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2019年1月18日 (金)

「戦時下の日本犬」 川西玲子

Senjika_kawanisi

川西玲子 著
蒼天社出版(265p)2018.07.25
3,024円

タイトルは「戦時下」となっているが、厳密には昭和初期から終戦後までの期間に於ける、愛犬団体が発行していた会報や新聞記事を基にして日本犬と飼い主たちがこの時代に翻弄されながら生きて来た姿を描いている。明治維新以降、日本犬は減少の一途をたどっていたが、それは先進的な西洋の文明を取り込むとともに犬についても洋犬至上主義とも言うべき風潮があったことも一因とされる。犬の世界を切り口として見ることで近代日本の土着性と西洋志向のせめぎあいが炙り出され、維新以降の日本人の精神史を映し出しているというのが著者の考え方であり、面白い切り口である。

加えて、私の個人的な理由で「戦時下の日本犬」というタイトルに惹かれて本書を手にした。それは、母が生前、戦争中に体験した愛犬の供出事件を思い出として語っていたからだ。母は大正14年生まれであるから18歳位の時の話だろう。実家では秋田犬を飼っていた。父親(私からすると祖父)が家族に犬を供出しなければならないと伝えた時、母は激しく反対したという。弁護士だった父親は戦時に鑑み供出も止むなしという結論を出した時、父親に「もう二度と犬は飼わない」という念書を書かせたという話だ。「犬好きの母」と「戦時の犬の供出」という二点が中心の思い出だが、母が生きてきた戦中をもう少し理解してみようという思いで本書を読み進めた。

まず本書の前半は、「日本犬」という概念を確立させた時代が描かれている。日本犬という言葉が正式に登場したのは、「日本犬保存会」が昭和3年に設立されたことに始まる。その後、産地の名を冠された犬たちが昭和6年の秋田犬に始まり、昭和9年の甲斐犬、紀州犬、昭和11年の柴犬などが天然記念物に指定されていく。こうした流れは、戦争の影が濃くなるにつれて極端な土着思想や「日本主義」の台頭によって近代が否定されていくことになり、日本犬保存会の設立もその流れと無縁ではない。

加えて、昭和7年には軍用犬の飼育団体である帝国軍用犬協会が発足しているが、この団体は日本シェパード協会を前身として作られたものだ。この経緯に示される様に大正11年当時に犬適用犬種として認められたのは、ジャーマンシェパード、ドーベルマン、ウアデールテリアの三犬種であり、日本犬は軍用犬(使役犬)としての特性を備えていないとされていた。それにはいくつかの理由が挙げられているのだがその内の代表的なものとして、飼い主一人にしかなつかない(一代一主)というものであった。

日本犬に対する期待と重要性を高めるためにも、「洋犬」に伍して軍に貢献する姿が求められたとしてもおかしくはない。昭和10年に第一回軍用犬耐久試験が開催されて、出場13頭の内、日本犬が一位、二位になったことから、日本犬を軍用犬化する研究が始まったという。しかし、この耐久試験には適用犬のドーベルマンは出場せず、エアデールテリアが1頭、シェパードすら6頭の出場だった。当時、高価なシェパードを飼っていた人達は金持ちや知識層の道楽的な側面が強く、陸軍が買い上げる購買会に愛犬を出さない人達が多かったという。

そうした、条件を無視したとしても、日本犬を軍用犬にという動きは、「一代一主論」を否定することであり、日本犬は家畜化されてこなかったため、「あまり集中力が続かないし、気が向かないという事を聞かない。……飼い主もそうした性格を気に入っている」という日本犬の良さとされてきた資質を否定してでも、「世界に冠たる日本犬」が軍でも活躍するというシナリオの推進は明らかに矛盾を抱えていた。「日本の美風」という謙虚な思考だけでなく、「世界に冠たる」という選良意識が「日本主義」の衣を被り世界と対峙しはじめたというジレンマに人も、犬も巻き込まれていった時代だったという事だろう。

後半は徐々に戦時体制に移行していく時代を描いていて、追い詰められた犬たちと守ろうとする飼い主たちの状況に焦点が当てられる。昭和13年国家総動員法公布を皮切りに、昭和14年皮革国家統制が始まり、これが犬の供出に繋がっていく。昭和15年には帝国議会で「犬猫は不要につき殺処分せよ」という主張がされ、昭和16年には警視庁が食肉営業取締規則を改正してアザラシ、食用カエルに加えて犬肉の販売が許可された。こうした当時の状況を踏まえると、保存会の会報「日本犬」(昭和16年)では「駄犬の飼育を禁止し、同時に野犬狩をして撲滅を図れば、犬に要する食糧は今までの二分の一で済む」という選良意識はより強くなり人々の心を歪めて行ったということだろう。

昭和16年12月8日の開戦とともに家庭での犬の飼育は難しくなって来た。国内の獣医の多くは中国大陸に70万頭近くの軍馬と共に出征していった時代である。昭和18年には犬の供出が法的な根拠のないまま、なし崩し的に始まったが、これは自治体単位で行われ、飼い主は愛犬を各警察署に連れて行った。供出の理由も自治体毎に決めて「狂犬病撲滅」「犬の特攻隊をつくって立派に死なせてあげよう」「犬は重要な軍需品」などのスローガンが挙げられていたという。こうした、犬猫献納運動はその名の通り「運動」という形で行われ、国民精神総動員運動などと同様、国民が自ら主体的に担う形をとっていた。地域社会が強固で、配給等も町会が仕切る仕組みでは、住民が一人だけ別行動をとることは不可能だった。まさに「愛国心の踏み絵」として実施されたと言って良い。昭和19年5月になると畜犬徘徊禁止令が出され、都内では戦後の昭和21年に至るまで犬の徘徊は禁止され捕獲されていった。いわゆる野犬狩りであり、「犬殺し」という言葉を思い出した。こうして、戦後に引き継がれていくことになる。

昭和初期から戦後に至る日本犬に関する代表的なストーリーとして「ハチ公」と「のらくろ」が紹介されている。「のらくろ」は軍部からは「神聖な軍隊を犬に例えて描くこと」に対して批判を受けていた様だ。一方「ハチ公」は永く日本人の好むストーリーとして語られてきた。日本犬保存会の創設者の一人が投稿したことから、昭和7年の朝日新聞が「いとしや老犬物語。今は世になき主人の帰りを待ちかねる七年間」という記事が掲載されると、昭和9年には銅像が建立され、昭和10年には尋常小学校の修身の教科書に「オンヲ忘レルナ」という項目で取り上げられるに至った。こうしてハチ公は戦時色を強める中で国家に利用された側面は否定できない。

戦局悪化の中でハチ公の銅像さえも供出されたものの、戦後GHQの後押しでハチ公像は再建された。その除幕式は昭和23年8月15日という終戦記念日に行われ、占領下ということもあり、アメリカ、イギリス、中国、朝鮮、日本の児童が幕を引き、各国代表が各国語で挨拶をした。そう考えるとハチ公は戦前も戦後も結局は時代に利用され続けたことになる。犬好きからすると「ハチは犬らしく生き、犬らしく死を迎えただけなのに、過剰に美化されたり、根拠のない誹りを受けたのが実際ではないか」という言葉が紹介されているのが救いである。

本書では、終戦とともに、焼け跡からの再出発として戦時中の負の部分の精算とともに、現代に至る時代を語っている。その一つが、日本人の生活様式の変化に伴い、飼育形態も「日本犬」に要求される資質・性格も変わってきたということだ。中型犬の柴犬人気に始まり、豆柴の登場に至ってはもはや愛玩犬であり、日本人と日本犬のあり方としても様変わりしている。ただ変わらないものとして著者が指摘しているのは「動物を過剰に管理しないという日本人と犬との関係性であり、そうした文化を継承したい」と述べているのが最後の爽やかな印象である。(内池正名)

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