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2019年7月16日 (火)

「日本銀行『失敗の本質』」原 真人

原 真人 著
小学館(253p)2019.04.03
907円

著者の原正人は日本経済新聞から朝日新聞に入り、経済部記者、論説委員、編集委員を歴任した。プロであれば、自らの能力を最大限に発揮できる環境を求めて転籍するというのは自然なIT業界で生きてきた私としては違和感はあまり感じないが、新聞業界の風土としてはどうなのか。経済部記者ということは産業界、学界、官僚、政治家など多くの取材源を持って記事を書いていくのだろうが、彼の仕事として判り易かったのは、安倍が2012年12月に「デフレ脱却」の政策を掲げて選挙戦に打って出たが、その政策を批判するために「アベノミックス」というキーワードを使って初めて記事にした本人という点である。

この言葉の元となったのは、言わずと知れた「レーガノミックス」だが、それは「小さな政府と強いドル」を志向しながら「軍事費を拡大」するという一貫性のない経済政策を進めた結果、貿易赤字と財政赤字に苦しめられた政策を揶揄するために使われた言葉だが、この政策を当時は「ブードゥー(呪術)経済学」と批判されていた。この言葉を一ひねりして「アベノミックス」と名付けて安倍の政策批判記事を書いたという。

振り返れば当時の日本の産業界、特に輸出産業各社は「円高」「法人税率の高さ」「電力の供給不安」「自由貿易協定(FTA)への対応」「労働規制」「環境規制」などの対応に苦しんでいた。ただこれらの問題の殆どは日本固有の問題ではなく、世界の主要国の共通した課題であったことは忘れてはいけないと思う。こうした環境での「デフレ脱却」の政策を説明の際に安倍は「日銀と政策協定を結んでインフレ・ターゲットを設けたい。…達成できなければ日銀総裁には責任を取ってもらう」とか「建設国債を大量に発行して日銀に引き受けさせる。そして、やるべき公共投資を行う」と語った。こうした発言に象徴される様に、財政法や日銀法に定められた独立性についても理解しているとは思えず、政治的にも、経済学的にも常識から外れた政策や発言を繰り返すだけでなく、「アベノミックス」という揶揄さえも安倍は自らその言葉を使うに至り著者の感覚を次の様に記している。

「安倍は『レーガノミックス』という言葉の拠来を知ってか知らずか、安倍自らが『アベノミックス』 というこの言葉を使うようになったのには、いささか経済学や歴史の無知としか言いようのないこっけいな姿に見えたものだ」

安倍のこうした発言以上に、私は自国の総理大臣に対して情けない思いを抱いた発言を本書の中に見つけてしまった。それは「輪転機をぐるぐるを回して、日本銀行に無制限にお金を刷ってもらう」という言葉だ。官僚や内閣府のブレーンがついて居ながら、何故こうした言葉が出てしまうのか。

一方、冷静に考えれば、こうした人物やその党派を選挙で選んでいるのも我々国民であることを考えると、2013年の選挙で民主党政権のふがいなさから消去法として浮かび上がったとはいえ、自民党内に総理人材が安倍しかいなかったというのも、この時代の日本の悲劇と言わざるを得ない。

本書では政府の債務残高のGDP比の推移が1つの重要な視点として1890年から2019年までの130年間のグラフを示している。そこから読み取ることが出来るのは第一次世界大戦から第二次世界大戦の参戦とともに軍需産業の成長を支える戦時国債の発行が進み、敗戦直前には債務のGDP比は200%を超えていたことと、敗戦とともに国債は紙くずと化しハイパーインフレが発生し預金封鎖、新円切り替え等を行って国の借金を帳消しにした状況が見て取れる。そして戦後75年を経過した現在の債務残高のGDP比は敗戦時の200%のレベルを超えている。二つの時代の相似からも「財政の危うさ」を著者は強く指摘している。ただ、問題の本質は現在の日本の経済規模で万一でも破綻した場合、世界のどの国も経済共同体も援助できる規模を超えていると言われていることだと思う。

次に原が指摘しているポイントは日銀と安倍政権との連携である。安倍政権のスタートとともに日本銀行側のパトナーとして黒田東彦日銀総裁が任命される。そもそも先進国の中央銀行の金融政策・運用が選挙の争点になったことはない。これまでは「金融政策の政治化」を避けると言うのが政治の知恵であった。そうした世界の常識さえも捨てた安倍と黒田の二人三脚を、名著の「失敗の本質」に準えて第二次世界大戦の日本政府、日本軍の失敗との相似について分析しているのだ。

「失敗の本質」で語られたシナリオに沿って、日本銀行の政策決定や総裁発言を開戦から敗戦までの推移と比較分析している。黒田の前任の白川が安倍から突き付けられたコミットメントを拒否する形で任期満了前に退任したのも衝撃的であったが、その後の総裁黒田、副総裁岩田のコンビは「物価上昇目標2%は2年で達成できる。出来なないなら責任は自分達にある」と言って就任した。しかし、その目標達成時期は延期に次ぐ延期でいまだに達成されていないが、黒田は依然として総裁の座に坐り続けている。これは、ここまで悪化した国家債務に対処する課題の大きさに対して次期日銀総裁になり手がないという指摘もある一方、もはや、黒田がどう言い繕ったとしても2013年の就任時の短期決戦戦略は破綻し、それを修正しようとすればするほど安倍・黒田が否定した白川時代の政策に近づいていくというパラドックスに陥っているということだ。こうした「アベノミックス」の6年間を振り返りつつ、最後の「第二の敗戦」にさせないための判断を問い掛けているのが本書の言わんとしているところだろう。

本書のもう一つの論点は安倍政権の組織論的特性である。その分析とは、著者の立場からすれば、欠点を指摘しているのだが、その論点は、曖昧な戦略目的、短期志向の戦略立案、空気が支配する非科学的な思考、属人的決定プロセス、修正されない組織等を第二次大戦中の政府・軍部の組織文化との比較をして見せている。こうした判断や評価については多様な視点からの反論は当然あるにせよ、著者の姿勢は一貫している。

いずれにしても、健全な議論・論戦がされるべき現代で、政治だけでなく黒田日銀も言葉を失っていることを示すエピソードが書かれている。それは、日銀総裁の記者会見は挙手した記者に対して総裁が指名する形をとるのが慣例であるが、黒田は挙手している記者がいるにもかかわらず会見を打ち切ってしまう、初めての日銀総裁だという。こうした姿勢は明らかに自由な討論を否定する危険な仕振りである。

二人三脚の安倍も、政治家としての不勉強さだけでなく、その誤りさえも自覚できないというレベルに到達してしまったようだ。安倍が「物価が上がれば景気が良くなる」と語っている論理は誤謬であり、「実体経済が良くなるので物価が上がる」というのが科学的な論理思考である。

いずれにしても、我々に突き付けられている状況とは「アベノミックス」の待ったなしの出口戦略の必要性である。団塊の世代が全て75歳となる2025年に向けた施策が必須という著者の指摘は正しいと思う。一方、その出口戦略を推進していくための戦術を具体的に定義して、行動することが求められている。不都合な事実に目を逸らすことなく、判断と行動が求められているという事実だろう。「第2の敗戦」という言葉が怪しく目の前に行き来するという感覚が残る読書であった。( 内池正名 )

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