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2018年4月18日 (水)

「思えば、孤独は美しい」糸井重里

Omoeba_itoi

糸井重里 著
ほぼ日(289p)2017.12.05
1,728円

糸井重里の名前は1970年代末にコマーシャルのコピーやテレビの番組司会で知ったと思う。彼に対する印象は新鮮な才能とか時代を先取りする感性もさりながら、消費者を「煽る」という印象を持っていたことは否めない。その頃、ITが社会インフラとしてその重要さを増していった時代で、最先端の技術という耳障りの良い言葉とは裏腹に、ドロドロした地道な努力でオンラインシステムを開発し、日々の稼働に翻弄されていた。そうした高度成長期に働きづめだった人間の目には、彼のように颯爽とメディアに露出して「言葉」で禄を食む新しい才能に対し、やや斜に構えて見ていたということかもしれない。
 
その糸井は仕事の幅を広げると言う意味もあってか、1989年に「ほぼ日刊イトイ新聞」というウェブ・サイトを開始している。このサイトに毎日掲載している文章をベースとして本書は構成されているのだが収められているのは、長い文章もあれば、キャッチ・コピー的な短文、箴言、警句が並んでいる一方、愛犬の写真があったりとなかなかバラエティーに富んだ内容である。

普通、アフォリズムは短文で普遍的な言いまわしが多いのに対して、糸井の言葉は自分をさらけ出して、思いを語ることで独自の世界観を表現している。もっとも、このサイトで毎日、文章をアップしていることを考えれば、自らを語ることなしに長期の継続は難しいだろう。その結果、「小さなことば」シリーズとして2007年から毎年刊行され、本書はその最新刊である。このシリーズの本達はなかなか凝った装丁で作られており、本書も装丁は「ヒグチユウコ」による細密な人物や動物がキッチリとセピア色一色で描き込まれている。そして、表紙のカバー紙は「タントセレクト」という織りに特徴のある紙を採用していて独特の質感・手触りを残している。こうした、書籍としての造作を含めて、糸井の想いと遊び心を実現した集合体なのだろうと思う。

タイトルの「思えば、孤独は美しい」という言葉は、次のような文章の中にある。

「思えば、孤独は美しい。孤独とじっと向き合った人だけが、本人なのである」

成程、糸井にとって孤独とは「じっと向き合う」対象であるとともに、確立した主観のための必要な要素ということか。糸井らしい遊びの潤滑油が若干少な目の感じがする文章。同じく孤独について、別な表現を本書の中で探してみると、

ラジオ番組の司会者が「孤独を感じることは?」と質問した。
とても軽やかに谷川俊太郎は答えた。「孤独は前提でしょう」。
夜を見ながら、風呂でも入ろうか。

「夜を見ながら、風呂でも入ろうか」という、この「孤独観」の方が「じっと向き合う」よりも糸井らしい。しかし、こうした感覚のばらつきもまた楽しさの一つで、この本のページをめくっていて感じるのは、楽しい言葉に惹かれる自分が居るということだ。同じ言葉でも、高校生と40代では違った読み方をするに違いない。状況や立場の違いで読者一人一人が自分なりに読み解いていく。そこにあるのは理解ではなく、共感があるということ。1か0かという二元的なものでもなく、主義を語るわけでもない。本書の言葉を触媒にして、気分転換をしたり、楽しい気持ちになれれば良いのだと感じさせられる。

糸井が好きな吉本隆明との晩年の会話が紹介されているのだが、私としては同時代的に面白く読めるし、病にもかかわらず元気な吉本の発言に興味は尽きない。しかし、世代を超えてこの感覚が共有できるとは思えない。読者一人一人の読み方があり、理解があって良いという事だろう。

糸井の言葉の根底は「希望」と「楽観論」であると思う。そんな楽しく、気に入った文章(詩)の一つが「夢に手足を」と題されたもの。

夢には翼しかついていない。
足をつけて、歩き出させよう。
手をつけて、なにかをこしらえたり、つなぎあったりさせよう。
やがて目が見開き、耳が音を聞きはじめ、口は話したり歌ったりしはじめる。

夢においしいものを食べさせよう。
いろんなものを見せたり、たくさんのことばや歌を聞かせよう。
そして、森を駆けたり、海を泳いだりもさせてやろう。

夢は僕たちに似てくるだろう。
そして、ぼくらは、夢に似てくる。
夢に手足を。
そして、手足に夢を。

まさに「小さなことば」を積み上げただけあって、本書はどこからも読めるし、どこで本を閉じることも出来る。そうした中に糸井の遊び心が組み込まれている。糸井が自らの仕事として多くの実績を残してきたコマーシャル・コピーの持つ特徴を本書から考えてみると、限られた語数で、商品やサービスを視聴者に訴求していくという力が見えてくる。コマーシャルのキャッチ・コピーは商品広告として一定期間継続して多様なメディアで利用される。その多くは映像と共に「言葉」として、視聴者の意識に訴求していくが、当然、視聴者はコピーを聞いたその場で商品を手にすることは出来ない。であればこそ、少ない語数やモーラで表現されるキャッチ・コピーは説得のための「論理」とともに興味を引くための「感性」を伝えるものが求められている。

糸井のコピーの特徴があるとすると「論理」よりも「感性」に特徴があるものが多い。結果的に本書では日々の文章の中に「小さなことば」を抽出していて、ゆったりとした感覚はコマーシャル・コピーの研ぎ澄まされたものとも違う「生活感」が流れている。

糸井の過去の仕事を思い返しながら本書を読みながら、あの井上陽水を使った日産のTVコマーシャルを思い出した。糸井の作った「くうねるあそぶ」というコピーはセフィーロという車を説明するものでもなければ、日産という企業を具体的に売り込む言葉でもない。そうした糸井らしい「言葉」に加えて、「皆さん、お元気ですか」という井上陽水のセリフは昭和天皇の病状悪化とともに、音声として消されたもののこのコマーシャルは放映され続けた。言葉と映像で勝負するTVコマーシャルで一方の言葉を消すという自己否定のような自粛であった。しかし、30年間、「日産」「セフィーロ」「お元気ですか」「くうねるあそぶ」といった単語が人々の心の中に残像として存在しているという事実は、糸井が携って来た言葉による表現の力を良く示している。(内池正名)

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