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2017年6月23日 (金)

「世界まるごとギョーザの旅」 久保えーじ

Sekai_kubo

久保えーじ 著
東海教育研究所(252p)2017.02.21
1,944円

著者は世界50ヶ国以上を旅して、現地で出会った食べ物を日本で再現している人だ。奥さんは調理師という能力を生かしつつ、夫婦が追いつづけたテーマの一つが「ギョーザ」である。中国人が日本でギョウザを焼くことにカルチャーショックを受けたというエピソードに象徴されるように、今となっては、焼き餃子はれっきとした日本のソウルフードになったと言って良いだろう。

それは、文化の伝播の常として受容のプロセスの過程で多様な変化が発生し、そこに新しいものが生まれるのは必然という証左でもある。その結果、長い歴史を持ちながらも世界各国にギョウザの仲間が存在し続けていることは「ギョーザ」の持つ魅力であることを教えてくれる努力の一冊になっている。

本書では、10ヶ国のギョーザ類が紹介されているのだが、そもそもギョーザをテーマとしたきっかけは、トルコのカッパドキアで「マントゥ」という食べ物に出逢ったことのようだ。それは、ラム肉を包んだ茹でたての水ギョーザにガーリック風味のヨーグルトとオレンジ色のパプリカ・バターが掛かり、鮮やかな緑色のフレッシュ・ミントがちりばめられているという、ちょっと味は想像し難いもののインパクトのある食べ物であることは十分想像がつく。その「マントゥ」という言葉の由来に興味を持ったことが「ギョーザの旅」のスタートのようだ。

世界各国を訪ねて各地方の食べ物を楽しむためにはネット情報に頼ってばかりでは地元の店や味にたどり着けないと指摘している。自分の求める情報を的確に探し当て、土地の人達が普段食べているまさに庶民的な店を探すのは、土地のゲストハウスに泊まり従業員と相手の顔を見ながら店を聞き出すのが一番という鉄則を実行している様子が良く判る。単なる有名店巡りのグルメ旅とは違った泥臭さが満載である。そうした苦労も違った見方をすれば、現地の人々とのコミュニケーションという楽しみの一つということでもあろう。この「世界まるごとギョーザの旅」は、トルコのマントゥに始まり、次に本家である北京のジャオズを紹介している。

「モチモチした歯応えのある皮を噛みしめると、そこからあふれる濃厚な肉汁にはしっかりと塩味がついています。どおりで周りの人々も日本のように醤油やラー油を付けずに、そのままポイッと口に放り込んでいたわけです。……ニンニクとニラが入っておらず、長ネギとショウガの柔らかく爽やかな味が口いっぱいに広がる……ジャオズ一皿で完結した料理である。……華北なら茹でる、華南では蒸す、餃子はこのどちらかで、スープに入ったバージョンであれば『湯餃』となる」

ギョーザは「一皿で完結した料理」という著者の指摘は私の感覚からすると新鮮だ。日本食の要素の一つに、すしやそばに代表される醤油、たれ、汁に付けて食べるという、所謂「口内調理」という概念があるが、ギョーザにおいてもそうした違いが出てくることの面白さは楽しい発見である。

アゼルバイジャンのダッシュバラとギューザ。ダシュバラはラムのひき肉とドライミントの香りを利かせて小麦粉の皮に包み、あっさりとしたスープに浮かべて食べる。もう一つのギューザ(gyurze)はモッチリとした小麦粉の皮にラムのひき肉をぎっしりと詰め茹で上げる。入っているのはタマネギが少し入り、スパイスはブラックペッパーだけで、サーブの仕方は溶かしバターと赤シソのふりかけ「ゆかり」に似たスマックというドライフルーツの粉末を振りかけるという。興味のある「ギューザ」という名前の由来について興味を惹かれるが、残念ながらその伝播の仕方は不明というのが残念なところ。

ウズベキスタンのマンティは、大きめの小籠包といった風情の写真が添えられている。皮は薄く、挽肉というより包丁でたたいた粗いラム肉にクミン、ディルなどの香辛料を加えて、サワークリームで食べるという。一方、隣国のカザフスタンやキルギスのマンティは香辛料の使用は控えめで、サワークリームもないシンプルなものという。この違いを著者はウズベキスタンのオアシスの定住文化とカザフスタン・キルギスの遊牧民文化の間での食文化の違いと捉えている。こうした、国の成り立ちと文化の違いによって微妙に変化が起こることの面白さが伝わる。

現地の食べ物を再現するための要点は、調理人にその場で直接作り方を聞くことと、現地の市場を訪ねて食材を実際に見ることと言っている。中でも、もっとも難しいのがスパイスで、ホールであれば見せてもらいそれなりに素材が理解出来るそうだが、ミックススパイス的なものは構成分析が難しいという。

また、味、香り、盛り付けに加えて、形や包み方も多様であるために再現性要素としては「見た目」の重要性も指摘している。アジア的にはネズミ包、ヨーロッパ的には「三つ編みスタイル」という表現でいわれている包み方にたどり着いていくのだが、私は形や包み方は「見た目」もさりながら、それは食感にも大きな変化をもたらすものと思っている。

そして著者は奥さんとの二人三脚で各国料理を提供するレストランを始めたわけだが、現地料理を再現出来たとしても、それを商売とするためには全く異なった要素での考え方が必要とのこと。コストだけでなく、客が待ってくれる時間のリミットは20分というハードルがある。調理のプロセスの内95%をオーダー前に処理しておかなければならないという条件が智慧の出しどころであると言われると、単なるギョーザ好きの私としてはプロの厳しさにまったく違う世界を見るようである。

巻末のギヨーザ名分類図というのが示されている。各国のギョーザ族が、ジャオズJ系、マントゥM系、スラブ語P系、バルトスバヴV系、語尾B系、独立系の6つに分類されている。ジャオズJ系を見てみると、中国(ジャオズ)、日本(ギョーザ)、モンゴル(ポーズ)、アゼルバイジャン(ギューザ)が並ぶ。マントゥM系でいうと、韓国(マンドゥ)、ネパール(モモ)、アルメニア(マンティ)、モルドバ(マンティーヤ)、トルコ(マントゥ)等。この分類表を見ているだけで旅をしている気分になる。不思議な一ページである。

著者は「ギョーザの旅」と言いながらも、もう少し視点を広げて食文化を語っている。どうもヨーロッパ各国に行くと胃薬のお世話になることが多いというところから、日本に比べて食べ物の量が多いからと当初は感じていた様だ。しかし、中東各国では薬の世話になる事はないということから、炭水化物摂取の方法として油を使う量の違いがあるのではという仮説を提示している。アジアは米と塩の組み合わせ文化である。極端に言えばごはんと塩で食事になる。

一方、ヨーロッパのパン文化ではバターかオリーブオイルがパンの相棒となるという比較である。また、その派生形として、米食・パン食定着の以降に登場してきた麺も個々の文化圏に根付いた調理の仕方に従って現在に至っているという。世界史的に文化の辺境である日本とヨーロッパはこの仮説は成り立ちそうだが、文化の中心であったアジア・中東の多くの麦、米、そば、ヒエといった穀物文化圏でこの仮説が成り立つのかは多少疑問もあるが著者の「体験型推論の持つ熱意」のようなものには反論ではなく、耳を傾けたい。そして、著者のレストランに行ってみようと思った。 (内池 正名)

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