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2017年10月22日 (日)

「噺は生きている」広瀬和生

Hanashi_hirose

広瀬和生 著
毎日新聞出版(320p)2017.07.26
1,728円

頁をめくる毎に著者の落語に関する造詣だけでなく、愛情の深さも良く判る一冊。それだけに、いささか偏愛とも言えそうな微細な分析には納得というよりも驚きが先行するというのが実感である。落語家に関する評論は数多く世に出されているが、本書は「演目論」であり、こうした演目(ネタ)を核にして落語を語り尽くしている本は珍しい。広瀬が俎上に乗せた演目は名作の名をほしいままにしている「芝浜」「富久」「紺屋高尾・幾代餅」「文七元結」の四つである。演目とは単なる「ネタ(種)」であり、各時代の落語家たちが独自の工夫を加えてさまざまな「演(や)り方」をして噺を語って来た。その意味を広瀬はこう語っている。

「落語の演目とはあくまでも『器』にすぎない。その『器』にそれぞれの演者が『魂』を吹き込んでいくことで、初めて『生きた噺』となる。…噺は生きている。だからこそ落語は面白い」

私も定席や独演会に足を運ぶが、独演会でもない限り演目を事前に知り、その演目を狙って聞きに行くということはないし、出演者の顔ぶれをみて寄席に行き、どれだけ「笑えたか」、人情話であれば最後のオチに心揺さぶられるかどうかが重要だと思う。それは落語家と共通の空間に身を置いて、その時間と空気を楽しむということに尽きるのだ。したがって、「演じ方」の違いに注目するといった聴き方で寄席に行くことはまずはない。その意味からも本書は落語に対する新しい切り口、新しい視線の提示であった。

そうしたアプローチを可能にしたのも著者が多くの落語家の高座を聴いてきた経験・実績は当然として、戦後の落語家たちの噺がテープ、CD、DVDといった形で数多く音源として残されて来たことも重要な要素になっている。また、著者が活用しているのが演者自身で書き残してきた芸談である。特に談志は自らの芸に対し多くの文章を残しているが故に本書でも談志の狙いや噺の組み立ての工夫に対して、実際の多くの音源を基に詳細な分析が行われている。

一方、芸談をいっさい残していない志ん朝について、「志ん朝の『美学』なのだろうがファンとしては悔やまれる」と言っているのだが、語らないことを「美学」として肯定するところに、著者の「落語好き」と「冷静な研究」の狭間で揺れている気持ちが垣間見られる。時々の高座での変化が志ん朝の狙いなのか、はたまた聴く側の気分によるものなのかと思いを馳せることの楽しさもありつつ、本当の気持ちは志ん朝にしか判らないことに対するジレンマは「美学」という言葉でしか著者には表現出来なかったという事だろう。

一方、各演目で歴代の演者による違いが色々な観点で比較されている。その視点の一つが、演者たちが生きた時代による違いに注目しているところである。例えば「芝浜」は、初代圓朝が明治初期に三題噺の会で「酔っぱらい」「芝浜」「財布」という三つの題をもらって創作したと言われている。当時はどちらかというと地味な人情噺という印象だったようだが、三代目桂三木助が戦後昭和20年代後半の日本人のライフスタイルが大きく変わっていく戦後社会の中で「古典」と呼ばれた落語にちょっと気取った「耳で聴く文学作品」的な演出を持ち込んで高く評価された。

三木助の構図は「良くできた女房とダメ亭主」の女房を気取った演じ方をしたので可愛げが足りなかったという特徴があるものの、戦前とは明らかに異なる夫婦観、家族観を持つようになった大衆が三木助の描く「夫婦の形」の新鮮さに感銘を受けたのは想像に難くない、としている。

談志の芝浜は三木助を受け継ぎながら現代人としての感情を大胆に注入し「感動ドラマ」に仕立て上げた。しっかりものの女房は鼻に付くと、とことん「可愛く」女房を描いて見せた。多くのセリフを組み込んで感情表現を描写するドラマチックな演じ方は「談志しか出来ない」という評価である。

志ん生、志ん朝の「芝浜」は「しっかり者だけど可愛い女房」は亭主を立てる謙虚な女房と描かれた。三木助・談志と大きく違う点は、朝に女房に起こされた熊が芝の浜に向かうところを描写することなく、財布を拾いあわてて戻って来た熊が女房に顛末を語り聞かせて五十両を見せるところから語るという単純化した構成をとっている。志ん生は「三木助は芝浜の下りが長すぎて、あれじゃ夢と思えねえ」と言っていたようだ。その違いを広瀬は「リアリズム」と「芸の嘘」という言い方で比較しているが、そうした見方に演者たちの狙いを読み取る面白さを教えてくれている。

噺の時代背景を聴く側に理解されないと落語にならないという葛藤はいつの時代にもある。そんな例を「富久」の中で示している。「大神宮の御祓い」という意味をこの噺のオチに係わるところだけに戦後の演者たちは地の言葉で語っていることが多い。しかし、そうした「地の語り」は必然的に説明的になってしまう。本来、落語は登場人物たちの「語り」で成り立っており、会話から生じるドラマが聴衆のこころを揺するという芸である。そう考えると説明が必要な噺というのは、演目としての時代的限界があると言っていいのかもしれない。しかし、談志は「富久」の「大神宮の御祓いと年末の借金の支払い」をかけたオチから、単に「人の良い律儀な職人が年末に富くじを当てて金を手にして良かった」という素直なドラマとして演じたという変化を生み出したことに高い評価を与えている。ここにも変える力が発揮されている。

「紺屋高尾」のバリエーションである「幾代餅」のほうが本家よりも圧倒的に多くの落語家に演じられているという指摘も面白い。広瀬はその理由を、志ん朝が語る「幾代餅」が笑いも多く、噺の時間もコンパクトで完成度が高いことから、その「テキスト」をベースに演じる落語家が多いとしているのだが、志ん朝の演目毎の完成度の高さをこう分析している。

「三木のり平を演劇の師と仰いだ。…そんなこともあり、志ん朝の『文七元結』は『舞台の共存』を観ているような人物の描き分けをしていて判り易い。…ただ、演劇的であるだけではしょせん『一人芝居』の域を出ないのだが、志ん朝は落語家として天才であったゆえに『文七元結』を美談として観客に納得させることが出来たのだ。その意味では志ん朝の『文七元結』は『完成形』ではあるが普遍的な『テキスト』ではない」

演目がネタである限り、普遍的な「テキスト」は存在しないということだろう。時代の変化とともに、江戸から明治、大正、昭和初期までは落語が「現代のエンタティメント」であり「同時代の観客に語り掛ける芸能」であるのが当たり前であった。その「当たり前」が日本人の生活が激変した時代においても維持するために優れた演者が工夫を重ねてきたのが戦後から現在に至る落語の歴史である。そして、1970年代以降、昭和の名人を直接知る談志や志ん朝の世代が主役となって「現代に相応しい古典落語」を提示した、と指摘する。

私が談志の噺を生で聴いたのは2005年の独演会が最後である。その高座では、どこか「慢心」としか思えない談志の芸に愕然とし、途中退席してしまった覚えが有る。それは談志の才能の高さ故に期待値も高くなってしまうのだ。それに応え続けてほしいという思いは聴く側には常にある。しかし、高い期待に応え続けていた談志と志ん朝の二人はもう居ない。そうした天才談志、天才志ん朝を越えて行く若手が今一つ見えてこないのがもどかしい。
巻末には本書で紹介された演目のCD・DVDで見聞き出来るリストが示されている。その膨大な量に著者の努力の一端が示されている。すごい史料だと思う。(内池正名) 

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