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2018年3月19日 (月)

「コンパス綺譚」グレゴリ青山

Compass_gregory

グレゴリ青山 著
龜鳴屋(120p)2017.12.20
2,700円

映画でも小説でも、1930年代の上海を舞台にしているというと、それだけで手が伸びてしまう。最近だと松浦寿輝の『名誉と恍惚』。「魔都・上海」を絵に描いたような、暗い魅力に満ちた小説だった。スピルバーグが映画にもしたJ.G.バラードの『太陽の帝国』は、この時代の上海を少年の目から見ている。映画なら韓国映画『暗殺』やアン・リーの『ラスト・コーション』が、日本軍占領下の上海で日本人や日本への協力者の暗殺をテーマにしていた。時代は少しさかのぼるが、舞台で『上海バンスキング』という名作もある。漫画なら湊谷夢吉の『魔都の群盲』が忘れがたい。

『コンパス綺譚』は1920~30年代の大連、青島、哈爾浜(ハルビン)、上海を舞台にした連作漫画。ひとつの方位磁石(コンパス)を狂言回しに、コンパスを手にした人々の運命を飄々としたタッチで描いてゆく。登場するのはこの地を訪れた日本人と中国人。詩人の安西冬衛、少年時代の三船敏郎、金子光晴と妻の三千代、プロレタリア作家の前田河広一郎、内山書店の内山完造、作家の魯迅と郁達夫、人気女優の阮玲玉、男優で亡命朝鮮人の金焔といった面々だ。

描く時代を1936年で止めているのがミソ。翌1937年、日本軍は上海に上陸し、日中戦争が本格化する。『名誉と恍惚』も『暗殺』『ラスト・コーション』『魔都の群盲』も37年以後に設定されていて、占領者の日本人・日本軍と中国人・抗日ゲリラが対立状態にある。それがドラマを生むわけだけど、『コンパス綺譚』にはその緊張がない。中国人と日本人その他の人種が雑居する植民地。内山完造が営む上海の内山書店には、日中の文化人が集って文学を媒介にサロンができあがっていた。そこに流れていたであろう束の間のユートピアともいえそうなたゆたいが、この漫画の底に流れている。その緩さがなんともいえず心地よい。

安西冬衛が大連の小盗児(どろぼう)市で手に入れたコンパスをカフェの女給ハルに手渡すことから、コンパスの旅が始まる。「一九二七年 青島篇」などタイトルを打たれた一話ごとに小さなドラマがあって、ハルは青島のカフェに移り、コンパスは三船敏郎少年、父親の写真家・三船秋香を経て、哈爾浜で白系ロシア人の踊り子ニーナの手に渡る。ニーナはやがて上海に流れてくる。

「一九二九年 上海篇」の冒頭では前田河広一郎が金子光晴・三千代夫妻を相手に、「金子くん、オレ今日、五馬路の骨董屋で白系ロシア人の娘からこんなもの買ったんだ」とコンパスを見せている。前田河はフランス租界にあるダンスホールの踊り子ニーナに惚れたらしい。

ダンスホールへ一緒にニーナを見に行った光晴と前田河が会話を交わしている。「こりゃ前田河さんホレるワケだ」「オ、オレは白系ロシア人という反革命な人間に小説的興味があるだけだ」「素直じゃないなー、前田河さん」。前田河は結局ニーナに振られてしまい、金子夫妻が橋の欄干にもたれて、「アハハハハ。まったくやるよなぁ、あのロシア娘」「父のかたみのコンパスなんてウソだったのね」「はは。知らぬが仏の前田河」「ま、それにしてもだ」「なかなか上海らしい話だよな」とぼそぼそと話すカットでおしまい。

金子光晴も前田河も、写実的な劇画タッチでなく漫画の線なので、すっとぼけていながら面影がわかるのが面白い。一方、ハルやニーナといった架空のファム・ファタールはきつい面差しの女(作者──女性ですが──の好みなんでしょう)。背景になる上海の街は、要所要所で資料を基にしたらしい写実的なカットが挿入されている。また登場人物、例えば金子光晴の「陰謀と阿片と、売春の上海は、蒜(にんにく)と油と、煎薬と腐敗物と、人間の消耗のにおいがまざりあった、なんとも言えない体臭でむせかえり、また、その臭気の忘れられない魅惑が、人をとらえて離さないところであった」といった文章が引用される。

金子夫妻や前田河が上海を訪れているのは事実だけれど、ストーリーはもちろん作者のフィクション。戦争に向かって息苦しさを増す日本社会に生きる人間、ましてや文学者にとって、当時の上海や満州といった「外地」は一種の避難場所、アジールでもあった。旅人としてそこに身をおく気楽さと、裏側に張りつく憂鬱と不安が入り混じった束の間の享楽的な空気が、とてもよく再現されている。

コンパスはいつ、どこにいても常に北の方角を指す。「北」の意味するところは、コンパスを持つ人間、また時代と場所によってさまざまに異なる。コンパスを手にした魯迅がつぶやく。「でも大丈夫。行きたい方角さえしっかりわかっていればね」

作者は1930年代の中国映画もたくさん見ているらしい。無声映画時代にスキャンダルによって人気絶頂で自殺した阮玲玉、朝鮮独立運動家の息子で、朝鮮人であることを隠し中国映画のスターになった金焔が登場するエピソードも、日本人少女をからめてうまく取り込まれている。

最後にもう一度、三船写真館で撮影助手をやっている敏郎少年が登場する。写真を撮ってもらいにきたロシア人夫婦に「きみは役者になれる」と言われ、ずっと昔、女給のハルに「アンタ男前やし、活動写真の役者になったらええわ」と言われたのを思い出す。すぐそばまで近づいた戦争を前に、一瞬の小春日和みたいな暖かさで物語は閉じられる。

この漫画はバックパッカーのための雑誌『旅行人』に2004年から07年まで連載された。作者のグレゴリ青山は、同誌でアジアの旅にまつわる漫画やイラストを描いて、『旅のグ』などの著書がある。僕も何冊かのぞいた記憶があるけれど、こういう歴史ストーリー漫画を描いていたとは知らなかった。十年以上たって、この漫画を発掘・刊行した金沢の小出版社、龜鳴屋の眼力に参ります。装幀や造本も品のいいもの。限定531部。完売だそうです。(山崎幸雄)

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