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2021年11月17日 (水)

「国語辞典を食べ歩く」サンキュータツオ

サンキュータツオ 著
女子栄養大学出版部(336p)2021.07.07
1,870円

著者は「米粒写経」という漫才コンビを組んでいる芸人であると同時に、一橋大学や早稲田大学で非常勤講師をしている「文体論」や「表現論」を専門領域とする文学者でもある。芸人が学者でも、学者が芸人でも構わないのだが、どんな人なのかスッとイメージできない人物であるのは事実。

本書は「食」に関する言葉について、出版各社から発行されているハンディーな国語辞典の中でどう表現されているか、そしてどんな違いがあるのかを明らかにして各辞典の持っている個性を語り尽くしている。

そもそも、何種類もの国語辞典を自宅に持っている人はそう居ないし、各事典の語釈の違いをわざわざ比較したことのある人も少ないと思う。団塊の世代の私は、学生時代は岩波の国語辞典を持っているだけで、必要が有れば父親の広辞苑を借りていた。今は、たまたま縁が有り岩波国語辞典の第二版(1971)と第七版新版(2011)の二冊を現在書架に収めているものの、この二冊の辞典で言葉を調べることはまずない。

本書で比較対象としているのは、三省堂の三省堂国語辞典(初版1960~最新7版)、岩波書店の岩波国語辞典(初版1963~最新8版)、三省堂の新明解国語辞典(初版1972~最新8版)、大修館書店の明鏡国語辞典(初版2002~最新3版)の4つの辞典。辞書好きの著者が「食」をキーワードにして各々の個性を次の様に紹介している。 

三省堂国語辞典(以下三国)は「生活に密着した新語・俗語などにも積極的。簡潔に『要するに何なのか』を伝える」。岩波国語辞典(以下岩国)は「主観的な記述を控えた語釈が売り。ジャンクフードや流行ものには慎重で歴史好き」。新明解国語辞典(以下新解)は「ワイルドで親切な個性派。ビビッドな表現が魅力」。大修館明鏡国語辞典(以下明鏡)は「雑学にも強いスマートな食通。食べ物の種類や製法については抜群に詳しい」。

こうした編者の想いが記載表現の違いとして継続されていくとともに、最新版だけでなく同じ事典の版毎の語釈・表現の変化も、時代の変化を反映させていくという意味で比較しているのも面白い。

各章はジャンル別に分れていて、「人気メニュー」、「和食」、「おやつ・ケーキ」、「調理器具」、「麺類」、「食材」、「食べる言葉」などその範囲は広い。

冒頭にとりあげられているのは「ハンバーグ」である。注目すべきは形の表現だ。三国は「小判型」、新解は「平たく丸い形」、明鏡は「楕円形」としている。こう示されてみると多様な表現が使われているのが良く判る。著者は「小判型」という言葉がハンバーグを見事に表現していると高評価だが、「小判」という言葉が現代では日常語でなくなりつつあるのではないかと思うと、この形容で良いのかといささか心配になる。一方、岩国はハンバーグの形には触れず、他の辞典では「焼く」と記載している調理法について、唯一「フライバンで焼いた」という条件を付けていて、より明確な表現と高評価。

「ナポリタン」については、三国の第六版(2007)と第七版(2014)でその表現に大きな変化があったことを指摘している。六版では「ナポリふう。トマトを使うのが特色。」。それが七版では「ゆでたスパゲッティーにトマトケチャップ・ハム・ピーマン・玉ねぎなどを入れ、やきそばのようにいためて・・・・日本生れの洋食。ナポ(俗)」と変化している。第六版での「言葉の意味を定義する」と言う姿勢よりも、七版では「ナポリタン」を食べて、その特徴を記述するという、三国の足で稼ぐ語釈の特徴が発揮されたとしている。この変わり身の早さは驚くばかりだか、「ナポリふう」という言葉に対する曖昧さが有ったのかもしれないとの指摘には納得。

世の中の食べ物にもトレンドが有ることから、どのレベルで辞典の新版に取り込むかの姿勢には違いが明確になっているのも面白い。著者が独断で選んだ料理12品(カルパッチョ、トムヤムクン、ガレット等)が各辞典でどう取り上げられているのかを調べている。12品全品を掲載しているのが三国で「よく街に出て、いろいろ食べている」という評価、一番少ない3品しか掲載されていないのは岩国で「ほとんど外出せず、多分和食しか食べていない」と厳しい評価がされている。

献立という言葉も特徴が良く出ている。グルメな明鏡は献立を「食卓に出す料理の種類・組み合わせ・順序などの計画・またはそれを書き出したもの」と記している。一方、歴史好きな岩国は「献とは『人に酒を勧めること』、一献を添えて出す膳の数を言い、一献ごとに料理があらたまった、・・コース料理の順番を総じて『献立』という」としている。各々の辞書を個別に読んでいるだけであれば、成程と思って終わってしまうところだが、こうして比較することで、重点の置き方や分析方法の違いなども面白さとなって沸き上がってくるのも不思議である。

ちなみに、三国は1960年に初版が発行、4つの辞典の中では一番古く「初代の編者の一人である見坊豪紀は、従来の辞書作りに疑問を感じ実際に自分で街に出て人々の生活の中で交わされる会話の言葉を集め記述した。生涯で145万もの用例カードを残した。この現場主義は今も生きている」と紹介している。

また新解は1972年が初版。その主幹の山田忠雄は「先行数冊を机上に広げて、適宜に取捨選択して一書を成すはパッチワークの最たるもの。・・・辞書を引くからには意味だけではなくニュアンスもくみ取るべき」という姿勢である。

岩国の初版(1963)の序文も私は調べてみたが、全ての辞典の初版において、先行辞書が持っていた弱点や問題を指摘したうえで、新たな発想で辞書を作ると言う意気込みが強く語られている。これらが各辞典の特徴となり、版を重ねて歴史を積み上げながらも特徴を崩すことなく変化して来た事が良く判る。

現在、小型の国語辞典で売上の第一位は新解の様だが、赤瀬川源平が1996年に出した「新解さんの謎」の大ヒットが影響していることは間違いない。この本のおかげで「新明解=変な語釈」という指摘の中、食に関する「かも、肉はうまい」といった主観的表現も注目されて、「美味=新明解」というイメージが定着したと著者は考えている。そして、「岩国は主観的な記述を控えた語釈が売りだが、最新版では、この鴨について異例の『肉は美味』という主観的記述をしている。この4文字に新明解の山田への敬意とも思われる行間がある」と記している。岩国ファンの私としては、少し気になったので手許にある第二版(1971)で「鴨」を引いてみると既に「肉は美味」と書かれている。新明解の初版は1972年だから「新明解の山田への敬意」という言い方は違うんじゃないかと思ったりしながら、国語辞典をこんな風に使ったのは初めてで、新たな辞書の使い方を楽しんでみた。

まだまだ、「食べる動詞」の「すする」と「たぐる」の説明表現の違いや、三国の初版から最新版までの「ラーメン」の記述の変化など、すべてのページが楽しい読書であった。

それにしても、薄い紙に細かい字で滲みなく印刷し、膨大な頁を製本するという工芸品の様な辞典がずっと残ってほしいと思うのも単なるノスタルジーなのかもしれない。ちょっと確認したいことが有ると、スマホで検索している自分がいるのも現実なのだから。内池正名)

 







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