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2018年9月23日 (日)

「陰謀の日本中世史」呉座勇一

Inbou_goza

呉座勇一 著
角川新書(344p)2018.3.10
950円

呉座勇一といえば、『応仁の乱』が50万部のベストセラーになった若い歴史研究者として名高い。書店で本書を見つけたとき、ははん、『応仁の乱』が売れたんで編集者が柳の下を狙って語りおろしてもらい、お手軽につくった新書かな、と考えたのは当方、元単行本編集者として自然な反応だろう。タイトルも「陰謀」だし……。著者の呉座もそう思われることを懸念したらしい。これはそのような本ではないと「あとがき」で弁明している。本書は『応仁の乱』と同じ時期に構想された。でも『応仁の乱』が予想外に売れて仕事が次々に舞いこみ、執筆が思うように進まずこのタイミングになってしまった、と。

小生、『応仁の乱』を読んでない。応仁の乱といえば、「十余年、無駄な(1467)戦争応仁の乱」と年号を覚えただけ。室町幕府の将軍後継をめぐって将軍家と家臣が二手に分かれて争い、身内同士の対立と裏切りで十数年続いた内乱、という高校教科書程度の知識しかない。読書好きの友人に、「どう? これ読んで応仁の乱が分かった?」と聞いたら、「うーん、やっぱりよく分かんない」の答え。そうか、じゃあ読むこともないか、と手を出さなかった。

この本について、今朝(9月4日)の朝日新聞に載ったエッセイで呉座は、「マニアックすぎず、かつ単純明快すぎない」ように書いたと述べている。なるほど。世には「○○の真相」とか「○○の陰謀」といった本があふれている。でも「○○が黒幕」と言いきってしまわず、「単純明快にすぎない」のが歴史研究者としての呉座の立ち位置なのだろう。

『陰謀の日本中世史』の目次を見ると、保元の乱、平治の乱、源義経の謀叛、実朝暗殺、後醍醐の討幕計画、足利尊氏と北朝、観応の擾乱、日野富子と応仁の乱、本能寺の変、関ケ原と、中世史の大きなトピックが網羅されている。これらの「日本中世史における数々の陰謀・謀略を歴史学の手法に則って客観的・実証的に分析」したのが本書というわけだ。

実は「陰謀」をテーマにすること自体、研究者としてはかなり冒険的な試みであるらしい。どうやら学会では「陰謀」はまともな研究対象でなく、「陰謀」というとキワモノ扱いされる。だから呉座がここで分析の対象としているのは歴史研究者(在野も含む)の著書や論文のみで、研究者ではない書き手の「○○の陰謀」といったトンデモ説や、作家の小説は取り上げていない。唯一の例外は司馬遼太郎で、「司馬史観」などと言われ日本人の歴史観に大きな影響を及ぼした司馬の小説は例外として取り上げざるをえなかったのだろう。

この本のなかで、陰謀を考えるとき著者が繰り返し強調している視点がいくつかある。まず、「加害者(攻撃側)と被害者(防御側)の立場が実際には逆である可能性を探る」こと。

例えば保元の乱は、権力の中枢からはずされた崇徳上皇と藤原頼長がクーデタを起こし、後白河天皇方がこれを鎮圧したことになっている(『保元物語』)。でもさまざまな状況を考えると、王家の嫡流である崇徳(兄)側には慌てて挙兵する動機がない。一方、美福門院・藤原通憲(信西)によって強引に擁立され中継ぎの天皇にすぎない後白河(弟)の先行きに、公家たちは不安を持っていた。だから政変を仕掛ける動機は「崇徳側よりも、むしろ後白河側にある」。後白河陣営が武士たちを動員した上で崇徳・頼長に謀叛の疑いをかけ、彼らを挙兵に追い込んだ。「保元の乱を起こしたのは崇徳側ではなく、国家権力を掌握していた後白河側である」というのが現在の通説であるそうだ。歴史は勝者のものとして描かれるのが常なのだ。

もうひとつ著者が強調しているのは、「最終的な勝者が全てを見通して状況をコントロールしていたと考えるのは陰謀論の特徴」ということ。言いかえれば、私たちは歴史の結果から逆算した見方に陥りがちであることだ。

例えば源義経の叛乱。源平合戦の最大のヒーロー義経が兄・頼朝と対立を深めたきっかけは、一の谷で戦功を立てた義経が兄の許可なく検非違使に任官されたことだった。任命したのは後白河法皇で、そこからこれは頼朝・義経兄弟の不和を煽る後白河による陰謀だったとの説がある。しかしまだ平氏が勢力を維持しているなかで源氏の内紛を誘う動機が後白河にはなく、これは後年の兄弟対立から逆算した結果論にすぎないと著者は言う。「後白河は陰謀家である」という先入観もまた、この説を受け入れやすいものにしている。

義経が挙兵に追い込まれる契機となったのは、鎌倉に赴いた義経が頼朝から都に入るのを許されず、京へ戻って後白河の側近として振る舞うようになったことだった。このことについて、頼朝はあえて義経を鎌倉で拘束せず、京都において後白河の支援のもとで反乱を起こすようにしむけたのだという説もある。でも著者によれば、この時点で義経の名声は侮りがたく、義経が後白河の支援を受けて挙兵した場合、これを確実に鎮圧できる自信が頼朝にあったとは思えない。鎌倉で義経を拘束するという安全なやり方ではなく、あえて危険な賭けに出る必要はない。だから頼朝の陰謀という説は、最終的な勝者(頼朝)が全てを見通していたという結果から逆算したものにすぎない。

こんな調子で応仁の乱や本能寺の変、関ケ原までが語られる。怪しげな根拠しかないトンデモ説だけでなく、研究者のあいだでも○○陰謀説や○○怨恨説、○○黒幕説はけっこうあるらしい。そのひとつひとつを呉座は分析し、自分の見方を対置させてゆく。どちらかといえば陰謀説や黒幕説に懐疑的な見方をすることになるから、研究者としてまっとうな結論に落ち着くことが多い。

例えば「(頼朝が)最初から義経を罠にはめようとしていたかのような説明は慎むべきだろう。初の武家政権を樹立することになる頼朝には、手本がなかった。彼は常に試行錯誤を迫られたのであり、将来を展望することは極めて困難だった。〈頼朝=陰謀家〉という色眼鏡を外すことは、鎌倉幕府成立史を考える上でも重要だろう」と。また本能寺の変についても、○○黒幕説を批判した上で「突発的な単独犯行」という見方を取っている。

それでも陰謀論は後を絶たない。なぜ人は陰謀論を信じたがるのか? 「因果関係の単純明快すぎる説明」が人々に受け入れやすいからだ。ひとつの出来事には実際にはいくつもの複雑な原因があるのに、たくさんの要素のなかから一つの要因だけを単純化して口当たりのいい物語にする。素人には分かりやすい。

過去の歴史だけでなく現代社会の問題について、テレビでも書店でも「○○の陰謀」は氾濫している。研究者が陰謀論をまともに研究対象としないなかで、学問的に無価値な奇説珍説がそれなりの支持を得ていることに危機感を覚えた、と呉座はこの本を執筆した動機を述べている。「複雑化する現代社会を陰謀論で説明しようとする知的態度は極めて危うい」。『応仁の乱』や本書の単純明快でないある種の分かりにくさは、著者がそのような意図をもって僕たちに課した歴史のレッスンだと考えれば納得がいく。(山崎幸雄)

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