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2021年11月

2021年11月17日 (水)

「タコの才能」キャサリン・ハーモン・カレッジ

キャサリン・ハーモン・カレッジ 著
太田出版(284p)2014.04.17
2,530円

タコは、日本では馴染み深い食べ物だ。刺し身や酢の物、おでん、たこ焼きなどがすぐに思い浮かぶ。馴染み深いとは言っても、その生態や習性はそれほど知られているわけではない。せいぜい分かっているのは、イカなどと同様に「頭足類」と呼ばれ、マンガなどで頭として描かれているのは胴体であり、実際の頭は足(腕)の付根の眼や口が集まっている部分である、ということぐらいだ。本書を一読すれば、タコの生態や能力だけでなく、生物学からロボット工学まで、最先端の研究の現場を垣間見ることができる。

著者のキャサリンは生物学者ではない。ミズーリ大学ジャーナリスト学科で修士号を取得したあと、雑誌の編集者を務めるかたわら、ネイチャー誌などに寄稿し、最新の科学ニュースから料理にいたるまで幅広い執筆活動を続けていて、書籍としては本書がデビュー作となる。ジャーナリストらしく好奇心が旺盛で、各地の漁港や研究機関、はては料理店まで取材して、タコが人を惹きつけてやまない理由を探ろうとしたのがこの本だ。

「タコはつかみどころがない。腕は八本、心臓は三つ、皮膚は変幻自在に変えられ、知性の宿るまなざしには妙に愛嬌があるけれど、エイリアンにしか見えない。それでも、人間はタコを取りつづけ、もう何千年も前からタコのとりこになっている。世界各地で、タコを題材にした天地創造の物語や、芸術、もちろん料理も生み出されてきた。これだけ大昔から魅了され、何百万ドルもの資金を投じて研究してきたにもかかわらず、このぬるぬるした生きものの実態ははっきりつかめていない」と著者はいう。

「タコにくわしくなりたければ、まずは海に行くべきだろう」というわけで、著者がまず最初に訪れたのはスペインのヴィゴという街だ。スペインのガリシア州北西部にあり、世界各地を相手にタコの搬入・加工・輸出入を専門にしている。ここで、専門家にタコの生態について教えを乞い、ついでに、“プルポ・ア・フェイラ(タコのガルシア風)”という料理の味見をしようというわけだ。海洋研究所などを訪れたあと、旧広場の一角にある小さなレストランで、お目当ての“プルポ・ア・フェイラ”に舌つづみをうつ。そして、翌日は早朝の五時からタコ漁の漁船に乗り込んで、船員たちが海の怪物と格闘する姿を目の当たりにする。乱獲を防ぐために、一キロにも満たない小さなタコは、規則で海に戻すことになっているという。

タコの種類は多い。スーパーなどでは「マダコ」と表示されているのをよく見かけるが、「これは“何でもあり”という意味らしい」。「タコは気が遠くなるほど多種多様だ。・・・現在名前がついているだけでも三百種ほどのタコがいるが、未知の種がそれ以上に存在するのではないかと考えられている」。本書では、めぼしいとものとして、神秘的な中深海のタコ「アオイガイ」、カルフォルニアのマダコ族の一種「オクトプス・ビアクロイデス」、北大西洋の「オオメンダコ」のほか「ミズダコ」「ヒョウモンダコ」「ムラサキダコ」などを挙げている。名前を聞いたことがあるのは「ミズダコ」ぐらいだ。「ヒョウモンダコ」には致死性の毒があるらしい。

ここで、タコの体の構造についての記述をいくつか紹介しておこう。
タコには八本の腕(足)がある。どれも同じように見えるかもしれないが、実は用途によって使い分けているらしい。海底をうろつくときには、前の腕であちこち触って餌を探しながら、後ろの腕で歩くことが多いという。しかも、タコの腕の中央には、神経束もしくは神経節が通っている。ヘブライ大学の研究チームは、使用頻度の高い“腕を伸ばす”という単純な動作が、腕そのものの神経系でコントロールされていることを突き止めた。さらに、脳を通さなくても、腕同士で連絡を取り合えるようだ。ロボット研究者や軍は、こうした能力に着目し研究資金をつぎ込んでいる。タコの腕は自立しているばかりか、簡単に取り替え可能だ。新たに尻尾を生やせるトカゲと同じように、神経も含めて再生できる。こちらも再生医療の研究に役立ちそうだ。

腕だけでなく吸盤もまた多くの能力を秘めているようだ。伸びたり、曲げたりできるうえに吸盤自体に味覚まで備わっている。吸盤をひとつひとつ動かしたり、回したりすることが可能で、折りたたんでものをつまむこともできる。これらの能力は、いくつかの研究チームで実証済みで、ロボット工学に応用する試みも始まっている。

他の生物との連想から頭と間違えられやすい部分は、“外套膜”と呼ばれる胴体だ。外套部の内部には三つの心臓をはじめ消化器などの臓器がある。「(心臓が)三つといっても、外套膜にある本来の心臓が大部分の働きをこなし、あとのふたつはあくまでも補助的なポンプで、エラに血液を送っている」。酸素を運ぶ物質が人間などと異なり、鉄ではなく銅を含むタンパク質であるため、解剖をすると青い血が出る。

タコの能力で傑出しているのは「擬態能力」であろう。天敵からの防御や、餌を捕るときに有効な能力だ。サンゴや岩や海藻だけでなく、ヒラメやウミヘビに変身したりもする。この件に関して、著者はいくつもの研究所で、何人もの研究者に取材を試みるが、解明は一筋縄ではいかないようだ。研究者たちは、外見上の形の変化だけでなく、擬態のスピードの早さにも注目している。タコの色素胞や神経伝達物質の解明が進めば、軍事や医療への応用も期待されている。アメリカの海軍研究所は、体色変化という暗号の解読に、複数年にわたり巨額の助成金を提供しているという。

タコの特徴をひとまとめにすると以下のように言えるかもしれない。
「肉食で、餌を探しに出かける。巣穴をこしらえたり、模様替えをしたりする。道具を使う。空間認識力があって道に迷わない。遊びをする。人の顔を見分けられる。つまり・・・タコはとても賢いんだ」。著者が取材で出会った、シアトル水族館で四十年あまりもタコを研究してきた生物学者R.アンダーソンの言葉だ。「この世で一番賢い無脊椎動物だ」とも言う(ちなみに地球上の生物の95%以上は無脊椎動物だ)。

著者は、取材の合間にニューヨークのとある韓国料理店を訪れ、“タコの踊り食い”に挑戦して、改めてタコの神経系統の複雑さや生命力の強さに感嘆している。

タコは美味しい。個人的には、タコの知能が高いことがあまりに世間に知れ渡ってしまうと、クジラのように「知能の高い生物を食べるのはケシカラン」みたいな風潮になるのではないかと危惧している。ちなみに、国内で流通しているタコは、国産だけではなく近年ではモロッコ、モーリタニア、セネガルなど北アフリカ沿岸諸国からの輸入ものが増えているそうだ。(野口健二)

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「国語辞典を食べ歩く」サンキュータツオ

サンキュータツオ 著
女子栄養大学出版部(336p)2021.07.07
1,870円

著者は「米粒写経」という漫才コンビを組んでいる芸人であると同時に、一橋大学や早稲田大学で非常勤講師をしている「文体論」や「表現論」を専門領域とする文学者でもある。芸人が学者でも、学者が芸人でも構わないのだが、どんな人なのかスッとイメージできない人物であるのは事実。

本書は「食」に関する言葉について、出版各社から発行されているハンディーな国語辞典の中でどう表現されているか、そしてどんな違いがあるのかを明らかにして各辞典の持っている個性を語り尽くしている。

そもそも、何種類もの国語辞典を自宅に持っている人はそう居ないし、各事典の語釈の違いをわざわざ比較したことのある人も少ないと思う。団塊の世代の私は、学生時代は岩波の国語辞典を持っているだけで、必要が有れば父親の広辞苑を借りていた。今は、たまたま縁が有り岩波国語辞典の第二版(1971)と第七版新版(2011)の二冊を現在書架に収めているものの、この二冊の辞典で言葉を調べることはまずない。

本書で比較対象としているのは、三省堂の三省堂国語辞典(初版1960~最新7版)、岩波書店の岩波国語辞典(初版1963~最新8版)、三省堂の新明解国語辞典(初版1972~最新8版)、大修館書店の明鏡国語辞典(初版2002~最新3版)の4つの辞典。辞書好きの著者が「食」をキーワードにして各々の個性を次の様に紹介している。 

三省堂国語辞典(以下三国)は「生活に密着した新語・俗語などにも積極的。簡潔に『要するに何なのか』を伝える」。岩波国語辞典(以下岩国)は「主観的な記述を控えた語釈が売り。ジャンクフードや流行ものには慎重で歴史好き」。新明解国語辞典(以下新解)は「ワイルドで親切な個性派。ビビッドな表現が魅力」。大修館明鏡国語辞典(以下明鏡)は「雑学にも強いスマートな食通。食べ物の種類や製法については抜群に詳しい」。

こうした編者の想いが記載表現の違いとして継続されていくとともに、最新版だけでなく同じ事典の版毎の語釈・表現の変化も、時代の変化を反映させていくという意味で比較しているのも面白い。

各章はジャンル別に分れていて、「人気メニュー」、「和食」、「おやつ・ケーキ」、「調理器具」、「麺類」、「食材」、「食べる言葉」などその範囲は広い。

冒頭にとりあげられているのは「ハンバーグ」である。注目すべきは形の表現だ。三国は「小判型」、新解は「平たく丸い形」、明鏡は「楕円形」としている。こう示されてみると多様な表現が使われているのが良く判る。著者は「小判型」という言葉がハンバーグを見事に表現していると高評価だが、「小判」という言葉が現代では日常語でなくなりつつあるのではないかと思うと、この形容で良いのかといささか心配になる。一方、岩国はハンバーグの形には触れず、他の辞典では「焼く」と記載している調理法について、唯一「フライバンで焼いた」という条件を付けていて、より明確な表現と高評価。

「ナポリタン」については、三国の第六版(2007)と第七版(2014)でその表現に大きな変化があったことを指摘している。六版では「ナポリふう。トマトを使うのが特色。」。それが七版では「ゆでたスパゲッティーにトマトケチャップ・ハム・ピーマン・玉ねぎなどを入れ、やきそばのようにいためて・・・・日本生れの洋食。ナポ(俗)」と変化している。第六版での「言葉の意味を定義する」と言う姿勢よりも、七版では「ナポリタン」を食べて、その特徴を記述するという、三国の足で稼ぐ語釈の特徴が発揮されたとしている。この変わり身の早さは驚くばかりだか、「ナポリふう」という言葉に対する曖昧さが有ったのかもしれないとの指摘には納得。

世の中の食べ物にもトレンドが有ることから、どのレベルで辞典の新版に取り込むかの姿勢には違いが明確になっているのも面白い。著者が独断で選んだ料理12品(カルパッチョ、トムヤムクン、ガレット等)が各辞典でどう取り上げられているのかを調べている。12品全品を掲載しているのが三国で「よく街に出て、いろいろ食べている」という評価、一番少ない3品しか掲載されていないのは岩国で「ほとんど外出せず、多分和食しか食べていない」と厳しい評価がされている。

献立という言葉も特徴が良く出ている。グルメな明鏡は献立を「食卓に出す料理の種類・組み合わせ・順序などの計画・またはそれを書き出したもの」と記している。一方、歴史好きな岩国は「献とは『人に酒を勧めること』、一献を添えて出す膳の数を言い、一献ごとに料理があらたまった、・・コース料理の順番を総じて『献立』という」としている。各々の辞書を個別に読んでいるだけであれば、成程と思って終わってしまうところだが、こうして比較することで、重点の置き方や分析方法の違いなども面白さとなって沸き上がってくるのも不思議である。

ちなみに、三国は1960年に初版が発行、4つの辞典の中では一番古く「初代の編者の一人である見坊豪紀は、従来の辞書作りに疑問を感じ実際に自分で街に出て人々の生活の中で交わされる会話の言葉を集め記述した。生涯で145万もの用例カードを残した。この現場主義は今も生きている」と紹介している。

また新解は1972年が初版。その主幹の山田忠雄は「先行数冊を机上に広げて、適宜に取捨選択して一書を成すはパッチワークの最たるもの。・・・辞書を引くからには意味だけではなくニュアンスもくみ取るべき」という姿勢である。

岩国の初版(1963)の序文も私は調べてみたが、全ての辞典の初版において、先行辞書が持っていた弱点や問題を指摘したうえで、新たな発想で辞書を作ると言う意気込みが強く語られている。これらが各辞典の特徴となり、版を重ねて歴史を積み上げながらも特徴を崩すことなく変化して来た事が良く判る。

現在、小型の国語辞典で売上の第一位は新解の様だが、赤瀬川源平が1996年に出した「新解さんの謎」の大ヒットが影響していることは間違いない。この本のおかげで「新明解=変な語釈」という指摘の中、食に関する「かも、肉はうまい」といった主観的表現も注目されて、「美味=新明解」というイメージが定着したと著者は考えている。そして、「岩国は主観的な記述を控えた語釈が売りだが、最新版では、この鴨について異例の『肉は美味』という主観的記述をしている。この4文字に新明解の山田への敬意とも思われる行間がある」と記している。岩国ファンの私としては、少し気になったので手許にある第二版(1971)で「鴨」を引いてみると既に「肉は美味」と書かれている。新明解の初版は1972年だから「新明解の山田への敬意」という言い方は違うんじゃないかと思ったりしながら、国語辞典をこんな風に使ったのは初めてで、新たな辞書の使い方を楽しんでみた。

まだまだ、「食べる動詞」の「すする」と「たぐる」の説明表現の違いや、三国の初版から最新版までの「ラーメン」の記述の変化など、すべてのページが楽しい読書であった。

それにしても、薄い紙に細かい字で滲みなく印刷し、膨大な頁を製本するという工芸品の様な辞典がずっと残ってほしいと思うのも単なるノスタルジーなのかもしれない。ちょっと確認したいことが有ると、スマホで検索している自分がいるのも現実なのだから。内池正名)

 







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