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2016年7月19日 (火)

「ザ・カルテル(上下)」ドン・ウィンズロウ

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ドン・ウィンズロウ 著
角川文庫(上636p、下594p)2016.04.23
各1,296円
ドン・ウィンズロウの『犬の力』(2009)は、アメリカとメキシコを舞台に数十年にわたる麻薬戦争を描いた傑作ミステリーだった。米国麻薬取締局(DEA)捜査官とメキシコ麻薬カルテルのボスが宿命的に対決する物語の圧倒的な面白さで、確かその年のミステリー・ランキングで1位を総なめしたはずだ。『ザ・カルテル』はその続編に当たる。

冒頭に「本書を次の人々に捧げる」として、131人もの人々の名前が4ページにわたって挙げられている。著者は、「(131人は)本書の物語が展開する時代に、メキシコで殺されたり“消え”たりしたジャーナリストの一部である」と述べ、こうつけくわえている。「本書はフィクションである。しかし、メキシコの“麻薬戦争”に詳しい人なら誰でも、本文中の出来事が実際の出来事から着想を得ていることに気づくだろう。わたしは数多くのジャーナリストの作品を参考にした」

ドン・ウィンズロウといえば、『フランキー・マシーンの冬』に代表される軽いタッチの犯罪小説やハードボイルドが得意な作家だった。でも1975年から2004年にいたる麻薬戦争の長大な物語である『犬の力』は綿密な調査による事実を下敷きにしている。僕はイラン・コントラ事件を含むラテン・アメリカの麻薬戦争の実態をこの小説ではじめて「なるほど、こうなっているのか」と理解した。

『ザ・カルテル』は2004年、『犬の力』が終わったところから始まる。主役の2人は『犬の力』と同じ。アメリカ・メキシコの混血でDEA捜査官のアートと、メキシコの太平洋岸を支配する麻薬組織シナロア・カルテル(実在の組織と同じ名前)のボス、アダン。

『犬の力』最終章で逮捕され、米国の刑務所に収監されたアダンは、自分が逮捕された後にのしあがったカルテルのボスの情報を米当局へ売ることと引きかえにメキシコの刑務所へ移送される。メキシコで刑務所長を買収したアダンは、やがて脱獄。自分を逮捕したアートに200万ドルの懸賞金をかけて暗殺指令を出し、シナロア・カルテルの再建にとりかかる。一方、身分を隠し修道院に潜伏していたアートは、アダンの脱獄を知って再びDEAに戻る。暗殺指令の出ている自分を生き餌にすることを提案し、メキシコ捜査当局と協力してアダンをあぶりだそうとする。アートとアダン、どちらも追う者であり追われる者であり、コインの裏表のように似た者同士である2人の命を賭けた闘いが始まる……。

文庫版で1200ページを超す本書は、2004年から2012年にいたる「戦記」である。アートとアダン、2人の主役だけでなく何十人もの脇役が出てくる。麻薬戦争の現実にヒントを得て構想された脇役たちが主役以上に魅力的なのが、大河小説である本書の読みどころのひとつだ。

もうひとつのカルテルの暗殺部隊を組織し、誘拐、強姦、拷問、殺人、しかも見せしめに頭部の切断など残虐の限りをつくし、やがて自らカルテルのトップとなってアートともアダンとも対立するオチョア。本書では彼がアートとアダンに並ぶ第3の主役となる。11歳でその暗殺部隊の兵士になって殺人を繰り返し、精神に異常をきたす少年のチュイ。メキシコの獄中でアダンに見初められて愛人になったマグダは、やがて自らも麻薬商として独り立ちしようとする。

アートが協力するメキシコ連邦捜査局長のベラと検事局長のアギラル。二人のうちどちらかは、組織ごとカルテルに買収されているらしい。警察も軍隊もカルテルに密通している。

メキシコで最も殺人の多い町として知られる国境の町シウダ・フアレスで、新聞記者として働くジャーナリストたち。カルテルから金を受け取りながらカルテルの殺人を追及し、内心の不安を隠して仕事するパブロ。パブロが思いを寄せる同僚のアナは、カルテルの暴虐をあばくブログを密かに匿名で書いている。

1970~80年代、アメリカに持ち込まれる麻薬の8割はコロンビアのメデジン・カルテルが支配し、メキシコはその中継基地となっていた。でもメデジン・カルテルの壊滅とともにメキシコ国内でいくつものカルテルが麻薬ビジネスを支配するようになり、カルテルと警察・軍との、また警察・行政・軍隊にも浸透したカルテル同士の「戦争」がつづいている。2011年までの5年間で、カルテルの犯罪や抗争に巻き込まれた死者は約5万人といわれる(wikipedia)。それが『ザ・カルテル』の物語の背後に横たわる現実。

「これはメキシコでなくアメリカの問題なんだ」と、ジャーナリストのパブロがつぶやく。

「なぜ、こんなことに?/北米人がハイになるためだ。/国境のすぐ向こうには巨大なマーケットが存在している。そして、飽くことを知らぬ隣国の消費マシーンが、巡り巡ってこの国の暴力をエスカレートさせる。北米人たちは大麻とコカインを吸い、ヘロインと覚醒剤を打ちながら、図々しくも南の方向を示し(地図上では下を示し)、“メキシコの麻薬問題”と汚職体質を指弾する。/これは“メキシコの麻薬問題”などでなく北米の麻薬問題だ」

物語の後半で、最大のカルテルとなって暴力の限りをつくすオチョアを殺害するために、ケラーはアダンと敵対しつつもかりそめの協力関係を結ぶ。敵の敵は味方というわけだ。愛する者を失ったケラーは職務というより個人的な復讐のために、当局のベラとアギラル(どちらかはカルテルに密通している)とも協力しながらオチョアの潜伏先を探り、オチョア、アダン、ケラーの三者が顔を合わせるクライマックスへと向かう。

長大なストーリーのなかで、次から次に出てくる登場人物の大多数が死んでゆく。読んだ後に残るのは、無数の悲しみが積み重なった物語という感触。ジャーナリストのパブロが書く最後の記事が、その悲しみを代弁している。その記事は、同僚のアンが匿名で書き正体がカルテルに知られそうになった告発ブログに、アンと自分の息子をアメリカに逃がす手配をした後で、アンではなく自分の名前を名乗って(殺されることを承知で)書いたものだ。

「声をあげられない人々、声なき人々に代わって、ぼくは話をしたい。……ナルコ(麻薬商)から拷問され、焼かれ、皮をはがれた人々。兵士から暴行され、強姦された人々。警察から電気責めに、水責めになった人々。ぼくは彼らに代わって話をしたい。……銃撃戦の流れ弾で死んだ子どもたち、親の巻き添えで死んだ子どもたち、母親の子宮から抉り出されて死んだ子どもたち。僕は彼らに代わって話をしたい。……豊かな人々、力を持つ人々、政治家たち、司令官たち、将軍たち、ロス・ピノス(大統領官邸)と連邦代議院。ホワイトハウスと米国議会。AFI(メキシコ連邦捜査局)とDEA(米国麻薬取締局)。銀行家たち、牧場主たち、石油長者たち、資本家たち、そして、麻薬王たち。ぼくはこう言いたい──あなた方は同じ穴の貉だ。あなた方はみんなひとつのカルテルだ」

とはいっても、これは告発の書ではない。追う者と追われる者の二転三転する信頼と裏切り、血と暴力と性にまみれたストーリー。洒落た会話とダークな冗談。にやりとさせられるアメリカ映画や音楽への言及──『犬の力』と合わせれば2000ページを超す年代記的なエンタテインメント小説だ(『犬の力』を読んでなくても問題なく楽しめる)。読者はドン・ウィンズロウのストーリー・テリングを楽しみながら、麻薬戦争がどのように起こり、どのようにたくさんの死者を生み、なぜそれが終わらないのかを心の底から納得させられることになるのだ。(山崎幸雄)

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