「文豪たちの悪口本」彩図社文芸部
彩図社文芸部 編
彩図社(224p)2019.05.28
1,296円
名だたる文豪たちが、同業者である作家や編集者に対して発した「悪口」や「非難」の文章を集めた一冊である。「これらの悪口から文豪たちの魅力を感じてほしい」との思いから本書をまとめたとのことであるが、言葉のプロ達の「罵詈雑言」を突き付けられると喧嘩となった理由を理解・納得する以前に、彼らの人間性にいささか否定的な思いを持たざるを得ない程、激しい言葉遣いに驚いてしまう。そこまで言わなくても…と、読んでいて辟易としつつも、文壇人間模様の確認という意味ではそれなりの読書だったという事だと思う。まあ、暑い夏の読書としては、清涼感を期待してはいけない一冊。
本書で取り上げられている文豪たちは、「太宰治と川端康成」「中原中也」」「志賀直哉と無頼派作家たち」「夏目漱石と妻」「菊池寛・文芸春秋と今東光」「永井荷風と菊池寛」「谷崎潤一郎と佐藤春夫」といった人達の間での、一言でいえば喧嘩の集大成である。もっとも、夏目漱石の日記に記載されている妻鏡子に対する悪口は、漱石の洒落っ気と負けず嫌いが根底にあり、しっかり者の妻に対する亭主の遠吠えみたいなものだから、他のケースとは異なった「悪口」である。
まず登場するのは太宰治であるが、川端康成との対立は芥川賞選考に関する川端の「私見によれば作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みがあった」と言うコメントに始まっている。結果として太宰の作品「逆行」は受賞叶わず、私生活まで非難されたと感じた太宰は次の様な抗議文を「文芸通信」に投稿した。
「私はあなたの文章を本屋の店頭で読み、たいへん不愉快であった。…ただ、あなたは作家というものは『間抜け』の中で生きているものだということをもっとはっきり意識してかからなければならない」
太宰が言う「間抜け」、川端が言う「生活の厭な雲」の一端を示すものとして、太宰の日記には金を借りる話が数多く書かれているが、「小説を書き上げた。こんなにうれしいものだったかしら。…これで借銭をみんなかえせる」という文章が印象的である。川端がこうした状況を「生活の厭な雲」というのも判らなくはないが、芥川賞の選考に影響させると言うのはやりすぎだとおもうのだが。
次に、太宰が対立したもう一人の人物は志賀直哉である。志賀は「文藝」の対談で太宰の「斜陽」などの作品について「さいしょからオチがわかっていてつまらなかった」とか「貴族の令嬢の言葉遣いがおかしい」などと評している。それに対して太宰は「新潮」に反論を連載し始める。
「或る雑誌の座談会の速記録を読んでいたら、志賀直哉というのが妙に私の悪口を言っていたので、さすがにむっとなり、こちらも大いに口汚く言い返してやったが、あれだけではまだ自分を言い足りないような気がしていた。…どだいこの作家などは思索が粗雑だし、教養はなく、ただ乱暴なだけで、そうして己ひとり得意でならず、文壇の片隅に居て一部の物好きなひとから愛されているくらいが関の山であるのに、いつの間にやらひさしを借りて図々しくも母屋に乗り込み、何やら巨匠のような構えを作って来たのだから失笑せざるを得ない」
この「如是我聞」と題された一連の反論の最後が発表されたのは昭和23年3月。太宰は三か月後に愛人と入水自殺することになる。
また、志賀直哉は昭和22年の朝日評論の谷崎潤一郎と対談の中で太宰と同じ「無頼派」と言われていた織田作之助の印象を聞かれたときに「織田作之助か、嫌いだな僕は。きたならしい」とバッサリ切り捨てている。好き嫌いの表明自体が問題であるとは思わないが、記録に残る文章で「きたならしい」という発言はまさに「悪口」だ。文壇だから許されるというものではないだろう。この発言に対して織田は太宰と違って冷静に反論しているのが大人らしい。
「口は災いのもとである。…ある大家は私の作品を人間の冒涜の文学であり、いやらしいと言った。…考えてみれば、明治以降まだ百年にもならぬのに明治、大正の作家が既に古典扱いされて文学の神様になっているのはどうもおかしいことではないのか」
菊池寛は文芸春秋を創刊し、川端康成、横光利一らの若手作家の活躍の場を提供して行った。今東光も同人の一人であったが、「文芸時代」の創刊や大正13年の文芸春秋に掲載された「文壇諸家価値調査表」なる記事が契機となって騒動が勃発する。それは70名の作家を対象として、学歴、天分、風采、資産、性欲など11項目を評価採点したものである。これに憤慨した横光利一は読売新聞に、今東光は新潮に「文芸春秋の無礼」といった文章を送り付けた。ただ、横光は川端のとりなしで掲載前に撤回し、一方、今東光は以下の文章を新潮に掲載した。
「この決定的な、この上思いあがった、そしてこの非常識…何だか例に引いても不愉快だ。もうよそう。心ある文士は憎悪すべき非礼と侮蔑に甘んじられないならば、宜しく須らく『文芸春秋』に執筆しないことだ」
これに対し菊池寛は「しかし、今東光輩の『自分達を傷つける』意思云々に至っては自惚れも甚だしい…今東光でなく第三者が該表掲載の非礼を糾弾するならば自分は名義上の責任を負うて三謝することを辞さない」と激しく応えている。
菊池寛と永井荷風の確執も本書のテーマとなっている。私も学生時代に断腸亭日乗を読み通していたが、永井は数寄者で遊び人の文学者といった印象が強く、あの日記から菊池寛との関係を読み取ることは無かった。本書で引用されている断腸亭日乗では「文士菊池寛、予に面会を求むという。菊池は性質野卑。交を訂すべき人物にあらず」と一刀両断である。
多くの罵詈雑言が本書には収められているが、これらは、雑誌等の刊行物に掲載された文章、断腸亭日乗のように個人的な日記、そして谷崎と佐藤の例の様な手紙といったものに分類できる。常識的に言えば日記のような非公開のものに記述される言葉はより過激になると思うし、公的な刊行物に記載する文章は一番抑制的になると思うのだが、本書に記載されている太宰治、今東光、菊池寛たちの文章表現は感情開放度も高いことに驚くばかりである。文士にとってはこれらも作品の一部ということだろうか。
そして、本書に集められた文豪たちの活躍した時代は、お互いの「悪口」のやりとりの時間の流れが日単位・月単位であり、気持ちの落ち着きの時間が確保されていたのではないか。その点、現代のネットで罵り合うといった、あっという間に盛り上がる喧嘩とは違った意味が有ったのかもしれない。
加えて、現代では使われない言葉が沢山登場してくるのも書き手が文士であるが故なのか。そう考えると、文士たちの「悪口から魅力を感じる」というよりは、「言葉を駆使する才能を評価する」という方が本書の正しい読み方なのだろう。(内池正名)
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