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2017年7月21日 (金)

「デンジャラス」桐野夏生

Dangerous_kirino

桐野夏生 著
中央公論新社(296p)2016.06.10
1,728円

『デンジャラス』の主人公は文豪・谷崎潤一郎。桐野夏生と谷崎潤一郎。ふたつの名前を並べてみると、どこか共通した匂いがあるように思う。二人の小説から立ちのぼってくるのはタイトルどおりデンジャラスな、危険な香り。謎と秘密がふんだんに散りばめられているのも同じだ。桐野夏生は『ナニカアル』では作家・林芙美子の戦争中の行動を素材に、そこに隠された秘密を大胆に推理してみせた。『デンジャラス』は、その系列に連なる。日本文学史が孕む謎に小説の新しい鉱脈を見つけたのかもしれない。

谷崎潤一郎の小説にモデルがあることは有名だ。『痴人の愛』の「ナオミ」は、最初の妻の妹である葉山三千子。『細雪』の四姉妹は三度目の妻・松子と姉の朝子、妹の重子・信子。主人公の老人が息子の嫁に性的欲望を抱く『瘋癲老人日記』の「颯子」は、谷崎の義理の息子の嫁である渡辺千萬子。モデルとなった谷崎松子には『蘆辺の夢』などの回想録があり、『谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡』が出版されているから、これは広く知られた事実といっていいだろう。

『デンジャラス』の主要な登場人物は潤一郎、松子、重子、千萬子。いずれも実名で登場する。「身の回りを、好きな女性だけで固めていく傾向」(桐野)のある潤一郎を中心に、三人の女性とその家族が織りなす「家族王国」は潤一郎の創作を支える「妖しい想念の宝庫」だった。物語は彼らの「四角関係」(帯のキャッチ)を巡って展開する。

本書の面白さの第一は、語り手に重子を据えたことだろう。潤一郎の妻・松子の次の妹で、『細雪』の「雪子」のモデル。「雪子」は華やかな姉の陰に隠れて、はっきりモノを言わない控えめな女性として描かれている。実際、重子は「雪子」と似たような性格で、常に松子の陰になって姉に寄り添うように、夫の死後は潤一郎・松子夫妻と同じ家で亡くなるまで一緒に暮らした。松子や千萬子には回想や書簡集があるから小説の材料に事欠かかないが、重子は僕の知る限りどんな記録も残していない。それだけに作者が推理と想像力を広げる余地があり、新鮮でもある。

作者は、重子のために二つのクライマックスを用意した。ひとつは、潤一郎が重子に愛を告白する場面。東京が空襲される戦時中、単身赴任している重子の夫が重子に一緒に来るよう説得しているさなか、熱海の谷崎家の門前で二人きりになった潤一郎が突然重子に語りかける。「重ちゃん、ずっと一緒にいてください。死ぬ時も一緒です。僕はあなたが好きです。あなたのためには、すべてを擲(なげう)つ覚悟があります」。

この告白はおそらく桐野の創作だろうけど、潤一郎にこういう言葉を吐かせても不思議はないと言える状況証拠はある。重子が養子にした清治(松子と前夫との間の息子)の嫁になった渡辺千萬子は回想録のなかで、重子と潤一郎の関係についてこう述べている。「谷崎は松子がまだ根津夫人であったため、彼女との結婚をあきらめて、重子と結婚することを考えていたのはやはり事実だと思います」「結婚を考えたくらいですから重子と男女の関係があったと断言する人もあります」(渡辺千萬子『落花流水』)。

さらなる状況証拠に、谷崎が「妻の妹」に寄せる尋常ならざる感情がある。谷崎が最初に結婚した千代には三千子という妹がいた(そもそも谷崎は千代の姉で料理屋の女将・初と結婚しようとしたが、初に妹の千代を勧められて彼女と結婚した)。谷崎は千代に姉の初のような鉄火肌の女を期待したらしいが千代は家庭的な女性で、不満を持った谷崎は千代の妹で新時代の「自覚ある女性」三千子に惚れこみ、妻の千代を作家仲間の佐藤春夫に譲り渡した(「小田原事件」)。谷崎は三千子と同棲し、当時の新興芸術だった映画に入れ込んでいた谷崎は彼女を主演女優に映画を製作し、彼女をモデルに『痴人の愛』を書いた。

女性への思慕と妄想を創作の糧にする谷崎にとって、日常生活を共にする「妻」は常に現実の瑣事に足をすくわれ幻滅する恐れがあるのに対して、「妻の妹」はいつまでも妄想の対象として留めおくことができる文学的存在だったのかもしれない。

もう一つのクライマックスは物語の終盤。70代の谷崎は義理の息子と結婚した20代の千萬子に夢中になる。3年ほど京都で一緒に住んだあと、潤一郎は熱海に転居し、二人の間で手紙のやりとりが始まる。週に何通もの速達でのやりとり。松子と重子は、潤一郎を千萬子に奪われたと嫉妬する。夫に不満をつのらせる妻・松子の意を受けた妹の重子が、潤一郎を問い詰めるシーン。「千萬子をとるか、あたしらを取るか」と詰め寄る重子に、潤一郎は土下座して詫びる。

「私(重子)は足袋を穿いた右足を、兄さん(潤一郎)の左肩の上に置きました。兄さんがびくりとして身じろぎします。/『なら、千萬子はどないするんや』/足先に力を籠めます。兄さんの肩は固くて岩のよう。/『千萬子とはもう二度と会わないようにいたします。……どうぞ私を信じてお許しください』/ふと気配を感じて顔を上げると、続き部屋のドアが少し開いて、松子姉がこちらを窺っているのでした。松子姉の顔が青白く見えます。……私は、松子姉の付録ではなかったのです」

息子の嫁・千萬子と手を切るよう潤一郎に求めながら、潤一郎を足下に置くことによって、姉・松子の陰に隠れるように生きてきた重子が実は潤一郎をめぐる「家族王国」の主役だったのだと、潤一郎と二人の女に対して自らの存在を逆転させる。

『細雪』は松子をモデルにした「幸子」を中心とする四姉妹を主人公とした物語だけれど、ストーリーは重子をモデルにした「雪子」の結婚話を軸に進んでゆく。その意味で、この小説は「雪子」の物語と呼ぶこともできる。桐野夏生は重子の口から「私が中心の『細雪』」と言わせているし、作中の潤一郎も「あれは重ちゃんの話だよ」と重子に告げる。慎ましいが芯の強い女性と設定される重子が、内に秘めた自負を目に見えるかたちで劇的に表現したのが潤一郎の肩に足を置き踏みつける行為と考えていいだろう。

潤一郎を足下に置くこの行為は、谷崎ファンなら、ははん、と思う。谷崎が足フェチであり、自由奔放な女性の足下に(精神的にも物理的にも)ひれ伏したいという欲望を秘めていたのは、あまりにも有名な話だ。

『谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡』には、谷崎から千萬子に宛てて、「あなたの仏足石をいただくことが出来ましたことは生涯忘れられない歓喜であります」と書いた手紙が収録され、また「薬師寺の仏の足の石よりもきみが刺繍の履(くつ)の下こそ」という歌を贈っている。このときのことを、千萬子はこう回想している。

「話をしている最中に突然、まるで五体投地のように目の前にばたっとひれ伏して、頭を踏んでくれと言われた時のことです。ほんとうに奇妙なことに、この時の『頭』と『足の裏』だけが谷崎と私が肉体的に接触した初めての(そして最後の)経験でした」(『落花流水』)

この出来事を桐野は小説のなかで、千萬子が乞われて足を踏む受動的な行為から、重子が自らの意思で潤一郎を踏みつける能動的な行為へと転換させた。現実に谷崎と重子の間にそのような出来事があったのかは分からない。おそらくなかったろう。でも小説のなかで重子に谷崎の肩を踏ませることによって、主人公である重子のヒロインとしての自負と矜持がくっきりと立ち上がってくる。

ところで本書は中央公論新社から刊行されている。そして同社は谷崎潤一郎全集の版元であり、現在、新版の谷崎全集が刊行されつつある。また本書巻末には、「この本を書くにあたりまして、渡辺千萬子さん、高萩たおりさん(注・千萬子の娘)には、大変にお世話になりました」と桐野の謝辞がある。つまりこれは谷崎の遺族と版元の全面的な協力のもとに書かれた小説ということになる。

「協力」というのは、著者が渡辺千萬子から話を聞いたということだろうか(別に参考文献として千萬子の著書が挙げられている)。千萬子と重子は嫁と姑の間柄。桐野は、小説のなかで嫁の千萬子について姑の重子の口から「ウマが合わない」「可愛げのない娘」と悪口を言わせている。

一方、小説ではなく現実の千萬子は『落花流水』のなかで、重子の死に立ち会ったときのことをこう回想する。「最後の最後まで、この私に、ついに心を開くことのなかった嫁に付き添われての帰宅は、この人の孤独な人生を見るようで、その報われない淋しさに胸が痛みました」。

本書の主人公が千萬子でなく重子であること、重子と千萬子の間柄がそのようであったことを承知のうえで千萬子ら遺族と版元の協力があったということは、これまで陰に隠れていた重子をヒロインとして送り出すことで谷崎神話はもうひとまわり大きく、陰影に富んだものになりうるとの期待があったかもしれない。桐野夏生は遺族と版元のそうした意図を飲み込んだうえで、新しい視点から作家の創作の秘密に迫る「芸術家小説」を鮮やかに仕立てあげた。(山崎幸雄)

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