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2017年1月17日 (火)

「住友銀行秘史」國重惇史

Sumitomo_kunisige

國重惇史 著
講談社(472p)2016.10.5
1,944円

「イトマン事件」といえば、戦後最大の経済事件として知られる。バブル末期の1990年代、この時代を象徴するように土地取引と絵画取引を巡って数千億の金が闇に消えた。都市銀行と商社の幹部、バブル紳士、闇世界とつながるフィクサー、政治家が主役脇役として入り乱れ、戦後日本経済の不透明な部分が露出した事件だった。

著者の國重惇史は元住友銀行取締役。この事件は大蔵省への「内部告発」と新聞報道によって明るみに出たが、これらはすべて著者の手で工作されたことがこの本で初めて明かされた。当時の著者のメモをもとに、「住銀の天皇」磯田一郎元会長以下、すべて実名で事件の推移が描かれる。ベストセラーになるのも当然かもしれない。

もっとも評者は経済にも事件にも疎い。専門知識もない。ただの野次馬として、読んで感じたことを記してみることにする。

著者は住友銀行でMOF担と呼ばれる大蔵省担当を10年務めた。MOF担とは一言で言えば「情報を取ってくる仕事」で、銀行の「政治部長」のようなものだという。官界とマスコミ、また自社内部や関連企業に人脈をめぐらし、情報を集める。そんな著者が異変を察知したのは1990年3月のことだった。

磯田会長が頭取と副頭取を呼び、あわただしく動いている。イトマンは住友銀行がメーンバンクを務める繊維関係の中堅商社だった。経営不振に陥ったため磯田会長の側近だった河村良彦が社長として送り込まれ、経営を多角化しようと手を出した不動産事業が暗礁に乗り上げていた。そこに接近したのが伊藤寿永光という「地上げなどを手掛ける不動産のプロ」と、関西財界では株の仕手戦で知られた許永中という「怪人物」。二人とも「闇の勢力」と結びついていると噂されたが、伊藤は不動産事業担当としてイトマンに入社し常務となる。

二人の人物がイトマンから巨額の金を引き出した代表的な案件が二つある。ひとつは「雅叙園問題」。経営不振に陥った雅叙園観光の経営権を許や伊藤が握っていたが、ホテルが建つこの土地の再開発を名目に伊藤はイトマンから推定500億円の資金を引き出した。ところがこの土地を所有していたのは目黒雅叙園という名前は似ているがまったく別の会社で、この再開発は実現する可能性のない「架空の計画」だった。

もうひとつは、多角化のひとつとして絵画取引に乗り出し、セゾングループなどから約700億円の絵画を購入したこと。ところがこの価格は相場の2~3倍の高値で、しかもイトマンに絵画を売ったセゾングループの会社には磯田会長の娘が勤務していた。

住友銀行はこの時期、イトマン側に1500億円ほどの融資をし、さらに巨額の融資が予想されていた。「住友銀行が危機に陥っている。闇の勢力に喰い物にされようとしている」。こうした事態が住銀内部で発覚し、そこに派閥抗争がからんでくる。ワンマンとして君臨する磯田会長を筆頭とする「磯田派」と、頭取、副頭取のひとりを中心とし、会長の辞任によるイトマン問題解決を模索する「改革派」。著者はといえば、「改革派」と連携しつつも独自の動きをしていたということらしい。

「私は、ありとあらゆる手段を駆使して磯田会長とそれを取り巻く人たちがどのように動き、誰と何を話していたかについて情報を得ようとしていた。私がどうやって知ったのか、いまもなお明らかにできないものもある」

当時の著者のメモとして「河村社長から磯田会長へ電話。『仕掛けているのは誰だ』。電話がガチャンと切れた」などという記述がある。こんな情報は現場に居合わせたディープスロートからしか得られないだろう。住友銀行という巨大企業の幹部たちの派閥抗争、裏切り、逡巡、二股、保身、多数派工作などが実名で描写されている。そういうことに興味ある人にはたまらなく面白いだろう。

小生が興味を持ったのは、少し別のところにある。これがバブル時代の空気とでも言うのか、狂っているとしか言えない土地信仰と金銭感覚。ずさんで単純なカラクリで数百億の金が動いた。たとえば雅叙園観光が所有するホテルの建つ土地が実は目黒雅叙園という別会社のもので、その土地の再開発を名目に数百億が動いたこと。登記簿を閲覧しさえすれば、土地の権利関係はすぐ明らかになる。そんな常識的な、あるいは基本的な調査すらなしに巨額の金が動く。イトマンや住銀の誰が騙されたのか、知っていながら計画に加担したのかはわからない。でも子供だましみたいなトリックに、都市銀行の銀行マンがころりと騙される。熱病に冒されていたとしか思えない。

あるいは西武百貨店塚新店美術部が発行した「絵画鑑定書」が掲載されている。絵柄のコピーの下にただ、「評価額 6億円 上記の通り評価いたします」とあるだけ。評価の理由について、何の説明もない。担当者の印鑑はあるが署名はない。この紙ぺら一枚で6億円が動いた(この担当者は後に逮捕される)。

この事態に著者が取った戦略は、情報を外部に漏らすことによって事態を公にし、その圧力でイトマンの河村社長を退任させるというものだった。そのために大蔵省銀行局長宛てに「イトマン従業員一同」の名でイトマンの危機を知らせる手紙を送る。もっとも現在のように内部告発が法的に保護されるようになった時代ではないから、あやふやな差出人からの手紙は受け取る側から言えば怪文書と見えたかもしれない。度重なる手紙にも、大蔵省は調査に動こうとしない。

そこで著者はマスコミを使って事態を動かそうと考える。かねてから懇意の日本経済新聞の記者に、イトマンの危機を匂わせる記事を書いてもらう。日経だけでなく、読売新聞の記者にも情報を流す。複数の新聞の報道によってイトマンを包囲し、大蔵省や住銀が事態収拾に動かざるをえないようしむける。

情報を取る仕事は、その関係を持続させようと思えば、著者も言うように常に「ギブ・アンド・テイク」のやりとりになる。相手を自分の思うように動かそうと思えば、相手にも有用な情報を提供しなければならない。大蔵省の係官とMOF担だった著者、新聞記者と著者もそのような関係にある。特にこのとき、日経新聞の記者とは「一種の運命共同体あるいは共犯関係にあった」。記者の側から言えば、住銀の反磯田派に深く食い込み、そこから情報を得てイトマン危機の記事をものすることになる。

一方、磯田派にも懇意の記者がいて、そちらサイドの情報から、イトマンが不動産事業を縮小し、住銀はそれを見守るというマイルドな記事が同じ日経新聞に掲載される。磯田派と反磯田派が新聞をどう利用するかのつばぜり合いが演じられる。事実はひとつでも、立場によって解釈も変わり、そこに否応なく歪みも出てくる。かつて新聞社に身をおいた者として、そのあたりはわかっているつもりでも、改めてマスコミの報道をどう読むか、新聞だけでなくテレビやウェブも含めてリテラシーの大切さを思い知らされる。

さて、それでは著者の立場とはどういうものか。著者はイトマン問題に対して、「住友銀行を守る」という「私が信じた正義、己の使命感」で動いたと記している。著者の思いはその通りとしても、組織のなかに身を置き、派閥抗争のなかで「改革派」の幹部と頻繁に接触していることは、第三者から見れば著者もまたそれなりの立場にいることになろう。「改革派」の動きを「反磯田派の陰謀」と考える磯田派から見れば、著者は反磯田派の尖兵、あるいはその別動隊と映ったかもしれない。

また、著者の側にも社外の協力者がいる。著者は「自分の強みは官庁と闇の勢力の情報」と記す。本書の登場人物で「闇」につながる人脈を探すと佐藤茂という名前に突き当たる。佐藤は旧川崎財閥の資産管理会社・川崎定徳の社長を長く務め、「政界、財界、そして闇の世界に豊富な人脈を持つ『フィクサー』として高名」な人物だった。佐藤は事件の節目節目で著者や「改革派」に接触し、「住銀にヤクザが来たときは自分の力で何とかする」「伊藤寿永光の後ろの魑魅魍魎が動きだしたら自分がきちっとけりをつけてあげる」と発言したと著者は記している。

著者たちが動きだして7カ月後の1990年10月、磯田住友銀行会長は辞意を表明した。翌年1月には、著者たちの多数派工作によりイトマンの河村社長が電撃解任された。4月、大阪地検、大阪府警がイトマンに強制捜査に入り、7月、河村、伊藤、許ら6人が特別背任の疑いで逮捕・起訴された。

著者たちが目指したとおり、住友銀行は守られた。でも住友銀行がイトマンに総額5000億円に及ぶ融資をし、そのかなりの部分が闇に消えた資金の行方は今も解明されていない。まだ書かれていないことがある、もっと奥がありそうな事件だと感じる読書だった。(山崎幸雄)

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