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2020年3月15日 (日)

「生命式」村田沙耶香

村田沙耶香 著
河出書房新社(272p)2019.10.20
1,815円

芥川賞や直木賞の受賞作を読む習慣をなくしてしまって久しい。でも数年前に、何のはずみだったか村田沙耶香『コンビニ人間』を読んで面白かった。世の中の「正常」に違和感を覚える主人公が、その違和を逆転させコンビニというマニュアル世界の歯車になることに喜びを見いだしてゆく倒錯が、軽やかな文章で描かれていた。

『生命式』は、そんな彼女の最新の短篇集。12の短篇小説が収められている。読後の印象は、村田沙耶香というのは、とんでもない作家だな。何度も笑うしかなく、しかも恐ろしい。これらの短篇に比べれば、『コンビニ人間』は口当たりのいい、とてもまろやかな小説だった。

たとえば本のタイトルとなった「生命式」。冒頭の一文はこうだ。

「会議室でご飯を食べていると、ふいに後輩の女の子が箸を止めて顔を上げた。
『そういえば、総務にいた中尾さん、亡くなったみたいですね』」

村田沙耶香の小説は、たいていごく当たり前の日常風景から始まる。その夜の式に呼ばれている主人公たち女性社員は、中尾さんについてひとしきりおしゃべりした後、ある先輩がこう切り出す。

「『中尾さん、美味しいかなあ』
『ちょっと固そうじゃない? 細いし、筋肉質だし』
『私、前に中尾さんくらいの体型の男の人食べたことあるけど、けっこう美味しかったよ。少し筋張ってるけど、舌触りはまろやかっていうか』」

いきなりの不条理の世界。事務職の女の子たちのどこにでもありそうな会話にいきなり挟まれる、「中尾さん、美味しいかなあ」。そのあまりの落差。これは、なんなんだ? 

やがてその理由が説明される。世界の人口が急激に減って、人類は滅びるかもしれないという不安感から「増える」ことが正義になり、セックスというより「受精」という妊娠を目的とした交尾が奨励されるようになった。人が死ぬと「生命式」が行われ、そこでは死んだ人間を食べながら男女がお相手を探し、相手が見つかったら二人でどこかで(しばしば人の目のある路上で)受精を行うことが当たり前になった。もっとも、と主人公は考える。「死者を皆で食べて弔うという部族はずっと昔からいたようなので、突然人間のなかに生まれた習性というわけではないのかもしれなかった」。

もっともらしい理由づけは、この小説の面白さとあまり関係ない。読み進むうえで、読者が納得してくれればそれでいいというだけのもの。それより、思わず笑ってしまうのはこんな描写だ。

「中尾さんの家は世田谷の高級住宅地だった。ちょうど夕食時で、あちこちから食事の匂いが漂ってきている。その中の一つが、中尾さんを茹でる匂いなのかもしれなかった」

誰もが記憶にあるだろう夕餉の風景のなかに、さりげなく差し挟まれる「中尾さんを茹でる匂い」。こういうあたりが村田沙耶香の真骨頂かもしれない。しばらく後で、今度は主人公の同僚の山本が亡くなり、その生命式で、主人公と山本の母親との間でこんな会話が交わされる。故人は、式のレシピを残していた。

「『業者に頼むとほら、どうしても味噌のお鍋になっちゃうでしょ。あの子はそれじゃいやだったみたいで、団子にしてみぞれ鍋にしてほしいみたいなんです』
『あの子って食いしん坊だったでしょ。自分が食べられるときも注文が多くて、鍋だけじゃないんですよ。カシューナッツ炒めとか、角煮とか……』
『え、鍋だけじゃないんですか?』
『そうなんですよ。なるべく遺志を尊重してやりたいんですけど、もう、困っちゃって』」

それに続く食事のシーンでは、「じゅわっと、中から肉汁がしみ出す」とか、「人肉には赤ワインかと思ってたけど、これは白も合いそうだなあ」なんてセリフも飛び出す。そして式に参加した人間は、母親に「ごちそうさまでした」「受精してきます」と感謝して立ち去ってゆく。

式の後、海辺で会った見知らぬ男性に向かって、主人公はこうつぶやく。

「『世界はこんなにどんどん変わって、何が正しいのかわからなくて、その中で、こんなふうに、世界を信じて私たちは山本を食べている。そんな自分たちを、おかしいって思いますか?』
『いえ、思いません。だって、正常は発狂の一種でしょう? この世で唯一の、許される発狂を正常って呼ぶんだって、僕は思います』」

長々と引用してしまったけれど、この作家の「とんでもなさ」が少しは伝わったろうか。「正常」と呼ばれるものは「この世で唯一の、許される発狂」にすぎないという感性は、この短篇集のそこここから匂ってくる。

人毛を使ったセーターや人間の皮膚を素材にしたベールが最高級品になった時代の結婚話である「素敵な素材」。ポチと呼ばれるおじさんに首輪をして飼う小学生二人の物語「ポチ」。オフィス街のわずかな土に生えるタンポポやヨモギを摘んで調理し、自分が野生動物であることを発見してゆく「街を食べる」。「委員長」「姫」「アホカ」と、つきあう仲間によっていくつものキャラを使いわける女性を描いた「孵化」。どれも、「正常」と呼ばれるものに違和を持ち、そこからこぼれ落ちるものを見据えて、それに忠実に、誠実に従ってゆく。

僕がこの小説を読んで思い出したのは、高校時代に読んだ星新一の短篇群だった。50年以上前に読んだきりなので間違っているかもしれないが、星新一の短篇にも、正常と異常をひっくり返して僕たちの常識を揺さぶるものが多かった。ただ、星の小説は知的な遊戯といった余裕が感じられたのに比べ、村田のそれは知的なというより時代への肉体的な拒否反応が、もっと切羽詰まったかたちで噴き出しているように思う。それが、生きづらさを感じている女性たちの、さらには男たちの共感を呼ぶんだろう。彼女の小説が30カ国で翻訳されるという事実は、村田沙耶香の描くものが現在の世界の先端で共感をもって受けとめられていることを示しているんじゃないか。

ほかに僕が好きだったのは「パズル」という一篇。人間の皮膚からその内臓を感じてしまう、内臓感覚ともいうべきものが強烈だ。

「生命体とは何と美しいのだろう。顕微鏡で貴重な細胞でも覗くように、早苗はじっと彼らの皮膚や筋肉を目で追った。/中身が僅かに透けた皮膚の中には、蠢く内臓がぎっしりと詰め込まれている。筋肉が根のように張り巡らされ、首に浮き出た血管には血液が循環し続けている」

人間を内臓のかたまりとして見てしまう主人公には、人の呼吸は内臓の匂いを発散させるものにほかならない。満員電車のなかで、彼女はこう感じる。

「早苗は、身体の力を抜いて体温の渦に寄りかかった。さまざまな口から放出された溜息が溶けあった空気につかるように、目を閉じてその湿度を肌で味わい、その中を漂う。乗客が吐き出す二酸化炭素にまみれていると幸福だった」

満員電車でぎゅう詰めになっていることへの肉体的な拒絶反応が、『コンビニ人間』と同じように逆転して過剰適応し、ぴったり身体を接している乗客の吐く息にまみれて「幸福」を感ずる。この倒錯と過剰適応はいかにも若い世代の感受性を感じさせる。日常の風景から、そういう感覚を掬いあげてみせる。この世代の小説はあまり読んでないけど、素晴らしくオリジナルな作家だと思う。(山崎幸雄)

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