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2017年8月20日 (日)

「花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION」ブレイディみかこ

Hanano_brady

ブレイディみかこ 著
ちくま文庫(308p)2017.06.10
842円

ブレイディみかこという書き手の名前を見かけるようになったのは数年前だろうか(遅いって!)。たいてい「イギリス」と「パンク」という言葉がセットになっていた。小生はイギリスに行ったことがないし、パンク・ミュージックも聞いたことがない。気になりながらも手を触れないできた。

でもあるとき、彼女のブログ「THE BRADY BLOG」を読んだら、これが面白いんだなあ。彼女にしか書けない体験と発想と文体。同じようにブログを使って発信している者として、「参りました」というしかない。最近は雑誌『世界』なんかにも寄稿しているようだけど、雑誌や本といった身構えたメディアではなく、ツイッターやFBといった瞬間的な反応が命のSNSでもなく、ある程度まとまった文章を、しかも友達に語りかけるみたいに気軽に発信できるブログというメディアがあったからこそ登場してきた書き手だと思う。

『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』は、2005年に刊行された直後に出版社が倒産したため、ほとんど出回らなかった処女作のリイシュー版。原著は彼女のブログをまとめたものだけど、さらに200ページの未収録エッセイと最新の書下ろしを加えたものになっている。たまたま彼女の『アナキズム・イン・ザ・UK』(2013、Pヴァイン)も書店の棚にあったので同時に購入し、2冊つづけて読んでみた。

ブレイディみかこはロンドン近郊の都市、ブライトンに住む保育士。パンク好きが高じてイギリスに留学し、放浪癖のあるアイルランド系の男と結婚してブライトンの「貧民街」に住む。最底辺住民のための託児所で働き、ダンプの運ちゃんをしている連れ合いとの間に子供もできた。この2冊の本に書かれているのは、「自分も地べたの庶民として生き、庶民として生きている人びとのこと」だ。

ブライトンといえばときどき映画や小説の舞台になって、風光明媚な海辺の保養地として知られる。確かにポール・マッカートニーの別荘があったり、ロンドンの大企業幹部の超高級住宅地もあるが、彼女が住んでいるのは丘の上に広がる貧民街。そこがどんなところかといえば、「二軒先に警察のブラックリストに載っている幼児愛好者は住んどるわ斜め前の家の息子はドラッグ・ディーラーやわ、バス停までの道の中途辺りには最近地元の新聞に出た自動車窃盗のプロはおるわ」といった具合。

本書の登場人物は、人生はshitだと口癖のようにのたまう連れ合いと、働かずに生きているその友人。みかこさんの友人で、配偶者に逃げられ、会社をリストラされ、再就職先が見つからないブラジル人女性。次々に子供を産み、政府の補助金で暮らしている無職のシングルマザー。かつては荒れていたが今は連れ合いと同じダンプの運ちゃんになった隣家の息子。みかこさんが働く底辺保育所の子供たちについては、彼女に紹介してもらおう。

「ようやく立てるようになった赤ん坊の両足を思い切り踏んではぎゃあぎゃあ泣かせ、『なんでそんなことをするの?』と尋ねたら『俺のすることに理由はない』などとアナキーなことを答え、いきなり私の髪を引っ掴んで10本ほど根こそぎ抜いていきやがった4歳の凶暴児ジェイク。椅子の背中に紐をくくりつけて赤ん坊の人形を逆さに吊るし、玩具のナイフを連投しながら……完全にイッてる目つきでへらへら笑っている戦慄のゴシック・トドラー、レオ(5歳)。『FUCK』と暗い目をして世のすべてのものを否定する1歳の反逆児デイジー」

凶暴な彼ら彼女らとの格闘を描写した後、最後にみかこさんはこう付け加える。「底辺託児所のガキどもは、今日もどうしようもなくノー・フューチャーで、一片のクソの如き人生と向かい合い、受け入れ、消化しようとしている。そんな彼らに、わたしは最大のリスペクトを払うものである」

「ノー・フューチャー」という言葉も「アナキズム(アナーキー)・イン・ザ・UK」という書名も、知ってる人には今さらながら1970年代のパンク・バンド、セックス・ピストルズの曲のタイトルや歌詞から来ている。ビートルズ世代の小生にとってセックス・ピストルズといえば、エリザベス女王の目と口に黒テープを貼った舞台装置の前で過激だが下手クソなロックンロールをがなるガキのバンドという印象しかない。いま、YouTubeで聞いてみると、セックス・ピストルズを代表とするパンクのメッセージは、一言で言えば「破壊せよ! 偽善を拒否せよ!」だろうか。

「物心ついた頃からセックス・ピストルズ派」のみかこさんにとって、異国の底辺社会に生きていく上で日々直面することになる事象が、セックス・ピストルズ(あるいはパンク)の美学に照らしてクールなのかアンクールなのかが、いわば価値判断の基準として内面化されているように見える。処女作『花の命はノー・フューチャー』からその美学は全開だが、『アナーキー・イン・ザ・UK』になると、そんな判断と経験を重ねることによって、みかこさんの目にはこの社会の構造が見えてくる。

彼女は書く。この国にはかつてワーキングクラスが存在していた。彼らは勤勉で、気前が良く、高潔なモラルを持っていた(その文化的表現が例えばジョン・レノンの歌やケン・ローチの映画であり、ベッカムの存在だったろう)。でもサッチャー政権が製造業を破壊し、失業者を増大させたことでワーキングクラスのモラルは崩壊し、その下にアンダークラスと呼ばれる階級の人々が生まれた(その文化的表現というと上品すぎるが、「下層の匂いのするクソがきども」の音楽がパンクであろう)。

「ゴムの伸びきったジャージのズボンから半ケツ出した女たちが乳母車を押しながら煙草をふかし、フディーズ(注・パーカーのフードをかぶった兄ちゃんのこと、らしい)たちが路上駐車された車のガラスを打ち割るたびに、けたたましいアラームが始終響き渡っている貧民街の風景」がそれだ。「英国では生まれた時から生きてゆく階級というものが決まっている。そこから這い上がっていけるのは能力と意志力に恵まれた一部のアンビシャスな子供たちだけで、大半は有限の希望と閉ざされた可能性の中で成長し、親と同じ階級の大人になるだけなのだ。という殺伐とした現実がここにいると嫌というほどわかる」

「町全体が巨大なゴミ箱」であるアンダークラスの社会には、意思してこの世界に生きる人たちもいる。たとえば「アナーコ・フェミニズム(マルキシズム、菜食主義、パンク)」と呼ばれるアナーキストたち。彼らは税金を払わず、ビジネスの世界に背を向け、環境破壊するスーパーマーケットで買い物もしない。畑を耕し、自給自足している。子供は学校に通わせず、「ホーム・エデュケーション」で育てる。みかこさんが働く底辺託児所には、彼らアナーキストの子供も多い。以前、ヨーロッパにはアナルコ・サンディカリズムの系譜を引く人々のコミュニティが残っていると読んだ記憶があるけれど、そうか、こういう形でアナーキズムを実践している人々が現に存在しているんだな。

さらに、「地べたの世界」でヴォランティアとして底辺民をサポートしている人々。たとえば成人向け算数教室の講師をしているRがいる。保守党政権は、読み書きできない成人の再教育に投じていた補助金をカットした。そのため算数教室は有料になり、生徒数は激減、閉鎖を余儀なくされた。生徒の多くは読み書きできなくても構わない最低賃金ワークに就労しているが、Rは自腹でなんとか教室を再開させようとしている。「本気でサッチャーのレガシーの後始末をしようとしているのは、彼のような名もない末端の人びとだ。わたしにとってもっともブリティッシュなのは、彼のような人びとである」

ほかにも、「最後に頼りになるのは知識でなくガット・フィーリング(内臓感覚)」という底辺託児所の責任者アニー、みかこさんを悩ました野獣児ながら別れに「I’ll miss you」という言葉を残して託児所を去っていったアリス、25年無職を通したオールド・パンク、レズビアンやゲイの友人たち、印象に残る登場人物がたくさん出てくる。パンクな愛の詰まった一冊、いや二冊。(山崎幸雄)

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