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2017年5月17日 (水)

「『能率』の共同体」 新倉貴仁

Nouritu_niikura

新倉貴仁 著
岩波書店(352p)2017.02.18
3,564円

本書は第一次大戦後(1920年代)から戦後高度成長期(1970年代はじめ)までの約半世紀に亘る、日本の文化ナショナリズムの変化を「能率」という概念を補助線にして説明しようという試みである。第二次大戦を挟むこの時代は社会の仕組、国民の意識、天皇制、家族観などが一挙に変わった時代というのが一般的理解と思う。だからこそ、この半世紀の間でどんな視点であれ連続するという見方に興味を覚えて本書を手にした。

著者は「文化」のナショナリズムを構成するものとして三つの視点を提起している。第一が、近代日本における人口の増加(1920年から1970年で約2倍)と農村から都市への人口移動にともなって発生した格差を「農村と都市の二重構造」について語っている。第二の点は産業化や都市化を背景として社会の大多数を構成するミドルクラスの形成を取り上げている。第三として、産業技術の進歩と能率についてか検討している。

ここで語られる能率とは「量(mass)」と「数(digit)」を管理することで達成される成果をいっているのだが、第一次大戦後の生産技術進歩は圧倒的な生産量拡大をもたらした。その象徴が標準化された部品、作業工程の分割、徹底した機械化と合理化による大量生産を達成したT型フォードだろう。しかし、この大量生産モデルは20年程で限界を迎え、自動車産業の新たなリーダーはGMに変わる。GMはデザイン、情報管理、広告といった消費者の欲望を創出する発想で「生産」を中心とした産業社会のシステムから「消費」を中心とするシステムに変化(社会変容)をとげた。こうした産業技術の進展と経営の進化は人々の働き方も変えて行き、資本家と労働者という対立項として社会を語るのではなく、社会に多くのミドルクラスを生み出すことになる。

この能率の進化は第二次大戦期においてパンチカードシステムの活用が進むとともに、コンピューターシステムの開発が加速されていくことで「数(digit)」の管理の精緻さとスピードが進んで行く。その結果、国家が自らの国力(国民・経済・戦力)を量的に把握し全ての国家資源を活用管理するとともに、科学技術計算の進化によって国家総力戦の推進に貢献していった。こうした産業の進歩は近代日本においても、国家のあり方を大きく変化させ、確実に社会の大衆化を推進させた。こうした状況をこんな言葉で説明している。

「大衆社会とは、人間の感覚器官がテクノロジーの人工的な補助物によって感覚認識の無限性を獲得した社会だった」

産業技術の高度化と文化のナショナリズムを考えるにあたって、「エンジニアリング」と「能率」という概念に注目していることは興味深い。「エンジニアリング」とは「工学」と「文化」の複合と言われている。「文化」とはドイツ観念論の影響で「自然を改変していく人間の力」という意味を持っている。また、「エンジニアリング」の基となる「エンジン(engine)」という概念は「内部で力を生み出すもの」という意味があり、「エンジニアリング」とは、そうした力を実践する総体といっている。

国という形の中で言えばそのエンジニアリングとは、個々の肉体を文化の担い手である国民に変容させる教養と人格を訴える知識人、統制すべき国民社会を作る官僚、そうした集合を収容する物理的な空間を「国土」として開発を推進する企業家が存在するという事としている。

一方、現代社会でナショナリズムはグローバリズムの対極としてしばしばネガティブに語られることが多い。それはナショナリズムが「資本家と労働者」、「都市と農村」、「知識人と民衆」といった対立の融和のための論理であり、ファシズムさえ生み出す源にもなったという過去に起因している。しかし、著者はナショナリズムが知識人たちによってポジティブに語られていた歴史を再考すべきと主張する。その同一性とは「文化の概念」を基軸として、「主体的な個人=人格の確立」と「ナショナリズムとデモクラシーとの結合」を主張して社会変革を志向する、というものである。例えば、大正時代の知識人は有識無産階級と呼ばれ、都市の新しいミドルクラスの代表でもあり、大衆はこの新しい社会層に含まれていた。つまり、知識人と大衆の対立構造ではなく、ミドルクラスを生み出していった「機械」と「能率」という産業技術との関係から解明されるべきという考え方である。

昭和初期の日本で言えば、サラリーマン、大衆化、といった言葉が使われ始め、吉野作造、有島武雄などに代表される「文化生活」運動が盛んになっていった。この運動は西欧諸国に比較して日本の生活水準の低さを改善することを目的としている。結果、「文化住宅」「文化包丁」「文化鍋」といった文化語の氾濫したように、人々は階級によってではなくライフスタイルによって特徴づけられるようになる。また、戦後は、戦前・戦中の軍国主義への反省と敗戦にも関わらず、南原繁らの知識人たちによって再び「文化」によって革新ナショナリズムを国民に語り掛けるのだ。

ただ、産業合理化は国家としての「日本生産性本部」の設立に代表される効率化の推進が続き、多くの国民は労働者であると同時に、消費者として新しい耐久消費財の中に生き、マイホームの取得と企業活動に向けて疾走する。このミドルクラス化の進展は日本における「対立・二重構造」の解消を実現し、その結果として高度成長が本格化する1960年代での革新ナショナリズムの衰退を引き起こしたと言う見方をしている。

本書で描き出されているように生産性やオートメーションの成果は産業の進化の過程として連続した「能率」の発想で説明することは可能だ。ただ、「能率」の持つ善悪もそこには存在するのではないかとも思うのだ。2000年代の初頭に韓国を訪問した時の韓国の財界人との会話の中で、韓国の地方公務員の数は人口で日本より30%程少ないという説明を聞いた。確かに、韓国は住民サービスや管理の仕組みはシステム化が進んでいる。それは何故かと質問すると、皮肉っぽく「半分は日本のおかげ」と言われた。私が怪訝な顔をしていると、「戦前日本の植民地時代、日本は韓国の国民に個別番号を付与して植民地管理を行った。それがシステム化を容易にするとともに効率的社会が作られた。あとの半分は戦後の徴兵制によるもの」と答えをもらった。システム化によって得られる能率の裏にある、負の部分にも目を向ける必要があると感じたものだ。

また、本書を読みつつ感じる事は、自分が生きてきた時代を客観的に俯瞰するのは難しいということだ。それは人生とは自己の体験によって記憶され、意味付けされる。当然、極めて主観的であり続けるからだ。本書のカバーしている時間軸は、私の良く知っている男の人生そのものである。大正9年(1920年)生れ。旧制高校で全人格的教養の涵養の時代を過ごし、昭和17年(1942年)に帝国大学を卒業し就職したものの、わずか1年で召集。陸軍予備士官学校に入り兵役について2年間で終戦を迎えて、ポツダム中尉で除隊。終わってみれば同級生の1/3は戦死していた。就職先に戻ったものの、すぐに国の公職追放審査委員会に出向を命じられ、経済人の公職追放処理に係わり、自分の父親の追放の手続きをするという皮肉な運命に翻弄されている。彼は、自分の為に戦後を生きたのではなく、戦死した友の代わり生きるという意識が強かった。そんな彼にとって1920年から戦後の時代を説明するのにどんな補助線を使ったとしても「連続」と理解することは出来ないに違いない。仮に「連続」があるとしても国の歴史と比較するとあまりにもか細い「家族の連続」が有ったに過ぎないと思うのだ。

この時代は色々な見方があって良いと思う。一つの解答だけが正解ではない。また、ある人にとっての正解は、他の人にとっては不正解かもしれない。近代日本の100年はあまりに多くの血と涙が流された時代である。  (内池正名) 

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