もせずに、バド・パウエルだけが拘束されるのを良しとしなかったため、警察に拘束された。モンクの麻薬所持は当然立証できずに釈放されたものの、ニューヨークにおける、所謂「キャバレー・カード」は取り上げられ、6年間NYでは演奏を出来なくなってしまった。これはまさに、友人を守ろうとするが故の、不器用な対応としか言いようない。

収録されている文章の内一般雑誌に載ったものが一つ入っている。1964年に雑誌「タイム」の表紙をモンクが飾った号にバリー・ファレルというライターが書いたものだ。この記事はタイムの発売とともにアメリカのジャズ界からは多くの異論が出され、物議を醸した、いわくつきのものだ。今読んでみても、ジャズの世界のゴシップ、麻薬、人種問題といった内容が取り上げられているのだが、当時のアメリカ一般社会から見るとジャズそのものへの誤解や偏見といったものが依然として残っていたことが判る内容である。1964年という時代に「タイム」が表紙にセロニアス・モンクを登場させた理由を考えてみると、1961年以降ヨーロッパのコンサートツアーが大成功に終わり、その後日本ツアーも成功するなどアメリカ国外で高い評価が得られていた事は重要なポイントだと思う。依然としてジャズの母国アメリカでは、国外、とりわけヨーロッパでの評価によって存在意義を認識させられた要素は否めない。ナット・ヘントフの文章にこんなものがあった。

「モンクが黒人であることで味わった体験は、時として厳しいものであったにせよ、それが音楽に反映されているとは思わない。彼はこのように語る『私の音楽は差別や貧困や、その手のものごとに対する社会的発言ではない。もし、私が黒人でなかったとしても、私はやはり同じ曲を書いていただろう』」

ジョージ・ウィーン(ビアニストであり、ニューポート・ジャズ・フェスティバルを立ち上げた人物)の文章を引用しよう。いろいろなコンサートやジャズ・クラブでの演奏に遅刻して来たのは有名であるが、その極め付けがモンクの葬儀の様子である。

「セロニアス・モンクの葬儀はレキシントン街の聖ペテロ教会で行われた。モンクが死んだのは1982年の2月17日だった。教会はその巨匠に最後のお別れを告げようと集まったファンでいっぱいになった。弔辞を述べる一人になってくれと私は頼まれていた。それは追悼式ではなく、葬式だった。なのに棺はどこにあるんだ?  全員がそろったあと20分ほどして、教会の奥の方から棺をかついだ人々が困った顔つきでやってきた。・・・いかにもと言っていいのだろうか、セロニアスは自分の葬儀にさえ遅刻してきたのだ」

このアンソロジーの編者としての村上を考えると、ジャズに対する自信というか好きなことの軸が定まっているといったことだと思う。彼のモンクに対する思いは前述の通り1997年の「Portrait in Jazz」の文章に加筆されたものだが、17年前の当時に書かれたモンクに対する感覚は変わらず踏襲されている。それだけ、若い時に遭遇したセロニアス・モンクはその時代の村上と同一の時空で存在し続けており、不変なのだ。

「モンクのあのピアノの音を聴くたびに『これがジャズなんだ』と思った。それによって温かく励まされさえした。・・・そのころには街を歩いていても、僕の頭の中をモンクの音像がぐるぐるとまわっていた。でも、誰かにモンクの音楽のすばらしさを伝えたいと思っても、言葉で適切にあらわすことができなかった。それも孤独のひとつの切実なかたちなのだ、と僕はそのときに思った。悪くない。寂しいけれど、悪くない」

音楽と時代の同一性といった感覚はよくわかる。逆に、モンクの凄みのある音色に浸っていたあの当時に帰れないと言う非可逆的な思いも切ないが。

そして、最後のエピソード。昔からの付き合いのある画家、安西水丸に本書の表紙を依頼していたものの、彼は今年の3月に急逝してしまった。安西から「1960年代後半にNYに行き、ジャズ・クラブでモンクのライブを一番前の席で聴いていると、モンクが安西にタバコをねだったという。安西は「ハイライト」を吸っていてそれを一本モンクに進呈して、火を付けてやったところモンクは「うまい」といって吸っていた」という逸話を聞かされていた、村上は和田誠に、この安西の逸話を絵にしてほしいといって実現したのが本書の表紙である。加えて因縁を言えば、「ハイライト」のバッケージデザインは和田誠である。村上はこの表紙を村上と和田による安西水丸に捧げたオマージュと言っている。

評者の我儘をひとつ言えば「Portrait in Jazz」で描かれている和田誠の「ブルーを背景に描かれた静謐に埋もれたモンク」の絵を本書でどこかに使ってほしかったという気持ちがあるのだが。(正)

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