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2019年1月18日 (金)

「恐怖の男」ボブ・ウッドワード

Kyouhu_bob

ボブ・ウッドワード 著
日本経済新聞出版社(536p)2018.11.30
2,376円

『恐怖の男(Fear:Trump in the White House)』を読んでいた去年12月、マティス米国防長官の辞任が報道された。シリアから米軍を撤収させる、とのトランプ大統領の決定に抗議し辞表を提出したという。追い打ちをかけるように、トランプはこれが事実上の解任であることを記者たちに明かした。ちょうどティラーソン国務長官がトランプを「あの男はものすごく知能が低い」と会議の席で発言し、やがて辞任していくくだりを読んでいたので、本の世界と現実が直につながった気分になった。

本書を読み終えての最初の感想は、「そして誰もいなくなった」。本書では主な登場人物がいっとき活躍したかと思うと次々に辞めていく。ティラーソンだけでなく、プリーバス大統領主席補佐官。バノン大統領首席戦略官。ポーター大統領秘書官。ヒックス広報部長。スパイサー報道官。フリンとマクマスター、二代の国家安全保障問題担当大統領補佐官。セッションズ司法長官。コーン国家経済会議(NEC)委員長。ブレナンとポンペオ、二代の中央情報局(CIA)長官。コミー連邦捜査局(FBI)長官。まだまだいる。

本書によれば、ティラーソン国務長官とマティス国防長官は「二人組」で、しばしば大統領や補佐官の関与・干渉抜きで政策を立案、実行してきた。もっとも、大統領に対し無礼な態度を隠さないティラーソンに対し、マティスは「対決を避け、敬意と服従を示し、仕事を抜け目なく進め、できるだけ出張して、ワシントンDCにいない」ようにしてきた。その「大人」のマティスがいなくなってみれば、トランプの周りにいるのは近親者とイエスマンばかり。さて、今年の世界はどうなるか、などと考える前にまずは本書の面白さを紹介しなければ。

高官の次々の辞任やトランプの独りよがりの政策、衝動的な行動についてはさまざまに報道されているから、ここに新聞・テレビが取り上げるほどの新しい「事実」はない。でも、ホワイトハウス内部で日々どんなことが起こっているかを個人名を特定し、しかも鍵カッコつきの発言で赤裸々に記述し、なおかつ批判的な視点を崩さない取材力にはほとほと感心する。さすがウォーターゲート事件を暴露してニクソン元大統領を辞任に追いこみ、その後も歴代大統領について著作を発表してきたボブ・ウッドワードならではの仕事、である。

興味深い場面がいくつもある。

例えばホワイト・ハウス内部での「犯罪」(窃盗)。2017年9月、トランプのデスクに一枚の大統領親書の草稿が置かれていた。文在寅韓国大統領宛てで、米韓自由貿易協定(KORUS)を破棄する、という内容だった。トランプがそれを読んで署名すれば、米韓関係が崩壊しかねない。草稿を見つけたコーンNEC委員長は、書類を盗んだ。「あの男には見せない。国を護らなければならない」と、コーンは同僚に語った。ホワイト・ハウスもトランプの頭のなかも「無秩序に乱れ切っていた」ので、草稿がなくなったことにトランプは気づかなかった。コーンだけでなく、ポーター大統領秘書官も大統領のデスクから書類を持ち去ったことが二度あったと告白している。

トランプの言動から分かるように、外国(特に友好国)との関係は金で測られる。アメリカはその国にどれだけ貿易赤字を計上しているか。その国に米軍が駐留することで、どれだけ経費がかかっているか。アメリカが損をしているのが我慢ならない。だからトランプは時に友好国(EC諸国や韓国)に対し「敵対的」な態度を取る。そんなトランプの危険な言動が際立った会議を、ウッドワードは詳細に記録している。

2017年7月20日。国防総省の「黄金の間」と呼ばれる会議室。トランプ政権の政策の優先順位を議論する会議だった。マティスが、「ルールに則った民主主義の国際秩序が安定と繁栄をもたらした」とプレゼンテーションした。ティラーソンも同様の発言をした。コーンは自由貿易賛成を論じ、貿易赤字はアメリカ経済を成長させていると断じた。「『そんなことは聞きたくない』トランプはいった。『ぜんぶ嘘っぱちだ』」。次に、大統領は「役者」で自分は「監督」だと自任するバノン主席戦略官が発言した。「大統領がやろうとしているのは、イランに制裁を科すことだ。EUは大統領を支援するのか?」。ティラーソンが反論した。「イランはなにも違反を犯していない」。トランプが言う。「彼ら(EU)はみんな(イランと貿易して)金を稼いでいる。それでわれわれを支援しないのさ」

アフガニスタンに話が飛んだ後、トランプは韓国を取り上げた。「在韓米軍に年間三五億ドルを支出している」。トランプが腹立たしげにいった。「引き揚げろ! どうなってもかまわん」。コーンが反論し、トランプの神経を逆なでするようなことをいった。「韓国はわが国にものすごく多額の補助金を出しています。在韓米軍を撤退させたら、地域不安を鎮めるために、配置する海軍の空母打撃群を増やさなければなりません。そのほうがコストが一〇倍かかります」。トランプは激怒した。「三五億ドル、兵員二万八〇〇〇人だぞ。駐留する理由がわからない。ぜんぶこっちへ呼び戻せ!」。「では大統領」とコーンが答えた。「夜に安心して眠るために、その地域にはなにが必要になるのですか?」。トランプはこう答えた。「なにも必要ない。それに、私は赤ん坊みたいにぐっすり眠れる」

なんの結論も出ないまま、プリーバス主席補佐官が会議の終了を宣言した。トランプが退席し、ティラーソンはすっかり意気消沈していた。「だいじょうぶか?」とコーンが聞いた。「あの男はものすごく知能が低い」。ティラーソンは、一堂に聞こえるようにいった。プリーバスは後に、数多くの悲惨な会議のなかでも最悪の会議だった、と回想している。

トランプの政策の核心は、後に大統領と袂を分かつことになるバノンがヒラリー・クリントンとの選挙戦を戦うためにまとめた次の三項目に要約できる。①大量の違法移民を阻止し、合法的な移民を制限して国家の主権を取り戻す。②製造業の雇用をアメリカに取り戻す。③無意味な海外での戦争から撤退する。その政策を押し通すためのトランプのやり方は「脅し(恐怖──本書の原題)とディール」だ。一方、ティラーソンやマティス、コーンらは、共和党であれ民主党であれ戦後のアメリカが営々と築きあげた国際秩序と貿易体制を維持することを信条としている。両者が混在するトランプ初期政権は「無秩序」そのものだった。

ところでトランプは、1日に6~8時間もテレビを見るそうだ。午前11時頃にならないと仕事をはじめない。また「憑りつかれたようにテレビばかり見ている」ことが、ツイートのきっかけになることが多かった。バノンはトランプに「そのろくでもないものを消せ」と何度もいったそうだ。最悪なのは日曜夜だった。トランプが週末にゴルフ・リゾートに出かけて夜、ホワイト・ハウスに帰ってくると、大統領が「フェイクニュース」と呼ぶMSNBCやCNNの政治トークショーがはじまっている。

トランプとメラニア夫人は、ホワイト・ハウスでべつの寝室を使っている。トランプの寝室では巨大なテレビがほとんどつけっぱなしで、自分でリモコンを操作し、録画した番組を見たり、ツイッターをやったりしている。「プリーバスはトランプの寝室を“悪魔の作業場”と呼んでいる。早朝と危険な日曜夜は、“魔法を使う時間”だった」。プリーバスにできることは、日曜夜にトランプが帰る時間を政治トークショーが終ってからに調整することだけだった。

そのツイッターでの発言は、トランプにとって「職務の片手間ではなく、中心」となっている。「フェイクニュース」のメディアを通さず、時にはホワイト・ハウスの高官にも相談せず、通常の政策決定プロセスを無視して直に国民に語りかける(ちなみに評者もトランプのツイートをフォローしている)。トランプは言っている。「これは私のメガホンなんだ。……こうやってコミュニケーションをとる。私がえらばれた理由がこれだ。私が成功した理由はこれなんだ」。さすがメディアのなかを人気キャラクターとして生き抜いてきただけあって、ツイッターを駆使し爆弾発言をして世界を驚かす術を知っている。かつてツイッターの字数制限が140字だったころ、トランプは自らを「140字のヘミングウェイ」と自賛していた。

読み終えて、「そして誰もいなくなった」の次に思い浮かんだ感想は、「まるで中世の王国だな」だった。近代国家は三権分立のうえに行政府も数多くの組織をもち、その長が大統領と協議して政策が決定される。トランプは往々にしてその過程を無視し、ツイッターでまず自分の考えを世界中に発信してしまう。この本に描かれたトランプ初期政権のホワイト・ハウスは、タカ派とはいえ従来の路線を守ろうとするティラーソン、マチスらとトランプ側近が入り乱れて混乱し、「私たちは狂気の町にいる」(ケリー主席補佐官)とまで言われた。

「国際協調派」を中心とする本書の登場人物がほとんど退場し、近親者(娘イバンカに娘婿クシュナー)と外交・経済についてトランプに同調する者だけが残ったいま、トランプは自らの支持層に訴える本来の政策をより強引に押し出そうとするだろう(下院を制した民主党の抵抗があるとはいえ)。国境に壁をつくり、貿易戦争をしかけ、イランと対決し、友好国には「脅しとディール」で経済と安全保障をからめてくる。もちろんこの国も例外ではない(貿易赤字を減らせ。FTAを結ばないなら自動車に関税をかけるぞ。もっと武器を買え)。この国の首相が例によって薄笑いをうかべ、上辺だけの言葉をしゃべりちらしながら、トランプに唯々諾々と従って対米従属をより深める風景を見ることになるのか。そんなことを新年に考えさせられた読書だった。(山崎幸雄)


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