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2014年12月17日 (水)

「幻の、京都」西川照子

Maborosi_nisikawa

西川照子 著
光村推古書院(338p)2014.10.31
2,700円

「隠れた歴史の深淵を訪ねる」とサブタイトルを打たれたこの本には、京都の二十カ所余りの寺社が取り上げられている。八坂神社や金閣寺といった観光スポットもあるけれど、大半は観光客の行かない小さな寺や神社。なかには一条戻橋といった橋や、山のなかの祠、小路に祀られた石の塚なんかもある。

著者の西川照子は『神々の赤い花』など民俗学の著書を持つだけでなく、京都で出版企画集団を主宰している。90歳近くなお旺盛な執筆活動をつづける梅原猛の調査・執筆に長年にわたって協力もしてきた。

本書は梅原の『京都発見』(全8巻、新潮社)を「“母”として誕生した」とあとがきに記されている。『京都発見』のために著者は梅原とたくさんの寺社を訪れ、貴重な資料を見、さまざまな話を聞いた。その一部は梅原の著書に生かされたが、漏れたもののほうがずっと多い。それらの地を今度はひとりでめぐり、「その収まりきれぬ物語をここに書いた」という。

例えば京都一の繁華街、四条寺町。その一角に「染殿地蔵尊」と書かれた石柱が建ち、新京極へ抜ける小路に入ると小さな御堂がある。染殿院と呼ばれ、いまは北の鷹峯に移った金蓮寺(こんれんじ)の塔頭である。

著者は心の赴くまま、金蓮寺の歴史をひもといてゆく。平安の世、文徳天皇の后、染殿がこの地にあった地蔵尊に祈って皇子を得たことから、ここは染殿地蔵と呼ばれ安産の神として信仰を集めた。時代がくだって鎌倉時代、ここに四条釈迦堂があり一遍が踊念仏を広めた。室町になると、後伏見天皇の后が難産だったとき、遊行の聖の札を得て男の子を産んだことから、聖にこの地が与えられて金蓮寺が誕生した。

金蓮寺は時宗の寺で、最盛期には東西は鴨川から柳馬場通まで、南北は錦小路通から綾小路通までの広大な敷地をもっていた。祇園に近いこともあって、連歌、立花、田楽、猿楽といった芸能や唐物趣味、床飾りの美学、建築から庭園まで、ここから室町文化の花が開いた。

そんなふうに金蓮寺をめぐる歴史を逍遥して、著者はぽつりとこんなことを言う。「一遍の時宗は、現代、そんなに活躍していない。それでいいのである。戦さの時に時宗・時衆は活動し、死を抱きつつ、花の文化の担い手となった。“死”という生血を吸わなければ“文化”の花は咲かない」

京都の寺社には、千年以上におよぶ盛衰のなかに「死」や「怨霊」がいっぱいに積もっている。現代の観光化された風景のなかでも、じっと目をこらし、心を共振させれば、小路にたたずむ塚から祇園祭の鉾から「死」や「怨霊」が立ちあがるのを感得することができる。著者はまた現代に立ち返って新京極の街角に立っている。「染殿地蔵院に立ったなら、ぜひ、四条大橋のほうを見て頂きたい。そこに見える『幻の京』は、あまりに美しい。あまりに神々しい」

著者が歴史に思いを馳せるとき、いちばん大切にするのは「語り」である。神話や伝承の「語り」。説教節の「語り」。猿楽の「語り」。琵琶法師の「語り」。陰陽師の「語り」。「語り」によって語られた物語にこそ真実が宿る、という折口信夫の言葉を西川もまた信じているようだ。

「語り」は過去に属しているばかりではない。西川は京の町屋に分け入って、小さな祠や祇園祭の鉾について、「語り」でしか伝わっていないものを拾いあつめている。

笛の名人だった藤原朝成(あさひら)という平安貴族の名は、今では人名事典にも載っていない。でも、その館があった三条西洞院界隈にかぎっては、朝成はいまも隣人のように語られている。西川は、近所の人のこんな「語り」を記録している。

「この西北の角の辺やと聞いてます。朝成さんの邸があったのは。…“鬼殿”言うてましたなあ。朝成さんのお顔があまりに醜かったので、かわいそうに“鬼”と呼ばれていたんでしょうなあ。…朝成さんが悪霊になったという伝承もあるんで、それで“鬼殿”なのか、そこのところはよう解りません。ただ、一たび笛吹けば、そのお顔は、笛の音のように美しくなったという風に聞いています」

西川はそんなふうにして、朱雀権現堂や出町妙音堂、五条天神、六角堂、五条の道祖神、聖神社、清明神社、因幡堂、八坂の塔などを経めぐっている。

たとえば朱雀権現堂では、安寿と別れた厨子王がが丹後からその中に入れられ聖に背負われてきたという「皮籠」を見ることになる。

「私たちは言葉を失った。それは言ってしまえば、籠の残骸であり、もっと言えば、ただの黒い塊であった。(住職の)義昭師のカタリがなければ、そういう“もの”である。捨てられても仕方がないものである。しかしここに義昭師のカタリが付くと、私たちの胸は熱くなり、涙を流さんばかりの辛く哀しい心になる」

安寿と厨子王の説話は説教節「さんせう太夫」にはじまり、浄瑠璃などを通じて世に広まった。人々が想像力のなかで紡いだ物語のなかの存在、厨子王が入ったという籠が数百年の時間を伝えられて、いまここにある。それが事実かどうかはどうでもいい。そのように語りつがれた想像力にこそ大切なものがあるというのが西川の態度だ。

とすれば、ここで語られる京都は、現実よりはむしろ想像力や記憶に属する都としてあるだろう。「幻の」という本書のタイトルは、そういうもののはずだ。巷にあふれるガイドブックでなく、記憶の京都地図とも呼ぶべき本書を手に、見えない京都を歩いてみたくなった。(山崎幸雄)

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