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2018年9月23日 (日)

「童謡の百年」 井手口彰典

Douyou_ideguchi

井手口彰典 著
筑摩書房(320p)2018.02.15
1,728円

1918年(大正7年)に鈴木三重吉が児童向け雑誌「赤い鳥」を創刊し、童謡創作運動が盛り上がるきっかけとなった。この年を起点として、今年は「童謡誕生100年」と言われている。本書の冒頭には「かごめかごめ」「春が来た」「春よ来い」「およげ!たいやきくん」など10曲の題名が列挙されて、各々が「童謡」か「唱歌」かを判別せよという質問が出されている。古そうだから唱歌かなとというレベルの判断でページをめくり答えを見ると、「残念ながら答え合わせは出来ません」とある。厳密な意味で、何が童謡であるかの定義はできていないという現実を理解するところから本書の読書は始まる。真正面から「童謡」と「唱歌」の違いはという問いを突き付けられると、はたと答えに窮するというのもやむを得ないことのようである。

感覚的には「童謡」という言葉で一括りにしているが、童謡、わらべ唄、唱歌と言われているものから戦後に人気を博した児童歌手や「うたのおばさん」が唄う歌、アニメソングやCMソングなど、各々の時代に多様なジャンルの童謡的な歌が存在してきた。本書はそうした童謡にまつわる過去の記録を掘り起こして、折々の社会・時代でどのように受け止められ、歌われ、語られて来たのかを探り、人々が童謡に対して抱いているイメージの変化の過程を明らかにしようとしている。

したがって、「童謡とは何か」ではなく「何が童謡だと考えられていたのか」を分析しているということになる。こうした視点は著者の専門である「音楽社会学」の手法に則っていて、過去の事象についての情報は雑誌・書籍・新聞などの文章や録音を中心に集められ、反面、当事者へのインタビューは取り入れていないというのが特徴的である。それは、話し手や聞き手はどうしても「今」の常識に引っ張られ、無意識のうちにバイアスがかかる事や自らを美化しがちな傾向を排除するためとしているのも「社会学」たる所以なのだろう。

同じ童謡や唱歌でも時代によって、歌われ方も感じ方も異なっており、けして普遍的なものではなかったことを本書では詳細に述べられているのだが、その中から、なるほどと思ったエピソードを挙げてみたい。

その一つは、童謡の歌詞に焦点を当てて、時代を探ると言う視点だ。「ちょうちょ」は戦前と戦後で歌詞が変更されたことが示され、「蛍の光」の3番、4番の歌詞、「我は海の子」の7番の歌詞は戦後は歌われることが無くなったのは何故かを考えれば、時代による歌われ方の変化は重い意味がある。ちなみに、われわれが知っている「ちょうちょ」の歌詞は、「ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ、菜の葉に飽いたら 桜にとまれ、 さくらの花の 花から花へ、 とまれよ あそべ あそべよ とまれ」というものだが、戦前に歌われていた3フレーズ目の歌詞は「さくらの花の さかゆる御代(みよ)に」であったという。こうした戦前・戦後の歌詞の非連続はひっそりと行われ、一方、曲は連続して受け継がれるという非対称がみてとれる。

次に、1959年にスタートした「日本レコード大賞」の第一回から第十五回まで「童謡賞」が選定されていたことを本書を読んで思い出した。受賞作品は「ちいさな秋みつけた」「おもちゃのチャチャチャ」「オバケのQ太郎」「ムーミンのテーマ」などがある。当時には「童謡」と認められたこれらの楽曲たちであるが、現代の目線で考えれば果たして童謡と言えるのかどうか疑問が残る。

もう一つ、興味深かったのは「二十四の瞳」の三つの版(壺井栄による原作小説1952年、木下惠介監督映画作品1954年、朝間義隆監督映画作品1987年)を題材として、その中で童謡や唱歌がどのように扱われているのかを比較分析しているのだ。話は戦前の海辺の寒村の分教場が舞台であるが、主人公の大石先生が子供たちと歌う歌の変化や、タイトルバックの曲の比較など、時代毎の童謡・唱歌の扱いの違いを詳細に考察している。

そして、特定の歌が「日本人の心のふるさと」として意識されるメカニズムを、童謡・唱歌の持つ三つの特性で説明している。明治の唱歌のような、国家が望ましい国民を作り出すためのツールとしての「実用性」の観点。唱歌を道徳教育的なものとして退けつつ、大正の童謡が子供の歌の世界に取り入れた「芸術性」の観点。最後に昭和に入りレコード・ラジオの普及とともに商品としての性格をより強くしていった「大衆性」の観点である。この三つの特性を持った歌を全てゴチャまぜにした上で「日本人の心のふるさと」というフィルターにかけ、そこを通過した一群の楽曲こそ「日本人の心のふるさと」的な歌であると著者は位置づけている。

こうした考え方を象徴的に体現した、1989年にNHKが募集をした「NHKのふるさとのうた100曲」を紹介している。このイベントは全国から65万通のはがきが寄せられ、そこで100曲が選ばれたのだが著者に言わせると、いま代表的な童謡として考えられている非常に多くの曲が含まれているという。ちなみに、1位から10位を見ると、「赤蜻蛉」「故郷」「夕焼小焼」「朧月夜」「月の砂漠」「みかんの花咲く丘」「荒城の月」「七つの子」「春の小川」「浜辺の歌」と全て童謡・唱歌となっている。このように童謡や唱歌が地域や世代を超えて、「日本」や「日本人」の「心」あるいはその「ふるさと」と密接にかかわり、広く受け継がれ、愛好されていると同時に、今まさに衰退し失われつつあるものとして100曲が選ばれているとの考えだ。

加えて、最近は童謡の歌詞が持つ抽象性にもかかわらず童謡を特定の場所や人物に結び付けようとする活動が全国で展開されているという事実に着目して、童謡の持つ新たな考察すべき視点が提示されている。

著者は童謡の100年間を語っている中で1960年頃が一つの分岐点になっているのではないかと指摘している。1986年に発表された詩人の阪田寛夫の「未来の童謡」と題したエッセイの「近頃はよい童謡がない。今テレビの歌を聞いている子供たちも、きっと20~30年後には子供の頃は夢を育てる良い唄が沢山あったというに違いない…」という言葉を紹介しているが、この予言は当たらず、童謡の下限ラインは現在においても相変わらず1960年頃にあると井手口は主張する。

この時期はわれわれ団塊の世代が学童から生徒に、そして学生に成長していく時期であったのだが、そこが「童謡」の歴史的下限ラインであり続けている理由は何故なのか。著者はこの年代下限を形成しているのは「心のふるさと」の歌を抽出したフィルターの特性によるものとしている。童謡の年代下限が動くことがあるとすると、フィルター自体が変化すること、すなわち、フィルターを形成する国民感覚が変わるという事だ。団塊の世代が良かれ悪しかれ、その数の多さで戦後の社会の中心で生きてきたのは事実である。それは「日本の心のうた」を選ぶ多数派でもあるということだろう。

「童謡」ではなく「老謡」と言われながら団塊の世代がカラオケで童謡を歌っている限りは、童謡の歴史的下限は守り続けられているという事なのかもしれないが、この世代も10年もすれば能動的に社会に影響を与える力はなくなる。そうすれば、遅からず童謡の時代下限は動くはずであるし100曲を構成する楽曲の変化も起こるに違いない。時代を語る軸は色々あるが、子供達の歌をキーワードにして時代を考えるというユニークな視点を楽しめた読書だった。(内池正名)

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